竹熊健太郎氏のブログを見ていたら、以下のエントリに気になる記述がありました。
「パンダとポニョ(1)」(たけくまメモ)
気になる所というのは、現在公開中の『カンフーパンダ』のあらすじを説明した部分です。(それ以外の部分もなかなか興味深いのですが、ここでは取り上げません)
そのあらすじを要約すると、カンフーオタクであるもののカンフーが全く出来ない主人公が重大な使命を託され、その使命を果たすためにカンフーの修行に励むことになるということになるようです。
これってストーリーの骨格が『ドラゴンキングダム』とまるっきり一緒なんですが、今のアメリカ人がカンフー物を撮ろうとすると、自然にこういうストーリーラインになっちゃうものなんでしょうか(^^;)
「パンダとポニョ(1)」(たけくまメモ)
気になる所というのは、現在公開中の『カンフーパンダ』のあらすじを説明した部分です。(それ以外の部分もなかなか興味深いのですが、ここでは取り上げません)
そのあらすじを要約すると、カンフーオタクであるもののカンフーが全く出来ない主人公が重大な使命を託され、その使命を果たすためにカンフーの修行に励むことになるということになるようです。
これってストーリーの骨格が『ドラゴンキングダム』とまるっきり一緒なんですが、今のアメリカ人がカンフー物を撮ろうとすると、自然にこういうストーリーラインになっちゃうものなんでしょうか(^^;)
ドラキンの少年はともかく、パンダは如何にもアメリカンな強烈ポジティブシンキングで、おいら少々胸やけしました。ゲップ。
リンク先のブログでは「日本のアニメの影響が…」と言ってますけど、
それってどっちかというと、武侠もののほうにオリジンがあるんですよね…
点穴とかもやってましたし。
日本のアニメだと点穴自体はあるかも知れないですが、
「穴道を塞がれた者を、別の人が再び開いて動けるようにしてやる」というのは、
基本的にないですよね。
「ダメ主人公が師匠に選ばれて強くなる」というストーリーラインは
昔からずっと変わってない気がします。
なんか最近よく引き合いに出してる気がしますが「ベスト・キッド」なんかもそうでしたし。
逆に、まっさらなところから、
向こうの人が江湖や武術界といった世界を料理するというのは
絶対無理なんじゃないかという感じがするんですよ。
感覚的にわからんだろうなーというか。
パンダがポジティブというか、ジェイソン青年の方がネガティブすぎるんですよね(^^;) 現実世界で『西遊記』のドラマだか映画だかを見ておきながら、如意棒を持って燃えないなんてあり得ないですよ。
おおっ、映画を見られたんですか!
こちらはこれと『ポニョ』と『カンフー・ダンク』、『ハムナプトラ3』のどれを見ようか迷っているような状態ですが、結局どれも見ずに日本を発つことになりそうな予感が……
この手の作品の原典が『ベストキッド』というのは、確かにそうですよね。
純粋なカンフー作品というわけではありませんが、独自の世界観を築いていた『キルビル』は例外的な作品と位置づけた方がいいのかもしれません。
「カンフーオタク」が主人公、といっても、どちらも「カンフー映画オタク」ですよね。他にやりようないのかな・・・とは思います。オタクくらいに下地がないと、向こうの人は普通にカンフーを理解できないのでしょうか?精神面は怪しい気がしますけど、武芸は理解できると思うのですが。West Meets Eastみたいなのがあると好みです。(そうすると「ラッシュアワー」みたいな展開に?)
>オタクくらいに下地がないと、向こうの人は普通にカンフーを理解できないのでしょうか?
日本でも一般人がカンフーと聞いて少林寺・太極拳をイメージしてくれれば上々といったレベルですが、欧米ではその日本の比では無いぐらいにカンフーが定着していないということなんでしょうね。