極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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福島県・2020東京オリンピック

2019-08-25 20:13:05 | 日韓

以下文は、Bloomberg(2019.8.21)、産経新聞、福島県HP、鹿間津を通ふ雄鹿の夢~飾磨工高校長室便り、NHKクローズアップ現代(2017年5月24日)・安全なのに売れない~福島“風評被害“はいま~等々を今日と比較、参考(一部コピーあり)に記しています。

 

3・11で忘れられないのは、岩手県宮古市の昆愛海(こん まなみ)ちゃん(当時4才) 3月31日にママの帰りを待っている入り江を見つめる女児、父の携帯を握りしめ、「ままへ。いきているといいですね。おげんきですか」という読売新聞記事です。(昆愛海ちゃんの文は一番最後に記しています。)

2020年に福島県で開催される東京オリンピック野球・ソフトボール競技(あずま球場・福島市佐原字神事場1番地)・・・素晴らしいアイデアで福島県のみならず被災された東北の人達、特に子供達の未来に大きな夢をもたらすと思います。3・11から8年が経過しましたが福島県は風評被害は少なくなったとは言え、今も風評被害を受けています。

 

以下文はBloomberg(2019.8.21)の記事です。

韓国当局者らは最近、日本の外交官を呼び福島第一原発近くの放射能汚染水の処分について懸念を伝えた。日本は汚染水タンクが満杯に近づいていることから海洋放出の可能性を検討している。

韓国当局者らはまた、独立機関による東京五輪会場の放射能検査を求めたほか、汚染された食材への不安を理由に韓国選手団のための別の食事施設を提案・・・大韓体育会オリンピック委員会はグリーンピースなどの国際団体が東京五輪会場の放射線量をモニターすることを正式に要請する方針だと同委員会の報道官が述べた。

韓国当局は同国選手が福島県産食品を口にしないように、専用の食事施設を設置する計画を作成したという。

対し、東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会に韓国に計画についてコメントを求めたが、これまでのところ応答はない・・・

 

トリチウム汚染水等の問題、大韓民国慶尚北道慶州市陽北面にある月城原子力発電所は総出力は新月城原子力発電所と合わせて約478KW、1~4号機は原子炉に世界的に少数派であるCANDU炉(カナダ型重水炉)を使用しています。過去、ここで放出されたトリチウム年間放出量(1999年以降)は6000テラベクレルで、全て日本海に放出されています。

対し、福島第一原発のタンク貯蔵トリチウム総ベクレル量(2016年3月現在)は、760テラベクレルです。自然界のレベルに近づいたら海洋放出も選択の一つとすべきだと思います。これらの問題を韓国がIAEAへ問題提起したとしても6000 VS 760・・・自らの墓穴を掘り、世界からは更に信頼を失うでしょう。 

福島県は苦難を乗り越え、復興、風評被害等から立ち上がろうとしています。このような韓国側の発言に呆れるばかりで、科学的にも安全、安心が確保されており何処の国も問題視していません。日韓問題で日本の正当性に対し、韓国側は対抗策が無いためでしょうか、呆れるばかりの韓国政府・・・そこまで言うなら、韓国には東京2020には参加をしてほしくないと思うのは多くの日本人の自然な気持ちだと思います。

これらの韓国側の人の道から外れた、許されない報道に対し、日本は積極的に韓国側にもっと情報を発信すべきです。更に日本は世界の国々と情報を共有し、福島の真実を伝え、福島を守るべきです。日本が正義、正当性であっても正義、正当性を守る努力を日本が怠ったら、悪である韓国側が制してしまうと思います。今後は積極的な日本、個人等の情報戦が必要不可欠だと思います。

復興庁が2019年1月にまとめた3・11震災による避難生活者は約5万4000人でこの1年で2万人以上減少、プレハブ型仮設住宅での生活を余儀なくされている被災者が約5000人います。

表に出ない被災者の苦悩は大きく、一番の問題は経済、生活、健康等の問題だと言えそうです。これらの苦悩は想像以上で自殺者(動機等)数が物語っているとも思います。自殺に至らなくても苦しんでいる人達は相当数いると思います。

3・11関連自殺者数・・・平成23年55名、平成24年24名、平成25年38名、平成26年22名、平成27年23名で、大半が健康問題、経済、生活苦です。(内閣府「東日本大震災に関連する自殺者数」平成27年)

 

東京電力福島第1原発事故に伴う風評被害は明るい兆しが見えつつありますが不確定要素を抱え、農漁業等風評の影響が引き続き懸念されています。事故前に福島県産のコメ、モモ等の大口輸出先の香港、台湾は現在も輸入規制を続けています。福島県は東北有数の米どころでしたが生産量は事故前の4分の3に減少、要因のひとつが風評被害と言われています。

福島県産米は全て放射性物質に関する検査を実施されており、2015年以降、国の基準値を超えるものは出ていませんが、それにも関わらず残念ながら全国平均と比べ安い価格での取引が固定化、多くが業務用米等、福島県産とわからない形で流通しています。

毎年数十億円をかけ安全検査を続けてきた福島米、何が問題でしょうか・・・

 

事故後、福島県は世界で最も厳しいとされる安全検査を高性能測定機で実施されています。基準値は米1キロ当たり100ベクレル、国際的な安全基準をもとに定められています。2015年以降はこの基準を超えるものは出ていません。更に現在、福島産米の99.9%が基準値よりもはるかに低い、ND(not detected)で検査機では放射性物質が検出できないレベルです。

毎年、多くの生産米の全量全袋検査を実施されていますが、その結果は2015年以来、基準値を超えるものは一切出ていません。今も福島県産米が風評被害にさらされる現実、本来はブランド米であるにもかかわらず福島産の名前を隠して売られている福島産米、将来を期待された福島のブランド米が食用ではなく、家畜の餌にされている実態もあり本当に残念です。

 

過去、福島県以外に住む9500人に福島県産の食材についてアンケートを求めたところ、避けてる人は約20%、一方、福島県産を選ぶ、産地を気にしないは約80%で年々増える傾向にはありますが・・・福島県産のコメの価格は、原発事故前の水準を下回る状況が続いています。

今日、福島産米は30%が県内流通、残り70%は首都圏等、県外業者を通じて全国の小売りに出回っています。首都圏に次いで福島県産米が大量流通しているのが沖縄県、米生産が少ない沖縄では原発事故前、最も流通していたのが福島米だったそうです。福島産米を一手に引き受けている沖縄食糧です。この会社では検査機を購入、独自放射性物質を検査、結果をホームページに掲載、情報発信に努めたところ現在では消費者からの問い合わせはなくなったそうですが、安全だとされたにもかかわらず風評被害を完全になくすことはできていないそうです。小売り店との取り引きは大きく減少、特に一般家庭向けの販売は事故前の5分の1に減少、その一方で引き合いが増えているのが業務用での取り引き、業務用はコンビニのお握り、お弁当、レストランで使用される加工品等です。

福島県産米は、以前は値段が高い家庭向けが中心でしたが20%ほど価格下落、業務用としての扱いが増えています。

福島産米は流通過程で産地そのものを隠すことも常態化しています。原発事故後、取り扱いが増えた商品は福島県と他県産の米を混ぜ合わせたブレンド米、福島県産の米と北海道産のコメを混ぜ合わせている作業、県外で販売する米の多くが、ブレンド米だと言われています。

 

8年が経過した今日も福島県内ではお米については全量全袋検査が行われ、野菜等も含めてモニタリング、徹底して調査が行われ何も問題は生じていません。

私達は、昨今の韓国政府側の許せない風評に屈してはなりません。公的な施設での福島県産品の使用は風評被害を無くすのに一役を果たすと思います。

日本が正義、正当性であっても正義、正当性を守る努力を日本が怠ったら、悪である韓国側が制してしまうと思います。今後は積極的な日本、個人等の福島に関する情報戦が必要不可欠で、これらの積極的関与が福島の真実を伝え、守ることになるとになると思います。

私達も内外の風評被害を無くすためにも、先ずは福島県産農、魚物等々に関心を寄せることは大切だと思う昨今です。

 

***********

以下文は鹿間津を通ふ雄鹿の夢~飾磨工高校長室便り~のコピーです。

岩手県宮古市の昆愛海ちゃん(当時4才)は、3月31日に「ママの帰りを待っている 入り江を見つめる女児 父の携帯を握りしめ」という読売新聞の記事で取り上げられた女の子です。この記事を書いたのは立石紀和カメラマン、彼は震災から一週間後、津波に襲われた宮古市の手鶏という漁村で愛海ちゃんに出会った。愛海ちゃんは地震の時は保育園にいて迎えに来たお母さんと自宅に戻った。自宅は高台にあり避難所になっている小学校と隣接していて安全なはずだった。 しかし帰宅した瞬間、30m超える巨大津波が襲ってきて両親と妹の蒼葉ちゃんと愛海ちゃんは津波の引き潮にさらわれた。愛海ちゃんは背負っていた通園用のリュックが漁に使う網に引っかかったために、一人だけ奇跡的に助かり、同じ地区の親戚宅に引き取られ、孤立状態で4日間を過ごした。

一週間後に市内の内陸部に住む祖母の静子さんに会うことが出来た。「表情は沈んでいて、何も話さず、言葉を忘れてしまっている」状態であった。

そんな時に立石カメラマンは愛海ちゃんに出会った。彼はそれから時々愛海ちゃんに会いに行きトランプしたり、絵本を読んだり、おやつを食べたりした。

3月22日に、いつものようにトランプでババ抜きをしていると、突然ママに手紙を書くと言い出し大学ノートを広げた。愛海ちゃんは色鉛筆で、覚えたばかりのひらがなで一文字一文字ゆっくりと手紙を書き始めた。分からない字があると調べながら、「ままへ。いきているといいですね。おげんきですか」 1時間くらいかけてそこまで書くと疲れてしまったのか寝入ってしまった。

その記事には手紙文が書かれた大学ノートの上に頬をのせて寝入っている愛海ちゃんの写真が付けられた。 愛海ちゃんは笑顔は少し戻ってきたものの自宅には近づくのを嫌がる。変わり果てた入り江を見下ろす時はふと辛そうな表情を見せる。余震の心配があるので、おばあちゃんの静子さんは自分たちの家につれて帰りたいが、愛海ちゃんは「ママが帰ってくるまで、ここで待っている」といって聞かない。「パパから電話がかかってくるかな」と言って、携帯電話が通じない被災地で、電源を入れたままにして握っている。

手紙には続きがある、「おりがみとあやとりと ほんをよんでくれてありがと」お母さんの由香さんは32才。「ぱぱへ。あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんなのお とてね」お父さんの文昭さんは39才。おばあちゃんのお手伝いをしたり、配給所にトイレットペーパーをもらいにいったりと頑張っている。胸のポケットにはいつも旅行に行ったときのママの写真を入れている。「ママかわいいね」時々その写真を見て胸に寄せる。 しかし愛海ちゃんは突然泣き出すこともある。夜は布団の中でおばあちゃんの首にしがみついて寝る。

 

4月24日には妹の蒼葉(あおば)ちゃんの4才の誕生日を祝った。5月9日からは8キロ程離れた隣町の児童館に通い始めた。朝おばあちゃんに髪をとかしてもらい「早く行きたい」とはしゃいだ。 今でもよい子にしていればみんな帰ってくると愛海ちゃんは信じている。5月10日に愛海ちゃんは5才になった。

 

3月31日の記事を見たニートの男性から読売新聞社のサイトに書き込みがあったそうだ。

「愛海ちゃんの記事を読んで、自分が甘えていることに気付きました。仕事を探しに行きます」

愛海ちゃんには、おばあちゃんやその他いろんな人に支えられながら、時間を十分にかけて少しずつ少しずつ自分の置かれている現実を受け止めていってほしいと心から祈らざるを得ません。

4才の女の子も戦っています。私たち教員は、生徒たちの進路開拓に対して、出来ることとするべきこととやれることをしっかりやりきろうとしています。生徒たちには自分の甘えに対して戦うことを求めたいと思います。そしてご家庭では、決して子ども任せにせずに、親と子が一緒になってしっかりと子どもの進路を考えていただくことを、お願いしておきたいと思います。

(飾工PTA会報に掲載)

 

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