(八)

2012-07-11 06:09:57 | ゆーさんの「パソ街!」(六)―(十)
                    (八)



 近代文明の発展は言うまでもなく科学技術によってもたらされた。

研究の成果は技術革新を生み、その成果はやがて新製品として販売

され、人々はそれらを買い求めることによって新しい時代の幕開け

を予感した。しかし、21世紀に入るとその勢いも漸く衰えたのか、

例えば、テレビは薄くなったり、自動車は電動になったりと画期的

な技術革新が生まれても、テレビは薄くなったところで所詮テレビ

に変わりはないし、自動車が電動になったからといって空を飛べ

るようになった訳ではない。人々は薄くなったテレビに買い換えて

も嘗てのような新しい時代を予感することはない。何もなかった時

代の人々が新製品の購買意欲を抑えられなかった時代とは違う

のだ。今では誰も技術革新が社会を変えるなどと思っていない。

それどころか、新しい技術が自然環境を無視して開発されること

への不安さえ芽生え始めた。事実、蓄電技術や電子技術を支え

るレアアースは大地を削り地中深くまで掘り崩さなければ確保で

きないのだ。人々の環境への意識の高まりと技術革新の行き詰

まりはまるで呼応しているかのようだ。近代とは、ひとつのものを

得ればそれ以外のものを失うことを、改めて思い知らされた時代

であった。

 とは言っても、科学技術を棄てて近代以前へ後戻りすることなど

とても出来る訳がない。恐らく我々は近代文明の頂上らしき処に立

った。しかし、頂上に立つ者がジレンマに苦しむのは既に前には道

がなく、後には追従する大衆が崖を這い上がって来ることだ。頂上

に立つ者は這い上がって来る大衆を説得しようする。「下りろ!こ

の山はすでに征服された。下山して次の山を目指そう!」しかし、

頂上を目指している大衆は本より聞く耳など持たない。「お前が下

りろ!」と怒鳴り返す。この国の政治は近代社会という山の上で二

十年以上もこんな「すったもんだ」を繰り広げてきた。お陰で我々

は新しい道に踏み出すことも出来ず、辛うじて懐の路銀で凌(しの)

いで来たが、もはやそれも底を突こうとしている。ただ、山は冬の

訪れが早いことを肝に銘じなければならない。

 しかし、科学技術を自然循環と調和させようという取り組みがど

れほど試みられてきただろうか。科学とは本来自然と対立した概念

ではない。それは自然から抽象された概念である。つまり、自然循

環の中で科学技術を生かすことは不可能なことではないのだ。もち

ろん近代文明はそうして発展してきたと言うかも知れないが、資本

主義は余りにも自然から奪い過ぎた。今では月の土地まで囲ってい

る。もはや資源は無尽蔵に在るのではない。ロールエンドの赤い印

(しるし)が現れはじめたのだ。そこで、何とかしてロールペーパー

の裏の白紙を利用することが出来ないものか。そんなことをすれば

ロール紙の売り上げが半減するではないか。そうだ!経済が環境問

題の足を引っ張っているのだ。自然環境にとって経済成長との相克

は避けられない難題である。しかし、人間が生存を脅かされる環境

に晒されて、それでも経済成長を望むのだろうか。恐らく、これか

らの世界経済は地球環境の危機が叫ばれる度に後退を余儀なくされ、

一進一退を繰り返して収縮し、何れ人々は成長しない経済に飽きて

しまい、熱気を失った資本主義の賭場から有り金を磨(す)って立ち

去らざるを得なくなるだろう。つまり、無尽蔵に供給してくれた自然は

遂に巨大化した市場を支えきれなくなって枯渇し、経済成長の停滞

が「近代文明の終焉」をもたらすだろう。

 調子に乗って思っていることを述べて、自らでハードルを上げた

嫌いは否めないが、わたしが作った水流発電機はほぼ一家の電力を

賄えるまでに改良された。「ほぼ」と言ったのは川の水量で増減が

生じるし、また、他の川へ持って行けば異なった結果になるからだ。

こんなふうに自然エネルギーというのは地域によってもまた場所に

よっても天気によってもその発電量が異なってくる。例えば、西ヨ

ーロッパの平坦な国で風力発電が機能しているからといって、山ば

かりの日本に持って来ても設置工事やその後のメンテナンスに困難

が付き纏い課題が多い。更に、四季を通して風向きが変化するので

相応しいとは思えない。太陽光発電の場合も、山だらけの(山が障

害になって日照時間が減る)狭い日本では大掛かりな設置場所が

確保出来ない。つまり、自然エネルギーこそが地産地消でなければ

ならないのだ。我々は外にばかりに眼を向けるが、実は、昔から自然

エネルギーを利用していた。それは水車である。水車こそが水に恵ま

れたこの国に相応しい自然エネルギーの活用ではないのか。まった

く、何だって我々はこんなにも無駄に水を垂れ流しているのだろう。

起伏に富んだ地形があって、従って自然が設(しつら)えた落差があ

って、然も降水量に恵まれた土地であるにも拘わらず、もっと言え

ば水流からエネルギーを取り出す優れた技術があるにも拘わらず、

未だに「ゆく川の流れ」を絶えず眺めてばかりいるのだ。もしかし

て、河川を管理する河川局と水力発電所を持つ電力会社が結託し

て姑息な妨害をしているのではないかと勘繰りたくなるほど、河川

の利用は許可されない。わたしの水力発電機は河川での利用が

許可されず、またもや頓挫してしまった。この国の自然エネルギー

利用が遅々として進まないのは行政が既存の業界を守ろうとして

新参のベンチャー起業家の技術革新を阻んでいるからに他ならな

い。

自家発電を志すエコロジストたちよ!今こそ治水を名目に河川を

占有する権力者から我々の正当な利水権を奪い返そう!

さあっ!全国のエコロジストよ!立ち上がれ!

(では、皆さんご一緒に!)

「カワヲカエセ!(川を返せ!) オオ―ッ!」

あっ、また調子に乗りすぎた?

                            (つづく)


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