goo blog サービス終了のお知らせ 

山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

■ホームページ検索 ⇒ yamadashika-ec.com
■ゆめ機構・代表 

歯科診業パンキー哲理:4

2012-03-12 | パンキーフィロソフィ:日本語版山田忠生新
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


私が帰るに際して、彼は、「Dr.パンキーにあの小さな封筒を渡してくれないか。」と彼の妻に言った。私が生活をしていくのにお金を必要としていることも知っており、細やかな配慮をしてくれた。「2週間以内に行って、引き継ぎをするように。」と彼は言った。「それから適当な時期に、そう2~3か月後に戻ってきて、新しい設備費をどのように支払いたいかを私に教えてくれないか。」
新しい設備とは、新式のレントゲン装置、チェア、台付きスピットン、ライト、リッターの電気エンジン、アメリカ式キャビネットである。他のものは待合室や技工室も含めて、すべてをそのまま使用した。Dr.クラッチャーは診療所購入費用をDr.ハミルトンに支払い、2週間後に私はその診療所を引き取った。この104年間で、典型的な田舎町の街角を見下ろす薬局の2階で開業する4人目の歯科医師となった。

たった一つ違っていたことは、私が正当と考える費用に値上げをしたことだ。Dr.ハミルトンは抜歯に50セント、上下の総義歯は75ドル(彼の診療の大部分)、アマルガムとシリケート充填は2ドル、インレーやブリッジは1単位が10ドルだった。私は抜歯を1ドル、総義歯を100ドルにした。その当時、労働者は1日10時間働いて1ドルを得ていたので、その比率からすれば私の当時の費用は今日のそれとあまり変わらないものだった。
開業から約1か月後、ルイスビルにDr.クラッチャーを訪ねた。というのは、支払いをきちんとしたかったのだ。ところが彼はほとんど関心を示さない。「なぜ、もう2~3か月待てないのかね。」と語った。もちろん、私はそれに同意した。今日では、若い歯科医師にこのような期待はできないと思う。
ものごとは60年前とは同じようにはいかないのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする