「政治家 (゜⊿゜)イラネ」

2014-11-25 12:35:44 | インポート

 

          「政治家 (゜⊿゜)イラネ」
  
 ― IT社会が目指す政治とは直接民主主義ではないか?―

 

 また選挙らしい。しかし、そもそも政治家を選ぶ選挙こそが民主主

義の原点だというのは間違いではないだろうか?民主主義の原点は直

接民主主義ではないのか?すでにネット社会はその要求に応えること

ができるはずだ。少なくとも膨大な歳費によって購われる馬鹿げた議

員ばかりの地方議会くらいなら、議会をなくして市民による直接民主

政治にすることができるのではないだろうか?

 以下は当ブログに2012年6月21日に載せた記事です。いま読

み返してみるとちょっと乱暴な文章ですが、想いそのものはまったく

変わっていません。つまり、IT社会が求める政治とは直接民主主義

ではないだろうか?ということです。

 


       *       *       *

         

            「直接民主主義」


 この国で、将来の理想を語ることがどれほど空しい徒労に終わる

ことになるかを知らないわけではないが、それでも既得権益に群が

る腐った蛆虫どもと同等に見られたくないので、空しさを予感した

上で理想を語ろうと思う。

 すでにインターネット技術の発達によって、有権者による直接民

主主義が可能ではないだろうか。技術的なことは詳しくないがそれ

ほど難しいことだとは思えない。ただ、総背番号制は欠かせないだ

ろうが、投票に用いる端末器を行き渡らせることや、その集計には

それほど問題があるとは思えない。もしもそうなれば、まず、莫大

な歳費を貪るだけの国と地方に巣食う代議士が一掃できる。後はそ

の処理に当たる事務局さえ残せばいいだけだ。もっともその事務方

が歪めてしまう危険性がないわけではないが、それさえも直接投票

によって糾すことができるはずだ。立法を求める法案は全ての有権

者が提案でき、何段階かの審査投票を経て議案として取り上げ最終

的に住民投票か国民投票でクリック一つで採決する。矛盾する法律

の調整だけが官僚たちの役割だ。もう彼等が無能な政治家を使って

思い通りに引水させてはならない。専門的な知識が求められたり是

非に対する様々な意見は専門家による解説や議論をインターネット

上やマス・メディアを通じて行えばいい。無用になった国会は、こ

の国の腐敗した政治の歴史を伝える博物館にでもすればいい。

 もう政治家を無くそう、と言うのは、本来主権が国民や住民にあ

るのなら、大統領も首相も知事も市長もまして何の役にも立たない

議員など無用のはずではないか。彼等が国民の負託を忘れ官僚に洗

脳されて体制に従うのであれば、いったい何をする為の代議士なの

か。民主主義に於いてリーダーとは有権者の上に権力を与えられて

立つ人ではなく、有権者の決定を執行する監督人に過ぎない。これ

ほどまでにも国民の意志が政治家によって歪められてしまうなら、

そして政治家の歳費こそが大きな債務を生むのであれば、たとえ衆

愚政治に陥ったとしても、どちらにしてもその責任を負わされるの

は主権者たる国民であるのだから、責任を負うべき主権者の直接の

判断によって決定される方がマシではないか。ポピュリズムを警戒

する人は、それでは今の政治家たちは信念を曲げずにポピュリズム

に対して毅然として立ち向かっているだろうか。いったい誰が主権

者の声を代弁してくれるポピュリストだというのか。何れも既得権

にしがみつく団体の御用政治家ばかりじゃないか。この頃のSNS

の浸透や携帯端末の充実を見れば、その流れは今の政治を変えて、

直接民主主義へ向かわせているように思えてならない。そう考えて

いるだけでも空しさを忘れて何だか気分がスッキリしてきた。


「あほリズム」

2014-11-25 12:08:56 | インポート

 


        「あほリズム」


         (342)


 わが国の経済の専門家たちは、少子高齢化による人口減少こそが経

済成長の足を引っ張っていると訴えるが、しかし、一方で環境問題の

専門家たちは同じ理由によって環境への負荷が軽減されると期待を寄

せる。


          (343)


 これまで我々は科学の無限の可能性を信じて疑わなかったが、すで

にその限界に絶望し始めている。かつて宗教がそうであったように。

 


「あほリズム」 (340)

2014-11-14 01:24:14 | インポート

 

          「あほリズム」

            (340) 

 かつて文明は生存のための手段に過ぎなかった。

ところが、今や文明こそが目的である。

そして、われわれはその変遷を「進化」と呼んでいる。

 

            (341)

 かつて、われわれの高邁な精神が神を創造し、

また狡猾な欲望が科学を想像した。そのどちらもが

極端に過ぎるとすれば、現実的な選択は、神と科学の

間にある。