極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

通商国家・カルタゴと戦後日本

2018-06-07 17:44:39 | 可笑しな日本の憲法

以下文は、「ある通商国家の興亡―カルタゴの遺書」 単行本1989/5・森本 哲郎・著、「ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書」オンデマンド (ペーパーバック)2016/7/15・森本 哲郎・著、ウィキペディア等々を参考にしています。「ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書」はお勧めの一冊です。

 

当時のカルタゴは、不思議と日本の戦後に似ています。あまりにも似ているため、戦後日本の未来を暗示しているようにさえ思います。カルタゴの史実に言えることは平和ボケしていた市民、孫子の兵法が無視されている、カルタゴを顧みない自分中心の商いに明け暮れていた生き方をしていたと思います。

カルタゴの滅亡の史実は世界の軍事、一般教育、勿論日本の自衛隊等でも参考にされているとも言われています。私達は学校でカルタゴの滅亡を学びますが、何故滅んだか、軍事力の必要性はタブーのようです。私達はカルタゴの史実から学ぶべきものは多々あると思います。

今、幸い日本は安倍政権下で、国を皆んなで守ろうと言う気概を醸成しようとしていると思いますが、メディア等は相変わらず安倍政権バッシングの日々、憲法改正を目指していなかったらこのようなバッシングは無かったでしょう。憲法改正は国家の独立国としての尊厳、夢・希望・誇りを取り戻すことが出来ます。私達に目に見えない物質的なものを越える大きな影響を与えると思います。今日本は未来、が決まる岐路にあると思います。諸論等あろうかと思いますが小事で大事を失わないようにしてもらいたいものです。カルタゴの史実から何かを感じ取ってもらいたいものです。

 

カルタゴと聞いたら、多くの方は昔あった国で滅んだ国だとお分かりだと思いますが、具体的に地理的には何処か、滅んだ真相はと言うと少し難しいと思います。カルタゴの名は、フェニキア語のカルト・ハダシュト(Kart Hadasht:新しい町)に由来していると言われています。

カルタゴは、イタリア、シチリアの反対側のアフリカ大陸の地中海側に面し、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人(アシュケナージ・ユダヤ人)やアラビア商人と同じセム語族で日本人・・・

 

当時のカルタゴは高い造船技術を有し、スペイン、シチリア等の海外領土を支配していました。紀元前3世紀、地中海貿易で富を蓄え、ローマと並ぶ強国になっています。
紀元前264年、ローマとカルタゴの間にあるシシリー島でカルタゴとローマは激突・・・この戦いは23年間の中断をはさんで63年間続きました。第1次ポエニ戦争(紀元前264年~紀元前241年)、第2次ポエニ戦争(紀元前219年~紀元前201年)です。ポエニという名称は、ローマ人によるフェニキア人の呼び名から名付けられています。

第2次ポエニ戦争でローマに敗戦、戦勝国から武装解除させられ、戦争を放棄することになりました。

全ての海外領土は放棄、軍船、象もローマに引き渡し、軍隊は自衛のものだけが許されますが自衛戦争の場合でもローマの許可が必要で、後々許可の項が問題となり、カルタゴが滅亡する主因となります。
50年払いで1万タラント(古代ギリシャ・ヘブライの重量単位、貨幣単位)の賠償金をローマに支払うことが決まりますが、何とかカルタゴは残りました。BC187年、カルタゴは50年払いと決められた賠償金を一括払いしたいと申し出します。カルタゴ人の経済力にローマ人達は、羨望と同時に恐怖心をも抱き始めます。
カルタゴの100人会(将軍職は特定の家系の出身が多く、その権限を制限するために設立された会)は貴族の世襲制、戦後代議員が選挙で選ばれるようになりました。カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。

以後、カルタゴは戦後の復興を経済、経済繁栄を見事に成し遂げ、戦後賠償も終えましたが、その経済繁栄を脅威だと捉えた強国ローマに滅ぼされました。

滅亡直前、カルタゴの愛国者・ハンニバル将軍(紀元前247年~紀元前183年・64才没、古代カルタゴの将軍であり、ローマと数十年に渡り戦闘を行っています。戦術家としての才能に優れ、現代も各国軍隊からも教育資料として参考にされています。)はローマの野心を見抜き、祖国カルタゴの危機を市民に必死に訴えましたが、平和ぼけしたカルタゴ市民は耳を貸すどころか、ハンニバルを中傷する人さえ現われています。最終的にハンニバルはローマ帝国に洗脳された者達にローマに売られ、自殺にまで追い込んでしまいました。

 

当時、経済大国であったカルタゴの最大の問題は、隣国のヌミディア、騎馬兵を有する強国です。自衛力しか保有しないカルタゴを馬鹿にし領土をどんどん侵犯します。カルタゴはローマに調停をお願いしますが黒幕のローマは取り合いません。
カルタゴとヌミディアの間で戦争勃発、カルタゴは敗北・・・自衛戦争であってもローマの事前許可のない戦争は条約違反、ローマはカルタゴに対して突然宣戦布告、ビックリしたのはカルタゴ、ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出しますが、8万人の最強ローマ兵がカルタゴに進軍開始、カルタゴの使者がどうしたら許してもらえるか?とローマの司令官に問います。
ローマの司令官の回答は・・・

全ての武器を差し出せ!

カルタゴは20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を差し出します。

司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。

我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ市民には、今の街より10マイル内陸部に新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は驚愕、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。
返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第3次ポエニ戦争(紀元前149年~紀元前146年)で、この戦いはローマによるカルタゴの民族浄化とも言われています。

カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。
丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めました。しかし、戦闘と飢え、疫病で20万人のカルタゴ市民は10万人に減少・・・
ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されました。

ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降しますが、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。

カルタゴの街は瓦礫となりました。
カルタゴの復活を恐れたローマは、この地に塩を撒き不毛の土地にします。700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅亡しました。

 

カルタゴが滅亡した時代は違いますが、背景は現代日本にも通じるものがあるかも知れません。決して他人事ではないように思います。「ある通商国家の興亡―カルタゴの遺書」・・・遺書とは英語では farewell letter、 note で、直前に迫った死を知って、残された家、友人に向けて残されるもので、この著者は未来の国々への貴重な史実のため遺書と言う言葉を使用していると思います。

世界でこのカルタゴの史実を学べるのは、可笑しな憲法保有国でもある日本意外にはないと思います。私達はこのカルタゴが滅んだ史実を教訓として学ぶ必要があると思います。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何故、日本人の英語力が上が... | トップ | CIAを凌駕する諜報機関は存在... »
最新の画像もっと見る

可笑しな日本の憲法」カテゴリの最新記事