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山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

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■ゆめ機構・代表 

咬合再構築のP-M-Sフィロソフィ教本:抄録ー51

2014-01-29 | 咬合病・修複歯科関連分野:論文など翻訳紹介

宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

 

咬合はもっとも遠心にある鋳造対から、最小限の圧を加えながら調整する。これより前方のすべての鋳造体は顆頭が変位しないようにしながら、ワックスを用いて強い咬合力をもって調整する。前歯部誘導鋳造体のはの内から、遠心側の鋳造体を装着する。咬合は次の3段階で修正する。

(1)中心位、(2)作業側での機能域、(3)非作業側はフリー(無接触)にする。

それぞれの鋳造体は、次の鋳造体を装着する前に、個々にこの3段階で調整する。

 

 

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パンキーフィロソフィ(106)

2014-01-27 | L.D.パンキー歯科診療哲学:講演抄録

宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

 

その後に、ご主人に相談相手として来院してもらい、彼女の状態を話しました。その場のツギハギ治療しかしないような歯科医師であれば、相談相手としてご主人に来てもらうようなことはしないものです。そして、本当に広範囲な治療が、つまり機能回復治療が必要となる時期になったら、そのときは大変なことになるのです。それまでに何度か受けた治療をすべて合わせたよりも、もっと多くの治療が必要となり、多額の費用を支払わなくてはならないことになるのです。

 

前述しましたように、治療費が支払えないのであれば、カラス2?の患者に差をつけるべきではありません。あなたが信用できると判断されたのであれば、保険などの第三者のプログラムをベースに診療して、残りの差額を患者に支払わせることです。

 

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音楽のまちづくり100人委員会ー24(21)

2014-01-23 | 私の愛する街「宝塚」

歯科医師・山田忠生

出演者の準備ー2

神戸女学院生ボーカル&ピアノアンサンブル

ボーカル・1名、そしてピアノ・バイオリン・チェロの編成だ。これも縁あってのことだろうか。この『研修会』に同じく出演されているクラシック・ギタリストのK氏とは、親しくお付き合いをさせていただいている。その関係で二人で食事をしているお店での出来事があった。その『研修会』の話をしていると、お店のご主人が、「今、アルバイトできている神戸女学院の学生さんは声楽を専攻していますよ。」と話しかけてこられた。その場で交渉成立。「出演されますか。」 「面白そうですね。友だちを誘ってみます。」

そして、5人で参加。とても初々しい演奏だった。

 

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言葉の一人歩きー2

2014-01-21 | 「歯福のひととき」レターより転載

宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

 

歯科医師の理解とまったくかけ離れて、一人歩きをしている誤解と偏見と無知にまみれた「歯周病」を、きちんと正すのは歯科医師しかいない。

 

「歯周病」を手短に、正確に専門家でない人々に説明するのは正直、至難の業である。

しかし、これは何も「歯周病」に限ったことではない。プラック・プラーク・バイオフィルムもそうだ。すべての表現が同じことを指示しているが、使用する専門家が自分に都合の良い言葉だけを使っている。これを身勝手というのだろうか?

 

結果として聞かされる人々の中には混乱だけが生じることになる。それぞれの言葉が一人歩きをして、まったく異なったもののように印象づけられる。学問的な使用はともかくとして、一般の人々を患者として診療に従事する臨床歯科医師こそが、混乱を起こさせないよう的確な使用をしなければいけないと考え、自省しなければならない。

 

患者と歯科医師とのよき人間関係は、言葉を通してのみ成り立つものであるだけに、何よりもその言葉の使用には慎重で、賢くあらねばならないと考える。

 

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議場の開かれた活用を考えるー3

2014-01-20 | 議場の開かれた活用を考える

宝塚アートサポート・山田忠生

 

私は当地、宝塚仁川で歯科診療所を開設したのが1977年なので、今年で37年目を迎える。その37年間は基本的に診療所内に仕事上で拘束されているような状態であり、それが他s殻塚仁川であっても、痛みであっても、極点にいえば東京であっても仕事の質と内容においては大きな変化はないだろう。これは勤務時代においても、同じ質とレベルの診療を数か所の診療所で実施してきたことからもいえると思う。いわゆる「町医者」である。

その私が「先生」という肩書を横に置いて、「一個人」として診療所を飛び出し、主に宝塚市内で活動を始めたのは、1992年のことだった。以来、今日まで「歯医者」の傍ら、さまざまな活動をしてきた。いや、過去形ではなく、今も、これからもそうしていくつもりだ。

そのような市民文化活動を通して、私が考える宝塚の抱える課題、問題点、そして私の希望や願いを、それなりにかなり持っている。分類方法にもよるだろうが、10項目以上あると思う。

そのような中で、何度か議会を傍聴している中から、ある願いが浮かんだのである。それを、これから順次、説明していきたい。

 

 

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