労働安全管理の技法が拡がったのか、と誤解してしまった。「空気を」のK、「読めない」のYで、「KY」という。転じて、「空気を読め!」にも使う。ことし、急伸張した。
旧来のKYとは「危険を」のKと、「予知する」のYで「KY」だった。労働災害を防止するための活動のひとつである。実際に作業をする人たちがみずから、これから取り掛かる作業に潜む危険を予知し、対策を講じるというものだ。与えられる受け身の安全策ではなく、自分で考え、自分で手を打つ。いわば「ころばぬ先の『知恵』」である。働く場から事故を防ぐ有力な手立てである。
まさか若者たちが、日常的に「危険予知」を実践しているわけではなかろう。訊いてみて誤解は解けた。
いまや定番の「H」だって、「変態」のイニシャルだ。大正時代の女学生が作ったらしい。イニシャルを隠語のように使うのはよくあることだ。最近は複数の文節のそれぞれを取って使う場合が増えている。
さて、以前紹介した「江戸しぐさ」の越川禮子氏が次のように述べている。
~~いつの世もそうですが、その場の雰囲気を読めない人はいるものです。「空気が読めない」などともいいますが、要は、状況が把握できない人。いまどういう状況か、まったくわかっていない、観察力のない人ともいえるでしょう。
以前、知り合いのお通夜で故人の過去の行状を長々と話している人がいました。よく聞くと、どうも故人の失敗談ばかり話している様子です。自分がいかに故人と親しかったかを誇示しているようでしたが、その内容は耳障りなことばかり。通夜の席は、たしかに故人を偲び、その思い出を語る場ではありますが、語りすぎてはいけません。周囲にいる人も、初めは耳をそばだてていましたが、だらだらと長話になるにつけ、あからさまに不快感を表していました。
その人は、たぶんリタイアされている人で、現役時代はそれなりの地位があったのでしょうか、誰も注意もしません。もちろん当の本人も、そんな周囲の空気を読めません。場所柄をわきまえず、本当に野暮な人だなという印象だけが強く残りました。
江戸の「バカ」というのは、TPOをわきまえない人をさしたといいます。「こんな場所でそんなことを言う奴がいるか、バカ者」というわけです。まさに、通夜のその客こそ「バカ者」。まったくTPOをわきまえていません。
江戸しぐさには、「本を読むより、人を見よ」という教えがあったそうです。いまこの人は何を考えているか、どう思っているかなどをよく観察して、判断しなさいということです。その場の雰囲気を読むというのは、まさにこのことではないでしょうか。この場にいる人たちは、どう思っているのだろうか、このひとつのことを考えるだけで、空気は読めるはず。人を見、自分はどう見られているかを思えば、私たちが野暮な人と思われることはないのでしょう。~~(日本文芸社「野暮な人 イキな人」から)
江戸の代においても、KYはバカで野暮だと嫌われた。決してイキではない。野暮天のKYだ。と、なにやら旧来型のKYと似てこないだろうか。旧型は労働現場の災害を防ぐため、新型は人間関係の軋轢を防ぐため。どちらも不都合、不利益を事前に回避するための知恵だ。このこじつけは結構いけるかもしれない。近ごろは新型KYについては仲間付き合いに限らず、職場での会議をはじめ実務面でも多用されるようになっている。
ところが、一月三舟である。今月14日、朝日新聞の「声」欄に以下の意見が寄せられた。
~~「KY」に見るいじめの風潮 大学生(鹿児島市21歳)
「KY」という言葉が若者の間ではやっている。「空気(K)が読めない(Y)」ということである。
私の周りでもよく笑いのネタで使われている。しかし、この言葉に私は違和感を覚える。なにか社会のゆがみが反映されているように思えるのである。
「空気が読めない」とは、大多数からもれた人を指すのである。変わった人間、少数派を排除しようとしていると、とらえられないだろうか。ニュースではいじめの問題が取り上げられ、弱いものいじめはいけないと、叫ばれている。にもかかわらず、世間には空気を読めない人をバカにするという風潮がある。そこには弱者切り捨て、格差社会といった問題が浮き彫りになっているのではないだろうか。
こういった言葉がはやり、笑いのネタとなっているということ自体、矛盾を含んでおり、私は居心地の悪さを感じる。私たちは人間として、もう一度道徳というものを考える必要があるのではないだろうか。~~
いやはや、頂門の一針である。「癖ある馬に乗りあり」という。癖のある馬でも調教次第だ。上手の手にかかれば、「癖馬」が駿馬となる。言葉も同じ。『癖ある言葉』も使い方次第で光る。だが、癖玉を不用意に投げると、ストライクを取るどころかビーン ボールになってしまう。「声」にあるように「居心地の悪さを感じ」させるようでは、それこそKYではないか。野暮ではないか。「KY」と言い募る当の本人が野暮天もいいとこ。「癖ある馬」に振り落とされて、おまけに蹴られて、赤っ恥だ。□
☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆
旧来のKYとは「危険を」のKと、「予知する」のYで「KY」だった。労働災害を防止するための活動のひとつである。実際に作業をする人たちがみずから、これから取り掛かる作業に潜む危険を予知し、対策を講じるというものだ。与えられる受け身の安全策ではなく、自分で考え、自分で手を打つ。いわば「ころばぬ先の『知恵』」である。働く場から事故を防ぐ有力な手立てである。
まさか若者たちが、日常的に「危険予知」を実践しているわけではなかろう。訊いてみて誤解は解けた。
いまや定番の「H」だって、「変態」のイニシャルだ。大正時代の女学生が作ったらしい。イニシャルを隠語のように使うのはよくあることだ。最近は複数の文節のそれぞれを取って使う場合が増えている。
さて、以前紹介した「江戸しぐさ」の越川禮子氏が次のように述べている。
~~いつの世もそうですが、その場の雰囲気を読めない人はいるものです。「空気が読めない」などともいいますが、要は、状況が把握できない人。いまどういう状況か、まったくわかっていない、観察力のない人ともいえるでしょう。
以前、知り合いのお通夜で故人の過去の行状を長々と話している人がいました。よく聞くと、どうも故人の失敗談ばかり話している様子です。自分がいかに故人と親しかったかを誇示しているようでしたが、その内容は耳障りなことばかり。通夜の席は、たしかに故人を偲び、その思い出を語る場ではありますが、語りすぎてはいけません。周囲にいる人も、初めは耳をそばだてていましたが、だらだらと長話になるにつけ、あからさまに不快感を表していました。
その人は、たぶんリタイアされている人で、現役時代はそれなりの地位があったのでしょうか、誰も注意もしません。もちろん当の本人も、そんな周囲の空気を読めません。場所柄をわきまえず、本当に野暮な人だなという印象だけが強く残りました。
江戸の「バカ」というのは、TPOをわきまえない人をさしたといいます。「こんな場所でそんなことを言う奴がいるか、バカ者」というわけです。まさに、通夜のその客こそ「バカ者」。まったくTPOをわきまえていません。
江戸しぐさには、「本を読むより、人を見よ」という教えがあったそうです。いまこの人は何を考えているか、どう思っているかなどをよく観察して、判断しなさいということです。その場の雰囲気を読むというのは、まさにこのことではないでしょうか。この場にいる人たちは、どう思っているのだろうか、このひとつのことを考えるだけで、空気は読めるはず。人を見、自分はどう見られているかを思えば、私たちが野暮な人と思われることはないのでしょう。~~(日本文芸社「野暮な人 イキな人」から)
江戸の代においても、KYはバカで野暮だと嫌われた。決してイキではない。野暮天のKYだ。と、なにやら旧来型のKYと似てこないだろうか。旧型は労働現場の災害を防ぐため、新型は人間関係の軋轢を防ぐため。どちらも不都合、不利益を事前に回避するための知恵だ。このこじつけは結構いけるかもしれない。近ごろは新型KYについては仲間付き合いに限らず、職場での会議をはじめ実務面でも多用されるようになっている。
ところが、一月三舟である。今月14日、朝日新聞の「声」欄に以下の意見が寄せられた。
~~「KY」に見るいじめの風潮 大学生(鹿児島市21歳)
「KY」という言葉が若者の間ではやっている。「空気(K)が読めない(Y)」ということである。
私の周りでもよく笑いのネタで使われている。しかし、この言葉に私は違和感を覚える。なにか社会のゆがみが反映されているように思えるのである。
「空気が読めない」とは、大多数からもれた人を指すのである。変わった人間、少数派を排除しようとしていると、とらえられないだろうか。ニュースではいじめの問題が取り上げられ、弱いものいじめはいけないと、叫ばれている。にもかかわらず、世間には空気を読めない人をバカにするという風潮がある。そこには弱者切り捨て、格差社会といった問題が浮き彫りになっているのではないだろうか。
こういった言葉がはやり、笑いのネタとなっているということ自体、矛盾を含んでおり、私は居心地の悪さを感じる。私たちは人間として、もう一度道徳というものを考える必要があるのではないだろうか。~~
いやはや、頂門の一針である。「癖ある馬に乗りあり」という。癖のある馬でも調教次第だ。上手の手にかかれば、「癖馬」が駿馬となる。言葉も同じ。『癖ある言葉』も使い方次第で光る。だが、癖玉を不用意に投げると、ストライクを取るどころかビーン ボールになってしまう。「声」にあるように「居心地の悪さを感じ」させるようでは、それこそKYではないか。野暮ではないか。「KY」と言い募る当の本人が野暮天もいいとこ。「癖ある馬」に振り落とされて、おまけに蹴られて、赤っ恥だ。□
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