本郷和人『天皇はなぜ万世一系なのか』(文春新書、2010年11月)
私的にはタイミング良く本郷和人氏の新著が刊行されたので、これも読んでみることに。タイトルが随分とキャッチーですが、中身の方は本郷氏が今までの著書の中で取り上げた事項等を「世襲と才能」というテーマを軸にまとめ直したもので、今までの著書とかなりネタがかぶっております。中国のような官僚制が存在しなかった日本において、朝廷・幕府・寺社が高貴な血筋を重んじつつ実務家をどのように登用していったかが話の中心です。
本書の中で、特に平安時代の武士には残虐な戦士としての側面と、一通りの教養を身に付けた馬術・弓術などの芸能者(本書では「スポーツマン」と表現しています)としての側面とがあり、どちらが武士の本質かという議論がなされることがあるが、このような設問には意味がなく、武士は基本的には残虐な戦士であり、時たま突然変異的に教養を身に付けたスポーツマン的な武士が出て来るのだとしています。
これを分かりやすくまとめると、武士には基本的にラオウとかジャギとかサウザーみたいな奴らしかいないが、その中で稀にトキとかケンシロウみたいなのが出て来るということになるわけですね(^^;)
タイトルにある「天皇はなぜ万世一系なのか」という疑問については、日本は中国などと比べても支配者層の世襲をより重視するお国柄で、更に一夫多妻の状況下で皇子は常に余っており、皇女については皇族以外との結婚は避けられる傾向にあった。これにより、気がついてみれば自然と男系による皇統が連綿と続いてしまうこととなった。言わば「万世一系」とは計画的なものではなく、結果としてそうなったものにすぎないと結論づけています。このあたりは色々と異論があるところでしょうが……
私的にはタイミング良く本郷和人氏の新著が刊行されたので、これも読んでみることに。タイトルが随分とキャッチーですが、中身の方は本郷氏が今までの著書の中で取り上げた事項等を「世襲と才能」というテーマを軸にまとめ直したもので、今までの著書とかなりネタがかぶっております。中国のような官僚制が存在しなかった日本において、朝廷・幕府・寺社が高貴な血筋を重んじつつ実務家をどのように登用していったかが話の中心です。
本書の中で、特に平安時代の武士には残虐な戦士としての側面と、一通りの教養を身に付けた馬術・弓術などの芸能者(本書では「スポーツマン」と表現しています)としての側面とがあり、どちらが武士の本質かという議論がなされることがあるが、このような設問には意味がなく、武士は基本的には残虐な戦士であり、時たま突然変異的に教養を身に付けたスポーツマン的な武士が出て来るのだとしています。
これを分かりやすくまとめると、武士には基本的にラオウとかジャギとかサウザーみたいな奴らしかいないが、その中で稀にトキとかケンシロウみたいなのが出て来るということになるわけですね(^^;)
タイトルにある「天皇はなぜ万世一系なのか」という疑問については、日本は中国などと比べても支配者層の世襲をより重視するお国柄で、更に一夫多妻の状況下で皇子は常に余っており、皇女については皇族以外との結婚は避けられる傾向にあった。これにより、気がついてみれば自然と男系による皇統が連綿と続いてしまうこととなった。言わば「万世一系」とは計画的なものではなく、結果としてそうなったものにすぎないと結論づけています。このあたりは色々と異論があるところでしょうが……
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