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山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

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歯科診業パンキー哲理:6

2012-03-28 | パンキーフィロソフィ:日本語版山田忠生新
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


ニューキャッスルの“上流階級”-お金持ちの人々ーは、歯の治療にはルイスビルに出かけた。この人々は地方の歯科医師を見下していた。というのも、単に歯を抜き、義歯をつくり、それを維持することしか行わないように思っていたからだった。おおむね、これは間違いではない。私の治療のほとんどは歯を抜いて義歯をつくることだった。

歯科治療をしていくのに加えて、Dr.ハミルトンの行っていたもう一つの仕事も引き継いだ。それはホールの向こうで診療をしているDr.エリソンの許で吸入と点滴によるエーテル麻酔を手伝うことだ。私が子どもを寝かせると、Dr.ハミルトンがすばやく扁桃腺を切除する。朝早く開始して、9時か10時には終了した。しかし、私自身が回復するのに午前中はかかっていた。つまり何時間も子どものそばに立っていて、子どもと同じようにエーテルを吸い込んだからだと確信している。幸運にもDr.エリソンに協力している間に、オハイオ州トレドにあるマケソンカンパニーに行って、1か月にわたって笑気を使った新しい麻酔技術を学ぶことができた。この新しい麻酔薬は患者にとって、そして私にとって副作用が少なくて、エーテルと同様に作用することがわかった。

ニューキャッスルで私に起こった最高の出来事は、後になって私の妻となったアンナ・パースとの出会いだった。彼女はニューキャッスルで生まれ育ち、学校の先生をしていた。父親は町で食料雑貨店を経営しており、私はすぐにパース氏と知り合いになれた。というのも私の父はイリノイ州シャウニータウンで同じような店を、かつては経営していたからである。

事実、私の歯科への関心というものはシャウニータウンで育ったときから始まっていた。高校1年のとき、その土地の歯科医師の技工を手伝う仕事をした。両親はその嬉々として仕事をしている私を見て、歯科医学を勉強するように励ましてくれた。



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