伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

酢豆腐の討ち入り

2022年12月16日 | エッセー

「時は元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓……」
 ここから三波春夫の名曲『俵星玄蕃』は聞かせどころに入る。西暦では一月三十日に当たるが、今年の同日も全国的に初雪や真冬の寒さに見舞われた。
 小林秀雄は「感情の爆発というようなものでは決してなく、確信された一思想の実践であった」といい(「考えるヒント」)、丸谷才一は「呪術的=宗教的祭祀としての吉良邸討入り以外の何かではない。この御霊信仰こそは忠臣藏の本質であつた」(「忠臣蔵とは何か」)と語った。いずれにせよ、師走の定番である。それにあやかって、稿者が酢豆腐の討ち入りといってみたい。
 半導体のことである。高度経済成長時代には鉄鋼を産業の米と呼んだが、冷戦以降は半導体がそう呼ばれる。産業の生殺与奪の権を握る品物なのに、これが今一よく解らない(稿者だけかもしれぬが)。そこでいろいろ聞きかじってみた。
 ウィキペディアにはこうある。
〈半導体とは、金属などの導体と、ゴムなどの絶縁体の中間の抵抗率を持つ物質である。半導体は、不純物の導入や熱や光・磁場・電圧・電流・放射線などの影響で、その導電性が顕著に変わる性質を持つ。この性質を利用して、トランジスタなどの半導体素子に利用されている。〉 
 化学音痴には解ったような解らぬような。悔しいから十把一絡げに大括りすると、つまりは『スイッチャー』ということか。交差点のお巡りさんである。種々雑多な車や通行人を要領よく捌き、交通網の流れを確保し社会を快適に回す。そんな役目ではないか。しかし話は続いて、交差点は一つや二つではないのだ。あの小さな基盤の上に膨大な交差点とお巡りさんを縮めに縮め詰め込んでいる。まあ、そんな具合ではなかろうか。
 だから、「半導体」と呼ぶより、むしろ「半導体“回路”」と呼ぶ方が相応しい。
 「縮める」とくれば、日本人のお家芸だ。「団扇を扇子にする、傘を折りたたむ、ステレオをウォークマンにする、自然を箱庭に詰め込む。縮めることが好きなのは日本人だけだ」と、かつて韓国人学者 李卸寧氏が指摘した。それを受け、養老孟司氏はこう述べた。
〈縮み志向の理由についてふと閃いたことがあります。日本人は歩いていたからではないか。日本人は何千年もの間、馬車に乗らないで歩きまわっていました。大名行列だって足軽は歩いています。あの人たちは、ひたすら荷物をどうやって小さくするか、どうやって軽くするかと考えていたのではないか。日本人はものを何かに乗せて運ぼうと考えずに、軽くすることだけを考えて小さくし、つめ込んだのではないか。つまり、馬車を自由に使えない日本の地形が、日本人をつめ込んだり細工して縮める方向に向かわせた。これがものづくりの原点の一つなのではないかと思うのです。李御寧さんによると、日本人は縮んでいるときが一番成功していて、外へ広がろうとすると失敗します。秀吉の朝鮮出兵がそうでしたし、この間の大戦がそうだった。〉(「本質を見抜く力」から抄録)
 日本の「ものづくりの原点」に馬車があった、いや馬車が“なかった”事情が働いた。いや、面白い。コインの裏表である。かつて隆盛を誇った日本の半導体産業は、アジア勢の台頭を見くびったため今や韓国の後塵を拝している。ここに来てやっと巻き返しを図る羽目に陥っている。果たして四十七士の覚悟はあるか。はなはだ心許ない。 □