極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)

2015-12-02 10:43:50 | 日本社会

12月1日、米IT大手フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO、31歳)、妻のプリシラ・チャンさん(中国系アメリカ人)は第一子(長女)が誕生したことをFacebookで発表、名前はマックス(Max)ちゃん・・・誕生を機に、保有する同社株の99%を、次世代のために寄付する考えを明らかにしました。現在の株価で約450億ドル(約5兆5000億円)と言われています。
資金で基金を新設、寄付金を次世代の教育や医療の支援に充てる意向と言われています。自らのフェイスブックで、マックスちゃんに宛てた手紙を公表し、お母さんと私は、あなたがくれた希望を言い表す言葉がまだ見つからないと書き出し、すべての親と同じように、今日より、より良い世界であなたに育ってほしいと思うと思いをつづっています。本当に素晴らしいニュースですね・・・サッカーバーグ氏(31歳)の根底に流れる心とは・・・

現代の日本人には馴染みが薄いと言われる、フランス語のノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)、意味は「高貴さは相応の義務、責任等々を伴う」・・・財産、権力、社会的地位等々の持ってる人は相応の責任、社会等に対しての貢献等々が必要と言う意味と言えると思います。

ファニー・ケンブル(19世紀イギリスの女優および著作家)が1837年に手紙に・・・確かに貴族が義務を負うのならば、王族はそれに比してより多くの義務を負わねばならない・・・と書いています、この言葉が使われた最初であると言われています。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾等を受けることもあると言われています。昨今の欧米では特に富裕層、有名人、権力者等々が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられているようです。

貴族制度や階級社会が残る現在のイギリス、上流階級には「ノブレス・オブリージュ」の考えが強く求められていると言われています。過去のフォークランド戦争にもアンドルー王子などが従軍、現在でも高校卒業後のギャップ・イヤー(高等学校卒業から大学への入学、あるいは大学 卒業から大学院への進学までの期間)に、ウィリアム王子はチリ(南米)で、ヘンリー王子もレソト(アフリカ)の孤児院でボランティア活動に従事しています。ウィリアムはホームレス支援事業のパトロンで、自ら路上生活体験をしています。

特に、米国では富裕層、名士等が相応にボランティア活動や寄附をする事は極一般的なことで、何も珍しいことではないと言われております。上記に記したのは一例ですが、日本と違い、他にも無数にあります。これらの行為は米国の価値を高めているように思います。
これらは企業の社会的責任遂行(CSR)にも通じる考え方でもあるように思います。

戦前の皇族等の一例では、皇族男子は、基本的に日本軍の軍務に就くこととなっており台湾出兵、日華事変、大東亜戦争では、皇族出身の戦死者も出しています。華族等は大日本帝国に貢献することが要求されていました。これは日本版ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)と言えるかも知れません。

音羽正彦侯爵、朝香宮鳩彦王の第二王子、明治天皇の第八皇女です、允子(のぶこ)内親王の母、次男です。音羽侯爵は軍艦陸奥に乗り組み、副砲長兼分隊長として活躍、海軍砲術学校高等科学生として砲術の研究に当たり、同校を卒業しています。後は第一線に配属されることを希望し、昭和18年(1943)11月にはウェーキ島、同年12月にはマーシャル諸島方面部隊参謀、昭和19年2月6日のクエゼリン島の激戦において自ら陣頭に立ち最後の突撃を敢行、壮絶なる戦死を遂げています、戦死後に海軍少佐に昇進されています。

伏見博英伯爵、伏見宮博恭(ひろやす)王の第四王子として誕生、母は最後の将軍徳川慶喜の第九女経子(つねこ)、昭和11年に海軍少尉に任官すると同時に臣籍降下、昭和18年8月下旬に南太平洋方で飛行機に搭乗して作戦要務遂行中に、敵機と交戦して重傷、その後8月26日に戦傷死

北白川宮永久王、北白川宮能久(よしひさ)親王の第三王子である成久王を父、明治天皇の第七皇女の房子(ふさこ)内親王を母として、明治43年(1910)2月29日に誕生、永久王は学習院初等科から陸軍幼年学校、そして陸軍士官学校へ進学し、父の成久王と同じ近衛野砲連隊入隊、野砲兵学校、陸軍大学へ進学、昭和15年(1940)3月9日中国に派遣、駐蒙(ちゅうもう)軍参謀、約半年後に内蒙古戦線での演習中に飛行機事故により死亡、陸軍大尉だった永久王は戦死後に陸軍少佐に昇進、以後永久王は軍神とされ、その死を讃える歌が作られました。永久王の第一王子である道久(みちひさ)王は昭和12年(1937)生まれ、3歳で北白川宮家を継ぎ、現在は伊勢神宮の大宮司を務めてられていると言われています。

北白川宮が悲劇の宮様と言われるのは、親子三代続けて海外で戦死または事故死しているからと言われています。永久王の祖父に当たる第二代当主の能久親王は、明治28年(1895)、陸軍中将、近衛師団長として日清戦争後の台湾平定において戦病死、これらの皇族例は、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)の考えが反映されているように思えます。

ネット記事等を参考にしていますが、思いつき、意味不明文があるかも知れませんが、日記プログということで・・・



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