極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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進展しない拉致問題

2015-04-17 10:01:08 | 拉致

進展しない拉致問題、拉致問題は全国民的運動にならないように誰かが指示でもしてるかと思える時があります。

近代日本を作った先人達が生きていたら何と思うであろうか、如何にこの問題を解決するであろうか・・・日本人として拉致問題は絶対に解決しなければならない事案で、国家の優先順位1番であるはずです!他人事では済まされないでしょう。解決しないようであれば、未来の日本人が歴史を顧みた場合、何と愚かな日本人がいたことかと思うのは間違いないでしょうし、日本の歴史に極めて大きな汚点を残すでしょう。

我々は、この日本に生を受け、終わる、日々家族と買い物に行ったり、一家団欒が出来ます、これらは何でもない当たり前のことです。これらのことが出来ないで数十年苦しんでいる拉致被害者、家族が現実に存在しています!もし、自分の家族、孫、子供が同様の拉致に遭ったらを考えたら・・・

かっての日本人の中には、武士道の血が流れていました。理不尽なことは絶対に許さない、犠牲を伴っても取り除くと言う気概等がありました。現代日本人の中にも武士道の精神、気概等はあるはずです、今こそ全国民は拉致問題解決と言う大きなうねりを作るべきです。事案を解決するために!政府は拉致問題を考える日を是非作るべき、制定すべきです!
政府、特にNHK、マスコミ等々が真剣に、あらゆる場を設けて報道すれば全国民は大きなうねりを作ることが出来ると思います。

何故出来ないだろうか!
学校でも、町内会等々でも拉致問題が議論されることは皆無です!何故だろうかと思うときがあります。

全国民的運動が盛り上がらないならば解決は厳しいと思います。勿論、解決を望まないと思われる某国があるとも言われていますが。
決して拉致問題は他人事ではないはずです、同じ日本人!
拉致問題解決なくして、日本の未来は絶対に無いでしょう。例え日本の繁栄があったとしても砂上の楼閣であり、虚構に過ぎないでしょう!
拉致問題はこのままで行けば、時間のみが過ぎ、歴史に埋もれる可能性は極めて大きいと思います。

拉致問題が初めてサンケイ新聞の阿部 雅美氏(あべ まさみ、1948年生まれ、公安警察からのリーク情報を元に取材され1980年1月7日サンケイ新聞朝刊一面トップで、アベック三組ナゾの蒸発、外国情報機関が関与?などの見出しで大々的に日本人拉致事件を初めて報じました。)により全国に報道されましたが、その後他のNHK、報道機関等々は沈黙、無視し続けました!全く報道機関としての責任を果たしていません、恥を知るべきです。

この時点で大きく報道されていたら拉致被害は大きく違った結果となったと思われます。本当に理不尽なNHK、マスコミです! 

拉致被害者家族Yさんの母親、Sさんは娘の拉致問題解決のため関係筋等々に訴えたが無視され続けられ、憔悴され・・・最後は当時健在の大日本愛国党の赤尾敏総裁にまで相談されたと言われています、なすすべがないことを悟られ、キリスト教入信で自分自身を支えられたと言われています。
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***参考:赤尾敏氏は日本の保守政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁、 当初は社会主義者であったが社会主義者として活動した後、1926年に「天皇制社会主義」を理想として民族主義者に転向、1942年には衆議院議員に当選、最期まで部屋に明治天皇、釈迦牟尼尊、イエス・キリストの大きな肖像画を飾っていたと言われています。
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 何故、過去政府等々が拉致問題に消極的だったのか、日本の優秀な警察、公安等が細部を知らないわけが無いと思うのが自然ですし、過去の政権等は国民からの責任追及等々を恐れ消極的だと思える面も散見されます。

 一説には敗戦直後、小野田さん(フィリッピンの金保全担当)同様、日本の中野学校出身の残置諜者(敗戦後、日本の国益の為の諜報活動を命令された。)が北朝鮮に残されてる事実があり、これが以後の北朝鮮のトップの一部を占めており北朝鮮首脳の一部は日本人の血が流れてると言われています。これが更に拉致問題を複雑にしてると言われていますが・・・勿論政府の一部は知ってると言われています。

歴史の生き証人、舘雅子氏(1927年生まれ。鎌倉・瀋陽で少女期を送り、張家口で終戦を迎える。東京女子大在学中より出版社勤務、市川房枝の主宰する女性運動に参加。現代風俗研究会(桑原武夫代表)理事。婦人問題情報誌『あい・ふぉーらむ』を編集。東久留米市議(1983-1995)無所属)が生々しく語る拉致

 

フリーライターである舘雅子さんは新潟県柏崎市の拉致現場に赴き、その土地の関係者から生々しい証言を聞きだしました。なんと拉致事件には多数の日本人が協力していた可能性があると言われています。U-チューブに舘雅子氏の北朝鮮の拉致事件には日本人の協力者がいたがUPロードされていますが、拉致の一部を伝えてるように思えます。

以下の文は多くの内外のプログ等を参考にしていますが、信憑性は何ともいえませんが、精査して見ると、まんざら嘘とは言えない面があります。あくまで日記プログと言うことで。

作家の三島由紀夫氏は、拉致問題の真相の一部を知っていた可能性が大きいと言われています。昭和45年11月25日、作家の三島由紀夫氏は、四人の盾の会員と共に市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部建物のベランダで、政体(統治形態・政治形態・政治体制を指すか、又は国家の要件を満たさないものも含めた広義の政治体を指します。)を守るのは警察です、国体(国の基礎的な政治の原則、日本では特に「 天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する語)を守るのは軍隊ですと叫び、自衛隊員に軍人として覚醒し共に決起しようと訴えました。最後は自決しました。
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***参考:楯の会」会員は10人を1単位として10班で構成、定員は100名、左翼革命勢力による日本への間接侵略に対抗することを標榜し、民族派の学生を中心として1968年(昭和43年)10月5日に正式結成、1971年(昭和46年)2月28日に解散、楯の会」の名称は、万葉集防人歌の、「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は」(詠み人:今奉部與曾布―いままつりべのよそふ)と、江戸末期の歌人・橘曙覧の、「大皇の 醜の御楯と いふ物は 如此る物ぞと 進め真前に」に2首に由来すると言われています。当初は一期会員・金子弘道の提案による「御楯会(みたてかい)」も候補に上がったが、討議の結果、「楯の会」と決定されたと言われています。
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 三島由紀夫氏は自決の1年前、陸上自衛隊の調査隊員と都内で懇親会を催しています、その場で陸自調査隊員から衝撃的な拉致(写真等含む)の真実を知らされたと言われています。
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***参考:調査隊とは防諜活動を主任務としており、当事は防衛庁長官直轄の中央調査隊と各方面直轄の方面調査隊が編制されていました。中央調査隊長、方面調査隊長は1等陸佐(旧大佐))が充てられ、調査派遣隊長は3等陸佐(少佐~1等陸尉(大尉)が充てられています。
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訴えは、陸自調査隊が、北朝鮮の無線暗号を傍受、解析等した結果、能登半島で日本人が拉致される危険性が高いと判断し、陸自調査隊員が事件現場を遠くから監視、写真撮影(写真は、調査隊に保管されていたが、後日焼却されたと言われていますが細部は不明)・・顛末の驚くべき内容であったと言われています。
 
陸自調査隊員らは、石川県警の関係者が現場周辺に多数出動していたので、当然、現行犯逮捕するだろうと思っていたが、石川県警関係者の行動を観察していると、現行犯逮捕が目的ではない。拉致現場を目撃しかねない人間が現場近くに寄りつかないような周辺気遣いのみに徹し!最後は拉致を積極的に看過・・・そして、その事実を裏付けるかのような写真を手に!、こんな理不尽が許されていいのかと、涙ながらに陸自調査隊員は三島氏に訴えたと言われています・・・
 
三島氏は陸自調査隊員の訴えには直に答えず、保利茂官房長(佐賀県出身)に相談してみると答えたと言われています。保利官房長官は資料を受領したが後は不明と言われています。もし事実ならば間接的責任は免れないでしょう。如何にいい加減、消極的かが分かります。

これらの情報を提供してくれたのは、その場に同席していた二人の盾の会の会員のうちの一人と言われています。(信憑性は・・・私自身、根拠等を確認出来ていません。)
 何故、日本の優秀な警察(石川県警、山梨県警等々)は、北朝鮮による拉致事件を看過せざるを得なかったのか・・・
 
金正日が日本人拉致を認めたのは2002年9月17日、当時米国はブッシュ政権下で、同政権は前年の2001年、北朝鮮をテロ支援国家とし、過去の水面下で作り上げた米朝間の折衝の実績をすべて破棄するとしました、勿論北朝鮮は猛反発
 米朝関係は前クリントン政権末期にオルブライト国務長官が訪朝、国交樹立を視野に進捗していたのは間違いないと言われています。

テロ支援国家指定で全ては水の泡となりました。これらの内容は個人プログ等々で断片的に確認できますが、やはり米国は本気で国交を考えていたようです。
逆に、このころから北朝鮮側は極めて強気になります。真相を暴露するぞと米国が脅されていたのか?やはり某国が関与していたのか?

***そもそも拉致事件は何故起こったか?(ここの部分は、信憑性、現実性等々は何とも言えません、あくまでフィクション程度で読んでください。)

ベトナム戦争時代に拉致は不思議と集中して起きています、CIA、NSA等々は、戦後米国は完全に日本は軍国主義を払拭したと確信していたが、旧日本軍国主義勢力と北朝鮮が見えざる糸で繋がっているのではないかとの疑惑を深めていたと言われ警戒し始めていたと言われています。(この内容は何とも言えません。)

確かに言えることは北朝鮮は戦後、誕生過程において日本と極めて深い関係が散見されます。旧陸軍中野学校出身者が敗戦後北朝鮮に間違いなく残っていた事実、このことはCIA、NSA等は細部を掌握してると言われていますが・・・政府関係者の一部も当然知っていると言われていますが真相は?(これらの部分的事実は間違いないようです、米国公開文書等でヒットするかも知れません、皆さんチャレンジされて下さい。)

過去、真の拉致事件はめぐみさんだけとしていたのも、この間の事情を承知していると考えるのが自然に思えますが、他にも拉致はいたのに不自然です。
 北朝鮮は、朝鮮労働党の金日成主席が独裁統治する社会主義国家だと思われていましたが、真実は建国以来、わが国の天皇制に似せた王朝を完成させることにあると言われています。
 横田めぐみさん拉致問題の真相は、金王朝の正統性を担保するため、由緒ある高貴な血筋を受け継がせるため?過去、旧大韓帝国の李垠皇太子に嫁がれた梨本宮方子妃、日本と朝鮮半島の架橋となるべく・・・
当事の政府は佐藤栄作氏が総理大臣、保利茂氏が官房長官、中曽根康弘氏が防衛庁長官です。

このままでは、おそらく時間のみが過ぎさり、拉致問題は歴史の中に埋もれる可能性が極めて大です!国民的な運動の盛り上がりのためにも是非「拉致問題を考える日」の制定を!政府は、本気でやる気さえあれば制定可能だと思います!


こんな理不尽な事案を積極的に報道しないマスコミは何者だろうかと思う昨今です。
信憑性については、未確認、未精査部分が大部分で何とも思えませんが、意味不明文等多々あると思います。思いつき、想いを書いていますが、こんな見方をしている方もいると言うことで、あくまで日記プログと言うことで!

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