「あほリズム」(817)(818)

2021-03-30 06:29:02 | アフォリズム(箴言)ではありません

       「あほリズム」

 

         (817)

 

 科学の疚しさはゴミ問題に尽きる。そして、人間の生産活動には

ゴミの排出が必然であるとすれば、それは近代人の疚しさである。

 

         (818)

 

 これからは、如何にして新しい「モノ」を生むかよりも、それが

如何なる「ゴミ」を生むのかが問われる。つまり、棄てることから

の逆転した技術革新が求められる。


「・・・」

2021-03-29 04:57:17 | 「二元論」

          「・・・」


 ハイデガーはまず、「存在とは何か?」を問う前に「存在とは

何か?」を問う人間とは何かを問います。何故なら「存在とは何

か?」という問いは人間だけが発する問いであり、その答えは人

間が認識できなければ意味がないからです。そもそも人間以外の

生物たちは本能に支配されていて「いまここの自分」だけにしか

関心がなく、そこには過去も未来もない。しかし人間は進化した

理性によって本能的な自分が置かれた「いまここの自分」を脱け

出して、ハイデガーはそれを「脱自態」と呼びますが、過去を思

い出し未来を思い描きます。こうして過去、現在、未来を想像す

ることは「おのれを時間化する」(ハイデガー)ことだと言い、こ

の「時間化」こそが「いまここの自分」を超越してその先の世界

を規定する「存在」へと関心が向けられる、と言うのです。つま

り、われわれが「存在とは何か?」を問うのは「おのれを時間化

する」ことから生れるのです。では、なぜ「存在とは何か?」を

問うのかと言えば、世界を規定している「存在」の視点に身を置

くことによって、世界全体を認識することができるからです。ハ

イデガーはそれを「存在了解」と言います。

 


「二元論」 (6)

2021-03-25 05:40:32 | 「二元論」

          「二元論」


           (6)


 あまりにも枝葉末節にこだわり過ぎて根幹が見えなくなったの

で、ここでもう一度木田元による「ハイデガーの思想」をわかり

易く整理しますと、まず初期のハイデガーは〈現存在が存在を規

定する〉と考えていた。これはどういうことか言うと、たとえば

現存在を神と置き換えて〈神が存在を規定する〉と言えば多分す

んなり理解できると思いますが、そして、その神が「死んで」(ニ

ーチェ)、その代わりに現存在、つまり「人間」が世界を規定する

と考えていた。だから「世界は人間によって作り変えられる」。

であれば、人間はそもそもの〈本来性〉に立ち返って、世界を〈

存在=生成〉として捉え直して、人間中心の科学技術を見直すべ

きだと考えていた。ここでどうしても理解しづらいのは「人間の

本来性」という言葉だと思いますが、これはわれわれ近代人の生

き方が本来的ではないと言うのです。つまり、人間が生成として

の世界(自然)を「材料・資料」として扱い、人間が中心の固定化

した「非生成」社会に作り変えることは「世界=内=存在」とし

ての人間の「本来性」から逸脱しているのではないか。そこで、

たぶんハイデガーはそれまでの〈現存在が存在を規定する〉とい

う存在概念を改めて、〈存在が現存在を規定する〉のではないか

という転回(ケ―レ)を認識したに違いない。「世界=内=存在」

という考え方は〈存在が現存在を規定する〉という存在概念から

でなければもたらされない。

                       (つづく)

 


「あほリズム」(816)

2021-03-24 07:47:41 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

            (816)

 

 当局の政治意識がそれほど違わずに、しかし国民の数が日本の

14倍もあるとすれば、中国人の人権意識は日本の14分の1程

度に違いない。われわれが一人の理不尽な死をも許さないにして

も、彼らは14人くらい死なないと「ヤバいじゃん!」とならない。