[彔見]簋は、王冠英「[彔見]簋考釈」(『中国歴史文物』2006年第3期)によれば、中国国家博物館が新たに民間人から購入したもので、清末か民国初めに陝西宝鶏で出土したと伝えられているという。『中国歴史文物』2006年第3期に王冠英論文のほか、李学勤「論[彔見]簋的年代」、夏含夷(米国)「従[彔見]簋看周穆王在位年数及年代問題」、張永山「[彔見]簋作器者的年代」の4つの論考が掲載された。以下の釈読はこのうち王冠英・李学勤両氏の論考を主に参照した。
【凡例】
・銘文中では「中(=仲)」、「白(=伯)」、「且(=祖)」、「又(=有)」など字釈上特に問題が無いと思われるものについては、通仮字で表記してあります。
・Shift JISやUnicodeで表示できない文字については、[林去]のように表記するか(この場合は「林」と「去」のパーツを組み合わせた字ということです。)、あるいは字形が複雑でそれも困難場合はやむを得ず〓の記号を付けました。
・文中の「集成」は『殷周金文集成』の、「近出」は『近出殷周金文集録』の略。数字はそれぞれの書の著録番号です。
【銘文】
隹廿又四年九月既望庚
寅王在周各大室即位司
空〓入右[彔見]立中廷北向
王呼作册尹册〓(=申)令(=命)[彔見]曰
更乃祖服作冢司馬汝其諫
訊有鄰取徴十鋝賜汝赤
巿幽黄金車金勒旂汝廼
敬夙夕勿廢朕令(=命)汝肇享
[彔見]拜稽首敢對揚天子休
用作朕文祖幽伯寶簋[彔見]
其萬年孫子其永寶用
【訓読】
隹れ廿又四年九月既望庚寅、王、周に在り、大室に各りて、位に即く。司空〓、入りて[彔見]を右け、中廷に立ちて、北向す。王、作册尹を呼びて、申命を[彔見]に册せしめて曰はく、「乃の祖の服を更がしめ、冢司馬と作す。汝其れ訊・有鄰を諫せよ。徴十鋝を取らしむ。汝に赤 巿・幽黄・金車・金勒・旂を賜ふ。汝廼ち夙夕に敬み、朕が命を廢るなかれ。汝、肇享せよ」と。[彔見]、拜稽首し、敢へて天子の休に對揚し、用て朕が文祖幽伯の寶簋を作る。[彔見]其れ萬年ならむことを、孫子其れ永く寶用せよ。
【解説】
典型的な冊命形式金文であるが、「册〓(=申)令(=命)」という表現を取るのは類例を見ない。「〓(=申)」は「辭」の左側に「東」と「田」を組み合わせた字形で、「申」あるいは「緟」と通用するとされる。(ここでは申字説を採る。)
この字は通常、師[疒員]簋(集成4283~4)の「册令(=命)師[疒員]曰、『先王既令(=命)汝、今余唯〓(=申)先王令(=命)、汝官司邑人師氏。賜汝金勒』。」【師[疒員]に册命せしめて曰はく、『先王既に汝に命ぜり。今余唯れ先王の命を申ね、汝に邑人師氏を官司せしむ。汝に金勒を賜ふ』。」のように、冊命の文中で用いられる。字意は「継続・増益」を指し、以前からの命令や官職を継続させる、あるいはそれに加えて新たな任官や命令を加えると解するのが一般的である。この銘文では祖先と同じく冢司馬に任じたことを「申命」としている。
この器の年代については、4つの論考とも穆王の二十四年とする。師[疒員]簋には冊命儀礼の右者として「司馬邢伯[彔見]」の名が見え、走簋(集成4244)・師[大玉]鼎(集成2813)にそれぞれやはり冊命儀礼の右者として「司馬邢伯」の名が見え、それぞれこの銘文の[彔見]と同一人物を指していると思われる。この他「邢伯」の名が見える銘文は多く存在するが、[彔見]と同一人物とすべきかどうか確証が持てない。
しかし林巳奈夫『殷周時代青銅器の研究』(吉川弘文館、1984年)は、師[疒員]簋と師[大玉]鼎を西周IIIA(西周後期前半)に断代しており、本器の年代もそれと同じか少し前(西周IIB?)になると思われる。林氏は穆王期の青銅器をおおむね西周IIAに断代しているので、林氏の年代観に従うと[彔見]は穆王よりは少し後、共王以降に活躍した人物ということになろう。
【凡例】
・銘文中では「中(=仲)」、「白(=伯)」、「且(=祖)」、「又(=有)」など字釈上特に問題が無いと思われるものについては、通仮字で表記してあります。
・Shift JISやUnicodeで表示できない文字については、[林去]のように表記するか(この場合は「林」と「去」のパーツを組み合わせた字ということです。)、あるいは字形が複雑でそれも困難場合はやむを得ず〓の記号を付けました。
・文中の「集成」は『殷周金文集成』の、「近出」は『近出殷周金文集録』の略。数字はそれぞれの書の著録番号です。
【銘文】
隹廿又四年九月既望庚
寅王在周各大室即位司
空〓入右[彔見]立中廷北向
王呼作册尹册〓(=申)令(=命)[彔見]曰
更乃祖服作冢司馬汝其諫
訊有鄰取徴十鋝賜汝赤
巿幽黄金車金勒旂汝廼
敬夙夕勿廢朕令(=命)汝肇享
[彔見]拜稽首敢對揚天子休
用作朕文祖幽伯寶簋[彔見]
其萬年孫子其永寶用
【訓読】
隹れ廿又四年九月既望庚寅、王、周に在り、大室に各りて、位に即く。司空〓、入りて[彔見]を右け、中廷に立ちて、北向す。王、作册尹を呼びて、申命を[彔見]に册せしめて曰はく、「乃の祖の服を更がしめ、冢司馬と作す。汝其れ訊・有鄰を諫せよ。徴十鋝を取らしむ。汝に赤 巿・幽黄・金車・金勒・旂を賜ふ。汝廼ち夙夕に敬み、朕が命を廢るなかれ。汝、肇享せよ」と。[彔見]、拜稽首し、敢へて天子の休に對揚し、用て朕が文祖幽伯の寶簋を作る。[彔見]其れ萬年ならむことを、孫子其れ永く寶用せよ。
【解説】
典型的な冊命形式金文であるが、「册〓(=申)令(=命)」という表現を取るのは類例を見ない。「〓(=申)」は「辭」の左側に「東」と「田」を組み合わせた字形で、「申」あるいは「緟」と通用するとされる。(ここでは申字説を採る。)
この字は通常、師[疒員]簋(集成4283~4)の「册令(=命)師[疒員]曰、『先王既令(=命)汝、今余唯〓(=申)先王令(=命)、汝官司邑人師氏。賜汝金勒』。」【師[疒員]に册命せしめて曰はく、『先王既に汝に命ぜり。今余唯れ先王の命を申ね、汝に邑人師氏を官司せしむ。汝に金勒を賜ふ』。」のように、冊命の文中で用いられる。字意は「継続・増益」を指し、以前からの命令や官職を継続させる、あるいはそれに加えて新たな任官や命令を加えると解するのが一般的である。この銘文では祖先と同じく冢司馬に任じたことを「申命」としている。
この器の年代については、4つの論考とも穆王の二十四年とする。師[疒員]簋には冊命儀礼の右者として「司馬邢伯[彔見]」の名が見え、走簋(集成4244)・師[大玉]鼎(集成2813)にそれぞれやはり冊命儀礼の右者として「司馬邢伯」の名が見え、それぞれこの銘文の[彔見]と同一人物を指していると思われる。この他「邢伯」の名が見える銘文は多く存在するが、[彔見]と同一人物とすべきかどうか確証が持てない。
しかし林巳奈夫『殷周時代青銅器の研究』(吉川弘文館、1984年)は、師[疒員]簋と師[大玉]鼎を西周IIIA(西周後期前半)に断代しており、本器の年代もそれと同じか少し前(西周IIB?)になると思われる。林氏は穆王期の青銅器をおおむね西周IIAに断代しているので、林氏の年代観に従うと[彔見]は穆王よりは少し後、共王以降に活躍した人物ということになろう。