宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生
いわゆるテレビや新聞などで紹介される歯科情報には、明らかに間違ったもの、あるいは不適切な情報などがあることに気がついて、少なくとも私の患者さんを始め、知り合いの方々に何らかの機会でそれを正していきたいと考えたのが、この講演会である。
今年が7回目となる。当初からタイトルは“笑う講演会”として開催してきたが、特に他意はないが今回は“歯福の講演会”ということで開催する。
いつもお伝えしたいという想いが先走り、内容を詰め込みすぎているのではという反省はある。しかし、それぞれの人で歯科知識の程度や関心なども異なるわけで、私の噺のどこかが参考になればと考えている。
1968年に歯科医師になったので、今年で「歯医者歴・44年」ということになり、1977年に宝塚仁川で開業したので、今年は35年ということになる。私にとって1970年から1980年までの10年間というのは、現在の「歯医者人生」を決定づけた10年といえる。また、歯科界全体においても、かつて経験しなかった変革と激動の10年であり、その後にはこれに匹敵する年代はないように思う。
つまり、この1970年代の歯科界は、古い価値と新しい価値が無秩序に入り乱れ、少なくとも日本の多数の歯医者は、羅針盤も海図も持たずに出港する小舟の船長であったと推察する。残念ながら、この状況は今もあまり変わっていないようである。
その直中の1973年から5年間、手塚治虫氏が描く天才無免許医師“ブラック・ジャック”が活躍したことを多くの方々はご存知だろう。
今回、宝塚市立手塚治虫記念館の協力も得て、この“ブラック・ジャック”のすべての作品から、当時の歯科的な常識を推理し、それは取りも直さず手塚治虫氏の歯科知識であるわけだが、多くの方々も未だにそれを歯科常識としていることの、『ある証拠』を示す予定である。