極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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日韓の道徳の違い

2019-02-17 13:39:21 | 日韓

いつまでも繰り返される韓国の反日行動、歴史問題等々もううんざりです。

何故こんなに日韓は道徳、世界観等の違いがあるか自分なりに記したものです。日韓は水と油の世界のようです。特に利己心の対極にある道徳心、多くの日本人は自然に受け入れます。昨今のレーダー照射問題等々で韓国とはを多くの国民が知りました。利己心の対極にある道徳心を多くの韓国民は到底受け入れないでしょう。

「日本の中のユダヤ文化・聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」(ムー・スーパーミステリーブックス)2003/7久保有政・著、同氏の聖書解説誌・月刊レムナントを参考、コピー等々したものです。久保有政氏はレムナント出版代表で聖書解説者、古代史家、現代史家、ノンフィクション・ライター、サイエンス・ライター、ユダヤ文化研究家でもあります。久保氏の多くの著書は忘れてかけていた日本人の心の一部を知ることが出来ます。以下文は日本人の心、道徳、世界観等を自分なりに記していますが異論もあると思います。日頃の思いを記した雑文、散文、日記とします。

日本には古来から神道(しんとう:教典や具体的な教えはなく開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづく多神教で自然と神とは一体として認識され神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀で、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされています。)という宗教があります。この神道の中心的な伝統として、「清き明(あか)き心」(清明心)があると思います。

清く明るい心と書きます。

くもりなく、すがすがしい心やましさのない、晴れ渡った心

邪心のない、二心でない、清らかな心

神様の前にそういう心でいることが一番大切なのだという教えだそうです。
この清き明き心は、日本人が美徳とする「正直」、「誠実」、「思いやり」、「忠実」などの土台となったもので、卑怯(ひきょう)なことをしないなど、人間の様々な徳の基礎となるものです。

「清き明き心」という神道の教えが、現代まで日本人の心というものを作ってきたと思います。これは世界に類が無いもので、韓国では到底理解できないでしょうし、韓国の道徳感無き世界、対日観等は私達にとって理解不能で、例え朝鮮半島統治、慰安婦、徴用工、レーダー照射等々問題が皆無であっても、何かと理不尽な対応を行うでしょう。

1976年、中国で唐山大地震という巨大地震が起き、死者が数十万人出たといいますから、関東大震災の約二倍も死んだ。しかし、その本当の災いは地震のあとに始まったとも言われています。被災地の近辺の農民たちが、被害者の家々を次々に襲い始めたそうです。次々に略奪を始め家財道具から腕時計まで、ありとあらゆるものを盗んだと言われています。被災地には中国軍隊が出動しましたが、農民たちは略奪をやめなかったと言われています。日本では考えられない光景です。

日本で阪神淡路大震災が起きた時に中国文壇の最長老、柏楊氏がテレビで神戸の市民たちの状況を見て驚嘆したそうです。略奪行為が全く起きない、救援活動が整然とした秩序の中に行なわれていました。その光景を見た彼は、大変深く感動を覚えたと語りました。「日本人はすごい!中国は日本に勝てない」と彼は言いました。日本人の優しい心と、法と秩序を守る精神に彼は舌を巻いたというのです。ここには私たちがふだん気づかない日本人の清き明き心があると思います。


3世紀頃、中国で書かれた魏志倭人伝という書がありますが、中国・魏人が当時の日本を見てその生活や風習を記しているものです。その著には日本人は窃盗をせず、訴訟も少ないという記述があります。日本人が古来、穏健で道徳的な生活をしていたことがうかがえます。日本では古くから、清き明き心が宿っていたかも知れません。

第2次世界大戦末期、戦争が終わらない頃にアメリカのルーズベルト大統領が病気のために急死、その時ニュースを耳にしたドイツは、運命が史上最大の戦争犯罪人、ルーズベルトを地上から取り除いたと発表、ドイツ国民は大喜びしたそうです。当時の鈴木貫太郎首相はアメリカ国民に向けて謹んで心からお悔やみ申し上げますという弔意を表す談話を発表、弔電を打っています。日本は敵国アメリカの国民に対し深い哀悼の意を表しています。当時のアメリカ人に日本の武士道精神の発露として大きな感銘を与えたとも言われています。

当時、アメリカに亡命していた作家のトーマス・マンというドイツ人の記事ではドイツでは多くの人達が万歳と叫んでいるのに、日本の首相は敵国大統領の死を悼む弔電を送ってきた、やはり日本はサムライの国だと言って日本人の礼節の心に賞賛の言葉を送ったそうです。
日本には昔から死ねば敵も味方もない、安らかに眠ってくださいという死者への弔いの気持ちがありますが、清き明き心だと思います。清き明き心を大切にする日本の伝統は、いったいどこから来たのだろうか・・・

タブーの一つでもある、古代日本の一部(京都太秦(うずまさ)地方に多く住んでいた、渡来した古代ヘブライ人)と古代ユダヤは密接な関係があり旧約聖書にヒントがあると思うのが自然です。

 

*申命記10章17、18節

あなたがたの神、主は偏って愛することなく、賄賂を取らず、孤児や、寡(やもめ)やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる・・・これは清き明き心の源泉であると思います。

神は、偏って愛することのない方である。敵でも味方でも、また善人にも悪人にも太陽をのぼらせ、雨を降らせてくださる。さらに、賄賂を取らず、私利私欲では動かないお方である・・・旧約聖書では、神は思いやりのある方である。孤児(みなしご)や、やもめ、在留異国人に対しても、思いやりを示すお方、だからイスラエル人もそのような者でありなさいと教えられているようです。神に似た者になりなさい。神がこのようなお方なのだから、あなた方もそのような者になりなさいと言う教えがあります。

*源実朝が詠んだ歌

「山は裂け・海はあせなむ世なりとも・君に二心わがあらめやも」と言うのがあります。これは、たとえ山が裂け、海が干上がってしまうような世の中が来ようと、吾が君に二心を持つようなことがありましょうか。謀反の心を持つようなことがありましょうか。いや決してありませんと言う歌です。

二心のない、清き明き心を持って主君に仕える、それは旧約聖書の中のダビデの信条であり、これは古来から多くの日本人が信条としてきたものと思います。ユダヤ人(非タルムード)は、二心というものを嫌いました。二心のない、清らかな、すがすがしい心が清き明き心と言えそうです。

*旧約聖書・出エジプト記 2・31~32

イスラエルの出エジプトの指導者モーセも、その清き明き心を持った人でした。あるときイスラエルの民が罪を犯して、神の裁きが下りました。しかしそのときモーセは、神様の前に出て祈りました。
この民は大きな罪を犯してしまいました。今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら、しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。モーセは自分が身代わりになってもいいですから、どうか民の罪を赦してくださいと願い出ました。彼は熱誠の人で、無私の人、曇りなき愛の心の人でした。清き明き心を持った人でした。モーセは本当に偉大な人で、出エジプトの栄光のときも堂々としていました。また民が罪を犯してしまい、イスラエルがみじめな状況に陥った時でも、清き明き心を失いませんでした。まわりの状況がどう変わろうと、彼の清き明き心、清らかな堂々とした大きな心は変わりませんでした。

*白隠禅師(はくいん えかく・は臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧)が詠んだ歌

「晴れて良し 曇りても良し 富士の山 元の姿は変わらざりけり」と言うのがあります。晴れても曇っても、富士山の美しさは変わらないと歌いました。

周囲の状況に関係なく、日本人が清き明き心という言葉で表してきた理想の姿というものがそこにあると思います。

幼子のように素直に神を受け入れる心、清き明き心を大切にする点で、ユダヤ人(非タルムード)と日本人は極めて似通っていると思います。日本人が昔から清き明き心を大切にしてきた背景には、旧約聖書の言葉がインナー・トーラー(内なる律法)として日本人の心の奥底に書き記されていたからではないかと思います。日本人と古代ユダヤ人は間違いなく続がっていると考えるのが自然だと思います。
清き明き心は、今日ではふつう清く明るい心と書きますけれども、日本書紀の中では「清き赤き心」という文字を使っています。

赤ちゃんの赤、赤子の赤です。これは本来「清く、また赤子のように素直な心」だと思います。イエス・キリストは、あるとき幼な子たちを見て、「神の国は、このような者たちのものです。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」(マコ10・14~15)と言って、子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福されたと聖書に記されています。

赤子のように素直に天国を受け入れ、清らかに信じ、神に信頼する心、それが清く赤き心です。神が喜ばれるのはそのような心です。赤子のように素直に天国を受け入れ、清らかに信じ、神に信頼する心、それが清く赤き(明き)心だと思います。

中国では親は子どもに何を真っ先に教えるかというと、「人に騙(だま)されるな」と教えるそうです。中国社会は人間不信の社会でもあり、騙し騙される社会だから人に騙されるなよと教える、賢く立ち回って、うまく世を渡っていきなさいと教えるそうです。
日本では、親は子どもに「ウソをつくな」と教えます、「正直」でいなさい、「誠実」でいなさいと、赤子の魂のときから清き明き心を教えます。「騙すくらいなら騙されよ」とさえ教えることさえあります。
何より、清き明き心を尊ぶ、何故ならそういう心が神のみこころを宿すと考えられたからです。

日本神道で「清き明き心」には、神のみこころに一致した心という意味があり、神のみこころを宿す心。信仰とは、清き明き心と言えると思います。

*菅原道真の句

「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照さむ」とあります。

海でなくても、深く満ちている水の底までも清いような心には、月の光が照らすという。清き明き心にこそ神が宿るという考えです。

日本の伝統の一部は旧約聖書を読むと理解できます。清き明き心のルーツは旧約聖書だと思います。しかし、欧米人はこの道徳規範の塊である、旧約聖書はほとんど読みません、新約聖書が主です。
旧約聖書の清き明き心は、日本神道の中心で土台でもあると思います。ユダヤ人(非タルムード)にユダヤ教という民族宗教があるように、日本人には神道という民族宗教があって、清き明き心は、その日本神道から来ていると思います。
民族宗教とは、特定の民族に固有の宗教をいい、キリスト教、イスラム教、仏教などは、民族を超えた宗教で、世界宗教になると思います。

対し、ユダヤ教(非タルムード)はユダヤ人のための宗教です。神道は日本人のための宗教で、民族宗教です。ユダヤ人(非タルムード)におけるユダヤ教、日本人における神道は、それぞれの民族性を形成する上で決定的な役割を果たしてきたと思います。またユダヤ教と神道は、互いに非常によく似通った宗教と言えそうです。
民族宗教は中国や韓国にはありません。中国や韓国には仏教や儒教はありましたが、神道のような民族宗教はなく、日本に特有のものと言えそうです。

サミュエル・ハンチントン(アメリカの国際政治学者、コロンビア大学「戦争と平和」研究所副所長を経てハーバード大学教授、1986年から1987年まで、アメリカ政治学会会長を務めています。)は、その著、文明の衝突の中で世界を七大文明圏に分けて考えています。世界は西欧文明、東方正教会文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、ラテンアメリカ文明、中華文明、そして日本文明という七大文明圏に分けられると述べています。日本だけが単独で文明圏を作っているとも述べています。

日本の文明は、中華世界つまり中国や韓国などの文明圏とも全く違うようで、一緒にくくることはできないと思います。日本人と中国人は、顔は似ているかもしれないけれども、民族性も文化も全く違い、両者は同じ漢字を使ってはいますが考え方も感じ方も全く違うと思います。
日本文明というものは、古代ユダヤの文明の影響を受け、世界に巨大な影響を与えてきたと思います。特に人種差別世界を打ち壊したのも日本で、日本が与えた世界に対する大きな影響の一つと思います。日本は世界史的な働きをしてきたと言えそうです。日本の文明、またその特有の民族性を築いてきたものが神道であり、清き明き心だと思います。

鎌倉時代に、元寇がありましたがモンゴル軍にもたくさんの戦死者が出ました。モンゴルと一緒に来た高麗軍にも、日本の武士たちにもたくさんの戦死者たちが出ました。北条時宗は戦死した敵味方を弔うための寺を建てました、それが鎌倉の円覚寺です。
後、楠木正成が後醍醐天皇を奉じて兵をあげて、鎌倉勢と戦ったことがあります。大阪の赤坂村という所に行ってみると、そこに楠木正成が建てた墓があります。味方の墓と、敵の墓が並んで建っている。味方の墓は「味方塚」と書いてありますが、敵の墓は「寄せ手塚」と書いてあります。敵とは書いていない。そしてなんと、その敵の墓の方が大きくて立派です。敵も死ねば、味方あるいはそれ以上に弔うという気持ちが、日本人の心でした。
このような民族は世界に存在しません。清き明き心、わけ隔てしない。偏って愛することをしない。日本文明というのは、そういうところから生まれてきたと思います。

幕末の時代に駿河湾沖で、政府軍と幕府軍の船が戦いました。幕府軍の船は敗れて沈没しました。しばらくして、駿河湾にその戦死者たちが打ち上げられました。政府軍からみれば、幕府軍の戦死者たちは賊軍でした。しかしそのとき、戦死者たちを集めて丁重に葬ったのが、「清水の次郎長」です。彼は実在の人物で、本名を山本長五郎といいますが、死んでしまえばみんな仏じゃないか、野ざらしにするなんてとんでもねぇと言って彼らを丁重に葬っています。死人に対して温情を示す日本の文化がそこにあります。

*旧約聖書のルツ記

ナオミがボアズのことを聞いてルツに言った言葉として、生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますようにと記されています。
ユダヤ人(非タルムード)は、神は「生きている者にも死んだ者にも御恵みを惜しまれない」かただと理解していたのです。神は生者にも死者にも温情のあるかたである。だから私たちユダヤ人(非タルムード)も、生者にも死者にも温情のある者とならなければならない、という観念がありました。日本にも古来、生者にも死者にも温情を示す風習が伝わっています。これも清き明き心の表れと言ってよいでしょう。日本の伝統神道はユダヤ人、また旧約聖書の教えにも深くつながっていると思います。
日本の心は旧約聖書の流れを汲んでいることは極自然に思えますし、世界に類が無い、旧約聖書の流れを汲む日本国、日本人は古来から、清き明るき心を持った民族であり世界の万人が認めていると思います。

天皇、皇室の存在に本当に感動を覚えますし、これらのルーツを精査すると後世人類の宝としてこのシステムを守ることは日本人の務めと思います。未来を背負う若者は是非、天皇、皇室、神道等を理解、尊敬の念を持ってほしいと思いますし、何よりも日本に誇りを持ってもらいたいものです。

韓国の可笑しな日本への対応は本質等の決定的な違いだと思います。勿論、韓国内にも多くの高い道徳心をもっおられる方々も多いと思います。両国のメディア等に惑わされることなく、私達は物事の本質を見極め対韓国観を自分なりに持つことは自身の自己確立に繋がると思う昨今です。

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