宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生
予防的な使命をもって患者に接することができないと、ひどい欲求不満に打ちひしがれることが、しばしばある。最近送られてきた手紙を以下に紹介するが、ここには誠実だが、研修不十分な歯科医師の苦悩がにじみ出ている。
”もう一度、予防に取りかかれるかだうかを試してみようと、そこ(ASPD会議)に出かけました。ときどきは実行しているのですが、(財政的に)報酬はほとんどありません。でもそれによって少なくとも根管治療や修復処置が大いに向上したので、あまち気にはしていません。
先週来院してきた患者(テレビのアナウンサー)が修復処置には88ドル支払ってもいいが、30分ばかりの顕微鏡・フロス・ブラシの指導に7ドルも支払うのはバカバカしいと受付に話した時に、何かわかったような気がしたのです。仕事は私の人生から喜びを奪ってしまったのです。そのようにしてまで収入を守らなくてはならないなんて、あまりにもひどいと妻は話します。今では喜びも、楽しみも感じなくなってしまったのです。
お勧めいただいた本を、まだ読んでいませんが、来週には読むつもりです。そうすれば多分、予防の仕事ができるようになり、報酬も得られるでしょう。
それ(予防)をやってのけるには、ビリー・グラハムのような人や、あなたのようにダイナミックで感動的な人でなければいけないのではないかという疑問が、常に心の中にあります。私は一生懸命やってきました。そして道義的職業上の義務は、ある程度果たしてきたと思うのです。どうか信じてください。私は懸命にやってきました。”
これがジレンマなのである。治療中心の歯科医界は、装備が不十分で、歯科的健康を要求している人々にうまく対処できない。真の予防指導に支えられていない治療は、結局失敗に終わる。しかし、一般社会は歯科医師を教師とは考えない。次の章では、ジレンマを引き起こすような歯科医学の、さまざまな分野について検討する。さらに、これからの進むべき新しい方向について触れることになる。