宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生
Dr.スカイラ―に私たちが教えていくのを援助してくれるよう求めたが、気が進まないようだった。「さあ、どうだろう。私の時代は終わっているのじゃないかな。どうして、君たち若いものでやってみないのかな。」と、彼は語った。後日、私たちの考えには数多くの反対があることが予想できたと打ち明けている。Dr.スカイラ―はニューヨークに限らず、アメリカ全土で非常に有名な歯科医師の一人であったため、この問題について本を著すことや、臨床指導している友人や同僚を困惑させたりすることを望まなかったのである。Dr.マンと私は、パンキー・マン・マニュアルを著した。私の有能な秘書であるローズ・クィックをセミナーの責任者にして教え始めた。
テクニックを教えるにあたって最大の問題は、歯科医師が咬合を理解していないということだった。当時、全米の、おそらく世界中の歯科大学で咬合を教えているところはなかった。私たちは、Dr.スカイラ―が彼の業績を提示することが重要であると認識をしていたので、パンキー・マンの指導もそれなしには成功しえないことを、加えて専門家による評価もなく埋もれさせてしまうことになるということを、Dr.スカイラ―に納得させた。ついに彼は同意した。そして、パンキー・マン・スカイラ―・セミナーが始まった。
私はDr.スカイラ―にインディアナのフレンチドックで、ミッドウェストのフィロソフィ・グループの会合で、メンバーとゲストに抗議するように説得した。出席をしたほとんどの人は咬合について聞いたこともなかったので、彼の講義に失望を感じ、不満を募らせた。内容がほとんど理解できないため、議長に抗議も行なった。その中で2人だけがDr.スカイラ―の話すことを理解した。オクル―ザル・リハビリテーション・セミナーのメンバーであるDr.F.ハロルド・ワースと、テキサス州コーパス・クリスティのDr.デイビッド・ムーアだった。彼は以前に私のオフィスで1週間過ごしたことがあった。他のほとんどの人は、2日間を無駄に過ごしたと感じていた。