歯科医師・山田忠生
ここ10年ばかり、宝塚は行く先の見えぬまま漂流しているように思われて仕方がない。「漂流」とは、「風や波のまにまに流れたり、流されたりすること」とある。そして、その「まにまに」とは、「自分からは主体的に働きかけないで、相手のするままに任せて、それに従うことを表す」とある。
2014年は「宝塚市制60周年」、「宝塚歌劇100周年」、「手塚治虫記念館開館20周年」という記念するべき「トリプル周年」だと、宝塚市は囃し立てている。
その10年前は「宝塚市制50周年」、「宝塚歌劇90周年」、「手塚治虫記念館開館10周年」の記念するべき「トリプル周年」だったはずだ。
一体、この10年間、宝塚市はどこに向かっていたのだろう。
10年前、宝塚市は市制50周年を記念したロゴ・マークを作成している。マークとともに、キャッチコピーとでもいうべき言葉がそこに記載されている。はたして、何人の市民が知っているだろうか。何人の市職員が認識しているだろうか。
そこには、「誇れるまちに 新たな一歩宝塚」とある。思い出されただろうか。
以来、どこに向けて宝塚は一歩を、そして二歩を、三歩を歩んできたのだろう。それから10年後の2014年を、宝塚市は記念するべき「トリプル周年」だと煽り立てる。
2015年、宝塚市は、「宝塚市庁舎竣工35周年」で、「ベガホール開館35周年」を迎える。あるいは、宝塚市は記念するべき「ダブル周年」だとはしゃぎ立てるかもしれない。
”阪急”風のまにまに流れ、流される漂流都市「宝塚」が、当分続くのか…。