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山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

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咬合器のある人生ー27

2016-08-05 | デンタル・トーク
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


”武士は食わねど高楊枝”

咬合器を傍らにおいて考えてみることにした。

”名誉を重んじ、貧しくて食事がとれないときでも、満腹を装って爪楊枝を使う”ことからの「ことわざ」だとか。
また、”高楊枝”とは、”食後ゆうゆうと爪楊枝を使う”という意味だそうである。英語圏でも、”借金を背負って起きているくらいなら、夕飯抜きで寝ているほうが良い”という言葉があるそうだ。
しかし、ここには”名誉を重んじる武士”は存在していないので、決定的に違ったものだといえる。

ここで重要なポイントは”名誉を重んじる”ということだ。はたして歯科医師が、”名誉を重んじる”存在であるかどうかを自問自答すると、返答に窮する。

「パンキーフィロソフィ」の書物の中に、以下のような一節があった。

私は単純な人生のあり様を好む、
雨の日もあれば、晴れる日もある、
ひときれのパン、わずかな果物、
少量のワイン―そして―お金!



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咬合器のある人生ー26

2016-06-18 | デンタル・トーク
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


”原点に返って”

咬合器を傍らにおいて考えてみることにした。
あるいは、”原点に戻って” も同意語だろうか、「すごろく」でいえば、”ふりだし”に戻るということだ。
私は、ほとんど使ったことがない、というか使いたくないので使わないという方が適切か。およそ、時間の流れ、過去は取り戻せないということからも、”原点に返る”ことなど、できることではないだろう。つまり、取り戻すことなど不可能だと考える。

しかし、基本に忠実であることは大切だ。ある言葉を思い出す。正確な表現かどうかは定かではないが、大きくは間違っていないだろう。「目の前に存在する患者をいかに大切にして、最善を尽くすか。すべては、それにかかっている。」

質の高い診療を継続して実践していくための、歯科医師としての基本姿勢だ。



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咬合器のある人生ー25

2015-12-22 | デンタル・トーク
歯科医師・山田忠生


“すったもんだの末”

咬合器を傍らにおいて考えてみることにした。日本人は、などと大上段に構えるほどのことではない。かつて、私の所属していた歯医者の勉強会での出来事だった。回り持ちでもあり、ちょうど幹事に就任した。何かの事情で会則の改正がもちあがった。数十人の歯科医師の任意団体であったが、会則が存在していた。とにかく、もめた。二つの意見に分かれたと記憶している。

適宜適切に、会則といえども改正するべきだという意見。対して、会則というものは大切なものであるから、簡単に変えるべきではないという意見。

そして、この会は発足以来、その会則を順守して今日まで続いてきたのであるから、その原点の会則は変えるべきではないという意見が勝り、結果として改正しないということになった。
改正が話題となった当初は、改正派が多数を占めていたのだが、いざ変えることに自らが手を挙げて賛成するかという段になったとき、躊躇する人が増えていった。

“すったもんだの末”に会則は改正されることなく、そのままとなった。一体、あの議論は何だったのだろう。つくづく、現状を変えることへの不安、何とかなるなら明日も今日と同じでいいじゃないという無責任さが圧倒的な力をもっていた。

“すったもんだの末”、何も変わらないで、何も変えないで、今日も過ぎていくのが、日本人の理想的な日々の過ごし方なのだろう…。


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咬合器のある人生ー24

2015-09-18 | デンタル・トーク
歯科医師・山田忠生


“大学の先生の胡散臭さ”

咬合器を傍らに置いて考えてみることにした。もうかなり前の出来事だ。ある大学に講師として残っていた先生の話だ。その先生が紹介されたのは、その教室の高名な教授が発表された論文だった。
しかし、実際にはほとんどその講師であった先生が担当されたそうだ。詳細な論文の内容は覚えていないが(覚えるほどの価値もなかったので)、修復歯科に関する研究で、経過を追跡調査された結果の報告だった。
見るからに、私たち一般臨床医とは違うということを見せつけたような自身たっぷりな話しぶりだった。

そこで私は質問をした。「どれ程の期間、追跡されたのですか。」 その先生からの返答は、「約6か月、追跡した結果の結論です。」

私は言葉を失った。後は、独り言である。「たった6か月の調査で結論とは、何という短期間。私たち臨床医の治療の成果は、少なくとも数年単位でみていかなければ、安心して患者さんに提供できないと考えている。それが、大学の研究室では何といい加減な研究で、成果を報告しているのだろうか。」

その後は、何となく当たり障りのない話をしたように思う。そして、恩師のこのような言葉を思い出した。「日本では、大学の先生の研究結果といえば眉唾もので、そのまま信用できないようだが、アメリカでも同様だと、あの有名なアメリカの臨床歯科医師(あえて、名前は伏せますが)が私に語ってくれた…。」

“大学の先生の胡散臭さは、文系も理系も、昔も今も、変わらないのだろうか…。”



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咬合器のある人生ー23

2015-09-15 | デンタル・トーク
歯科医師・山田忠生


2年前の『口福寄席』&“歯福の講演会”だった。毎回、講演会には参考資料を独自に製作し、全員にお渡ししている。このときには、それに加えて「咬合器に装着された歯型」を使い、それを会場で見せながら講演をした。初めて見たという方がほとんどだった。もちろん、私の患者さんを除いてだが。

そして、前回も持参してご覧にいれた。公開もそうする積りだ。もちろん、使用する歯型は講演内容に合わせた症例の模型を選択して採用している。約100人という結構な参加者なので、どこまでその違いがわかるかといえば大いに疑問だが、専門家としてはしっかりそこにもこだわっている。

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