山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

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■ゆめ機構・代表 

マークス「完全歯科医業学」概要:124

2012-08-31 | マークス「完全歯科医業学」概要:パンキー
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


患者からの見解として

1・研究用模型は、多くの患者にとって新しい経験であるが、歯科医師が綿密で注意深くあり、そして患者を守り、将来の危険性を防止するのに寄与するすべての診断器具を利用している、という歯科医師の主張の正当性を立証するものである。さらには、患者はまずレントゲン写真は”読影”できないが、中にはできそうに装う患者もいるが、そのような患者も研究用模型を使って指摘することで、容易に認識することができる。

2・研究用模型は破壊過程の程度を見せる補助具として用いられており、同じタイプの異常を示す模型や、患者自身の結果の効果を示す模型は、患者が治療の必要性をより一層正しく評価するものである。

3・たとえ手鏡を使用しても、患者が自分の個々の歯を完全に見ることはむずかしい。診断を提示するときに、この模型は患者が理解する手助けとなる。



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TOKYO-NEWYORKコンセプト1983-(49)

2012-08-31 | 山田忠生:論文・提言などなど(過去から現
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


この時期こそが、1963年から実施された制約診療である保険診療と、「三種の神器」を契機として実施可能となった現代歯科医学に基づいた診療が、きっちりとさせた関係にするべき時期ではなかったかと考えます。
しかし、目先のあふれるばかりの華やかな量と質に圧倒され、消化不十分なまま、旧来の歯科医学をされている歯医者と一緒になって浮かれすぎたのではないかというのが、今日から振り返っての反省点であります。本当に理解し、吸収することに汲々としていたように思います。


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第7回:桂文三の『口福寄席』&山田忠生の”歯福の講演会”-17

2012-08-30 | 独断と偏見と異見
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


さっそく残りの巻も買い求め、いよいよ調査開始となった。ついついストーリの面白さに読んでしまいがちなのを、そうではなく”ブラック・ジャックがブラッシングをしている絵”を探しているのだと言い聞かせながら、進めていった。

予想通りというか、”見つけた!!”という絵に出会った。やはり、”ブラック・ジャックは歯を磨いていた”。それがいつで、どのような方法でということが、私の講演内容に関わってくる。

それは取りも直さず、手塚治虫氏の当時の歯科知識を反映したものであり、私としてはその手塚氏の知識は予想通りだった。これを話の端緒として講演内容を組み立てることとした。



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音楽のまちづくり100人委員会ー24(13)

2012-08-29 | 私の愛する街「宝塚」
歯科医師・山田忠生


☆1月29日には、読売新聞に掲載された。ここには、出演を承諾されたアマチュアのコーラス・グループと、宝塚交響楽団のピックアップ・メンバーからなる弦楽アンサンブルの皆さまのベガホールでの練習風景の写真も大きく紹介された。


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今年は開業して35年目ー4

2012-08-28 | 独断と偏見と異見
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


「山田先生、どのように編集、校正しましょうか…。」
私の診療所を初めて訪れられた阪本さんは、とても穏やかな声で話された。「実は、以前に自然科学関係の先生の編集校正をさせていただいたことがありました。そのときに、その先生から門外漢の君に何がわかるのかと、とても叱られたことがあります。確かに、今回もわからない分野の文章の編集ですので、どのようにでもさせていただきます。」

そして、今思い出しても赤面するようなことを私は話した。「どうか、気にされずに、おかしいと思われるところはチェックしてください。私も質の高い翻訳書にしたいと考えていますので…。」そう話して、多分最初の原稿のかなりの量を手渡したと思う。

それまでに勤務時代も含めて、10数年にわたって、嫌いな英語ではあったが翻訳をした。多数の短い論文は別にして、4冊ほどは出版していた。
中には、パンキー先生の日本での講演収録を書き起こした文章の編集も経験していた。
つまりは、それなりに日本語の表現では、それなりの実力をつけていると自負していたのだった。



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