伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

奇想は跳ねる

2011年07月16日 | エッセー


 「我々は『独立国に外国の軍隊が長期に駐留し続けていることは不自然なことだ』という常識さえ見失いつつあるのではないか。」寺島実郎氏がこう警鐘を鳴らしたのは5年前のことだ。駐留の根拠は日米安保条約にある。
 振り返れば、戦後の国内政治はこの条約に対する立ち位置の鬩(セメ)ぎ合いであった。冷戦は終結しても、「周辺」という新手の脅威を措定して条約は延命した。
 怪我の功名といえば過言になるが、普天間の迷走は日本列島に食い込んだ日米安保の堅牢を逆証明したともいえる。寺島氏のいう「常識」がいかに成し難いものかをわれわれに突き付けてもいる。
 突飛な仮定だが、もしも安保条約の履行が著しく米国の国益に反する事態が発生したらどうだろう。想定を超える状況の変化が起こって、米国が条約を反故にする場合だ。日本を護らないどころか、牙を剥いて襲いかかってきたら、どうする。件の「常識」が最も不幸な形で露わになったとしたら……。想像を絶する出来事は、時として絵空事を超える。
 安保堅持から、即時廃棄、段階的廃棄。かつて喧しかった論議が、近ごろではとんと聞かれぬ。非「常識」がとっくに常識になったのであろうか。
 唐突な「脱原発」宣言に、奇想が跳ねた。原発を駐留米軍に見立てると、「安保、反対!」のシュプレヒコールが微かに甦ってくる。またも、いつもの繰り返しか。まずは常識から詮議しようではないか。□