伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

落葉帰根

2013年01月17日 | エッセー

 ビートルズの“Get Back”から松村和子の「帰って来いよ」を連想するのは突飛すぎるであろうか(古いと言われれば、二の句が継げぬ)。訳せばそれに違いなかろうが、アリゾナのツーソンと津軽のお岩木山では相当違う。中身はというと、もっと違う。
 前者はポールとジョン(&ヨーコ)との確執を踏まえるとややこしいメタファーとかなりの皮肉が利いているのに対して、後者は直情の吐露といえよう。ただ前者が彼らの“アーリー”サウンドへの回帰であり、後者が古典的楽器をフィーチャーした点がこじつければ似てなくもない。
 もう一っ飛びすると、「落葉帰根」であろうか。朽葉が養分として根に帰る自然の循環をいい、転じて郷里への帰還をいう。
 『樹高千丈 落葉帰根』は望郷の念を幽妙に歌い上げる。01年、中島みゆきの作品だ。

  〽樹高は千丈 遠ざかることだけ憧れた
   落ち葉は遥か 人知れず消えてゆくかしら
   いいえ どこでもない 枝よりもっと遥かまで
   木の根はゆりかごを差し伸べて きっと抱きとめる〽

 材を漢籍に採ってはいるが、決して硬くはない。難物をも自らの掌中にした傑作だ。『樹高千丈』は「遠ざかることだけ憧れた」に、『落葉帰根』は「木の根はゆりかごを差し伸べて きっと抱きとめる」にメタモルフォーゼしている。見事というほかない。
 『樹高千丈』を上昇、成長志向、中心、集約志向と捉えるなら、『落葉帰根』はそれらの逆行ともいえる。団塊の世代がリタイアメントを迎えたことやロハス志向もあり、当今「憧れの『田舎暮らし』」が話題だ。トレンドは若い世代にも及んでいるらしいが、たつきを考えると難しい面がある(一部ではSOHOの活用もあるが)。「空き家問題」とも併せ、時代を読んで政治がどう手を打つか。期待したい。
 イシューは「憧れ」にある。筆者は一丈にも満たぬ『樹低』で落葉帰根となったが、千丈の樹高で帰根に身を焦がす友垣を散見するようになった。近年頓にだ。
 老親を介護する喫緊や如上の志向とは明らかにちがう。農耕民族のDNAといってしまえば身も蓋もないが、埋み火のような情念だ。生来的な希求だ。でなければ、“Take me home,country road”と唄うジョン・デンバーに琴線を掻き毟られはしない。

 望郷は歌になる。ジャンルを問わず、また都鄙の別なく。なぜなら、深く生き物のありように拘わるからだ。
 帰根を希う友よ、「木の根はゆりかごを差し伸べて きっと抱きとめる」と信じてくれ。“Get Back”! 君の“TUCSON,ARIZONA”へ。

 年明けに、リマスター盤“THE BEATLES 1”を聴いた。クリアな音にあらぬ想念が涌いた。 □