今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

冬の熊谷・聖天堂

2015年01月25日 | 東京周辺

熊谷といえば、埼玉北部を代表する市で、最近では”暑い”ことで有名。
その熊谷に日帰りで行ってきた。
もちろん、厳冬期なので暑くはなかった。 

実は私にとって熊谷は、一時期、通勤の地であった。
昔、立正大学(熊谷キャンパス)で非常勤をやっていた時、往きは東武で森林公園に行き、帰りはバスで熊谷に出て帰宅していたのだ。
ただ、授業は短大夜間部だったので、熊谷に着くのは毎回夜であり、駅ビル内で夕食を食べて電車に乗るだけで、駅の外に出たことはなかった。
短大の昼間部(こちらも担当)は女子ばかりだが、夜間部は逆に男子ばかりで、わが大学教員人生において唯一男子学生を相手にした授業だった(新鮮な気分)。

それはいいとして、なぜ今熊谷に行ったのかというと、
熊谷の北にある妻沼(メヌマ)聖天堂が、日光の陽明門に見まがう派手さいうことを知り、それを見に行こうと思ったから。
この聖天堂、築は江戸中期だが、最近の大々的な修理によって建築当時の彩色が復活したため、平成24年見事に国宝に指定された。

名実ともに陽明門に匹敵するわけだ(埼玉では唯一の国宝建築!)。 

熊谷に着いたのが正午だったので、駅そばでも食べようかと思ったが、バスの便がよすぎて、待ち時間なく聖天堂行きに乗る。 

昼を食べ損なったので、まずは境内脇の騎崎屋という店で「実盛公うどん」(650円)を食べる。
そういう名のうどん(寺で売っている)に、黒い海苔の上に地元のとろろの細切りが載っているのが、実盛(サネモリ)の白髪を模しているのだという。
その他に蒲鉾とシイタケもついてくる。
店の応対も丁寧だった。

この聖天堂、まさにその斎藤別当実盛(老齢の身で源平の戦に奮戦したことで有名)が建てた寺で、彼の銅像もある。

誰でも見れる聖天堂の拝殿にも彩色はあるがこちらは控えめ。
国宝の対象になっている奥の本殿は拝観料700円を払う(拝観料は今後の維持費に充てるという)。 

本殿に達すると地元ボランティアが数人の客に説明中だったので、一緒に聞き入る。
陽明門と、いや各地にある江戸時代のお堂と同じく、中国の故事・風俗が彫刻されているが、それが3方の壁一面にしかも彩色されている点がすごい。 
客の一人が発した「なんで中国ばかりで日本の話でないんだ」という文句には、少し共感。

日光の左甚五郎の彫刻には及ばないが、色彩が施されただけで見栄えがまったく異なる(写真)。
日本人は、いつからか、極彩色よりもさびてくすんだ色彩の方を格上の美としたが、仏像やお堂など造られた当初は皆極彩色だった。
既存の美意識にこだわらず、素直な心で観賞したい。

といっても観賞に値するのはここだけなので(これが日光と異なる)、昼食を入れても1時間あれば充分。

熊谷行きのバスで往路を戻る。
ただし、駅まで行かず、その手前の「気象台入口」で降りる。
ほんの数年間とはいえ、「暑さ日本一」の記録を保持した熊谷地方気象台を素通りするわけにはいかないからだ。

気象予報士にとって気象台は聖地。
残念ながら建物内にはふらりと入ることはできないが(要予約)、気象観測が行なわれている露場(ロジョウ)を拝めれば、聖地巡礼を果たしたことになる。 
周囲を歩きまわって、露場を遠望することができた(写真はズーム)。

ここは正しく土の上に芝が敷かれていて、地面がコンクリの”館林”(最近は熊谷より高温を出している)に比べてハンディがあると、地元では不満が表明されている。

ここから駅まで歩く。

まず熊谷の地名と関係ありそうなので気になっていた熊谷(ユウコク)寺。
だがここは念仏道場のため門が閉ざされ、立入できない。
隣接する伊奈利社を詣で、原っぱ的公園になっている千形神社に立寄り、最後に熊谷の鎮守たる高城神社に達する。

ここは女性が次々とおとずれ、丁寧に時間をかけて祈り、境内を出る時も深々を礼していく。
かように特に女性の崇敬を集めているようだ(縁結び、安産の御利益を謳っているためか)。

境内に熊野神社があり、そこの説明では、昔この地に猛熊が跋扈し人々を悩ませていたという。
それを熊谷次郎直実(クマガイジロウナオザネ)の父直貞が退治して、熊野社を築いたという(当初の社はこの地でない)。

熊谷直実(熊谷真実じゃないよ)といえば、斎藤実盛と並び、源平合戦で活躍した武蔵武士のホープ。
武蔵武士は、秩父平氏系統なので、同じ武蔵でも東京より埼玉が本拠地。
熊谷氏はここ熊谷を名字の地としたわけだから、地名の方が先だ。
その地名は、ホンモノの熊に由来していたということか。

熊谷駅に着いて、地酒「直実」と熊谷名物「五家宝」を実家の土産に買った。
母は「五家宝」を懐かしみ、私は「直実」を賞味した。

私なりの”熊谷”を堪能した一日だった。