「技術と芸術」(2)

2020-01-30 14:43:27 | 従って、本来の「ブログ」

           「技術と芸術」


             (2)

 いまや時代は科学技術全盛で近代化とは科学技術化と同義語であり

、さらにAI(人工知能)化時代の到来で芸術でさえもAIが使われよ

うとしているが、それを「科学芸術」と呼べなくはないが、果たして

我々は人工知能による作品に精神性を感受することができるのだろう

か?そもそも人格のない集積回路に「精神」が生れるのだろうか?科

学技術は専ら生産性を重んじる経済活動の下で実用的な製品を効率的

に製作するが、芸術には生産性も実用性も皆無である。それでもニー

チェは、真理、つまり科学的認識よりも芸術の方が価値があると説く

が、それはこの世界は変遷流転する生成であり、生成とは「力への意

志」であり、そして、芸術こそが「力への意志」の最も明解に形態化

した創造行為であると言うのだ。そして、「芸術を形而上学的に把握

する場合にのみ意味と正当性をもつのである」[ハイデガー著「ニーチ

ェ」]  ここで敢えて「形而上学的」を「精神」と置き換えれば、「精

神」無き芸術は無意味であり正当性をもたないことになり、それは商

業芸術にほかならない。今や商業芸術は、音楽にしろ絵画にしろ文芸

にしても、経済的価値ばかりが求められて、確かにその技巧は優れて

いるかもしれないが、ただ、我々の「精神」には何も届かない。

 

                         (つづく) 


「あほリズム」(634)

2020-01-29 01:47:09 | アフォリズム(箴言)ではありません
          「あほリズム」


           (634)

 広島弁で「てこずる。あがく。難儀する。」ことを「あずる」

と言い、たとえば「遅刻しそうになって《あずった》」などと

使います。ところで、近頃ネットでは頻繁に「バズる」という

言葉が飛び交っていますが、広島人は「あずる」の反意語だと

理解しているがそれほど違和感がない。

「技術と芸術」

2020-01-26 16:27:17 | 従って、本来の「ブログ」
          「技術と芸術」



 科学と技術を結合させた「科学技術」という言葉は頻繁に使われ

るが、科学と芸術を合わせた「科学芸術」という言葉はまず使われ

ない。それは科学と芸術が相反する概念であるからなのだろうか。

科学とはもちろん理性によってもたらされる認識であり、芸術とは

感性によってもたらされる美的意識である。つまり、科学は理性に

よって規定され、芸術は感性によって規定される。そして技術もま

た理性によって規定される。たとえば、字を書くという技術を行為

する時、理性は正確であることだけを意識するが、ところが感性の

方は字の美しさにも意識する。理性的な人は字が汚いというのは強

(あなが)ち間違いではないのかもしれない。

 そもそも「芸術(arts)」という言葉は、ギリシャ語の「テクネー

(techné)」がラテン語では「アルス(ars)」と訳され、それが英語

の「アート(art)」へ引き継がれて、もともとは「人工のもの」と

いう意味の医術や土木工学などの広い分野を含む概念で、現在でい

うところの「技術」にあたる。[ウィキペディア] つまり「芸術」

は「技術」から派生した言葉であり「技術」とは切り離すことがで

きない。では技術と芸術の違いは何かと言えば、私は精神ではない

かと考える。

                         (つづく)

「あほリズム」(633)

2020-01-19 19:59:44 | アフォリズム(箴言)ではありません
        「あほリズム」


         (633)

 セレブの二世男性国会議員が育児休暇の取得を躊躇っている男親

たちに自ら範を垂れんと率先して育児休暇の取得を宣言したが、ま

るで全くのフェイクだったトリクルダウン理論の二番煎じのような

パフォーマンスに誰も従わないことは明らかだが、たぶん貴方は船

から飛び降りても自分の舟に乗り移ることができるのだろうが、し

かし、世の多くの世帯主は会社という船から一時的にでも離れれば、

終身雇用、年功序列の会社道徳の中で忽ち孤立して家族もろとも海

の底に沈んでしまうのだ。もしも貴方が政治家で本当に男親の育児

休暇を認めるべきだと強い信念があるなら、個人的なパフォーマン

スで男たちに後に続けと説く前に、飛び込んでも溺れないように育

児休暇の義務化を法制化することにこそ尽力すべきではないだろうか?

「あほリズム」(632)

2020-01-19 10:32:35 | アフォリズム(箴言)ではありません
         「あほリズム」


          (632)

 

 AI化社会は生活に関わるおおよそのことが管理され、われわれは

ニヒリズムに苛まれることだろう。そこで効率的に精神を癒すために

薬物依存が蔓延する。すでに大麻はいくつかの国で合法化されつつあ

るが、それは深刻な社会崩壊をもたらすだろう。つまり、管理社会と

は依存社会にほかならない。果たして、われわれは自立した精神を、

たぶんそれは管理社会から見れば無意味に思えるに違いないが、持ち

続けることができるだろうか?