限りなく影薄く、ぼそぼそと呟くことをもってその生存を確かめ得る官房長官。暑苦しいくらいに押し出しよく、矢継ぎ早にカマしつづける総務大臣。静と動、場合によっては死と生、暗と明、黙と騒、薄と厚、まことに両面合わせ持った面白い内閣であった。あった、というのはその一方が欠けたからだ。欠けたいきさつについては周知のことゆえ、記すまでもなかろう。
水に落ちた犬を打とうというのではない。ただこの場合、自らカッコよくダイビングしたように勘違いしている向きがある。そこは正しておきたい。なにせ世論調査なるものは、くっきりと勘違いの画を描(カ)いている。泣いて馬謖を斬るの美談を避けたい兄鳩は、斬る相手が違うと色めき立つ。血は水よりも濃い、か。
総務省のHPに前大臣の記者会見の概要が載っていた。
〓〓正義の物差しというものを持っていたい。つまり、このことが世の中にとって、国民一般にとってプラスであるか、マイナスであるかというのは、私の一番の物差しなのですよ。〓〓
草クンには「最低」とカマし、こんどは「正義」でカマした。どうだ、文句はあるまい、とばかりに。
さて、「正義」とはなにか。百人いれば百通りの正義がある。だがなによりも、古賢に範を求めよう。アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。かんぽの宿の売却についてのあれこれは、一見これに適うかに受け取れる。しかし、木を見て森を見ない愚もある。雇用の継続を呑んで、ピンからキリまでポンとまとめ買いしてくれる篤志家は、この御時世そうそうあるものではなかろう。長期スパンの損得を秤に掛け、一時も早く身ぎれいになりたいという判断もあったのかもしれない。事は高度な経営判断だ。腰掛け大臣のぶら下げる「物差し」が融通無碍とはいえまい。
一方、プラトンは国家の成員が各々の責務を果たし、全体として調和が保たれることをもって正義とした。こちらはどうだろう。責務を果たしたために、全体の調和が乱れては元も子もないのではないか。ここに来て「君側の奸」が御大の判断を誤らせたと言い出しているが、内閣の意志に反したことは明らかだ。
千歩譲ってアリストテレス的正義には適うかもしれぬが、プラトン的正義には悖る。彼がこのアンビヴァレンスに懊悩したとは、ついぞ聞かない。ましてやマイクの槍衾に大見得を切って、「 To be or not to be that is the question」と呼ばわったという報道にも接してはいない。
つづいて、こう述べる。
〓〓正義という言葉はどうして使うのかと言われたならば、私はこう申し上げたい。つまり、不正かどうかというのは、警察、検察、司法の問題ですから、野党は、不正、法律違反であるとして、昨日も追加して御二人、つまり計三人でしょうか、刑事告発をしているわけでしょう。ただ、私は司法判断をする人間ではありませんから、不正とは言えないから不正義と申し上げている。〓〓
まず指摘しておきたいのは、「不正かどうかというのは」「不正、法律違反」「不正とは言えないから不正義」である。ひょっとしてテープ起しの間違いかとも訝ったが、そうではないらしい。これは小学校レベルの間違いではないか。「不正」とは「不正義」、道義・正義に反することを意味する。この大臣は、「不正」と「不法」の区別がつかないらしい。上記3カ所の「不正」はすべて「不法」と言い換えねば、意味が通じない。
難点は、「私は司法判断をする人間ではありませんから、不正とは言えないから不正義と申し上げている。」の部分だ。彼はもとより司法にではなく、行政府に身を置く人間である。法をファシリテイトする立場だ。にもかかわらず、「不正(=不法:筆者注)とは言えないから不正義と申し上げている」とはどういうことか。つまりは、司法で裁けないから行政権を使って司法の代替をすると宣言しているのである。明らかな戯言(タワゴト)、世迷い言である。オーバー・テリトリー、甚だしき越権行為である。プラトン的正義とも、アリストテレス的正義とももはや無縁の代物だ。与太でしかない。
これではまるで、「必殺仕置人」気取りではないか。ただこちらの主水は、金の代わりに票がお望みだ。『道具』はもちろん、『捺さずのハンコ』である。これで日本のメガ会社のトップの首だって飛ばせる、そう主水は踏んだのか。
ところがどっこい。豆鉄砲を食ったのは、やはり鳩ぽっぽであった。 □
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水に落ちた犬を打とうというのではない。ただこの場合、自らカッコよくダイビングしたように勘違いしている向きがある。そこは正しておきたい。なにせ世論調査なるものは、くっきりと勘違いの画を描(カ)いている。泣いて馬謖を斬るの美談を避けたい兄鳩は、斬る相手が違うと色めき立つ。血は水よりも濃い、か。
総務省のHPに前大臣の記者会見の概要が載っていた。
〓〓正義の物差しというものを持っていたい。つまり、このことが世の中にとって、国民一般にとってプラスであるか、マイナスであるかというのは、私の一番の物差しなのですよ。〓〓
草クンには「最低」とカマし、こんどは「正義」でカマした。どうだ、文句はあるまい、とばかりに。
さて、「正義」とはなにか。百人いれば百通りの正義がある。だがなによりも、古賢に範を求めよう。アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。かんぽの宿の売却についてのあれこれは、一見これに適うかに受け取れる。しかし、木を見て森を見ない愚もある。雇用の継続を呑んで、ピンからキリまでポンとまとめ買いしてくれる篤志家は、この御時世そうそうあるものではなかろう。長期スパンの損得を秤に掛け、一時も早く身ぎれいになりたいという判断もあったのかもしれない。事は高度な経営判断だ。腰掛け大臣のぶら下げる「物差し」が融通無碍とはいえまい。
一方、プラトンは国家の成員が各々の責務を果たし、全体として調和が保たれることをもって正義とした。こちらはどうだろう。責務を果たしたために、全体の調和が乱れては元も子もないのではないか。ここに来て「君側の奸」が御大の判断を誤らせたと言い出しているが、内閣の意志に反したことは明らかだ。
千歩譲ってアリストテレス的正義には適うかもしれぬが、プラトン的正義には悖る。彼がこのアンビヴァレンスに懊悩したとは、ついぞ聞かない。ましてやマイクの槍衾に大見得を切って、「 To be or not to be that is the question」と呼ばわったという報道にも接してはいない。
つづいて、こう述べる。
〓〓正義という言葉はどうして使うのかと言われたならば、私はこう申し上げたい。つまり、不正かどうかというのは、警察、検察、司法の問題ですから、野党は、不正、法律違反であるとして、昨日も追加して御二人、つまり計三人でしょうか、刑事告発をしているわけでしょう。ただ、私は司法判断をする人間ではありませんから、不正とは言えないから不正義と申し上げている。〓〓
まず指摘しておきたいのは、「不正かどうかというのは」「不正、法律違反」「不正とは言えないから不正義」である。ひょっとしてテープ起しの間違いかとも訝ったが、そうではないらしい。これは小学校レベルの間違いではないか。「不正」とは「不正義」、道義・正義に反することを意味する。この大臣は、「不正」と「不法」の区別がつかないらしい。上記3カ所の「不正」はすべて「不法」と言い換えねば、意味が通じない。
難点は、「私は司法判断をする人間ではありませんから、不正とは言えないから不正義と申し上げている。」の部分だ。彼はもとより司法にではなく、行政府に身を置く人間である。法をファシリテイトする立場だ。にもかかわらず、「不正(=不法:筆者注)とは言えないから不正義と申し上げている」とはどういうことか。つまりは、司法で裁けないから行政権を使って司法の代替をすると宣言しているのである。明らかな戯言(タワゴト)、世迷い言である。オーバー・テリトリー、甚だしき越権行為である。プラトン的正義とも、アリストテレス的正義とももはや無縁の代物だ。与太でしかない。
これではまるで、「必殺仕置人」気取りではないか。ただこちらの主水は、金の代わりに票がお望みだ。『道具』はもちろん、『捺さずのハンコ』である。これで日本のメガ会社のトップの首だって飛ばせる、そう主水は踏んだのか。
ところがどっこい。豆鉄砲を食ったのは、やはり鳩ぽっぽであった。 □
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