「技術と芸術」(7)

2020-02-27 13:22:21 | 従って、本来の「ブログ」

         「技術と芸術」

 

           (7)

ニーチェによると、世界とは《生成》の世界であり、《生成》の世

界とは変遷流転する世界であり、それは《力への意志》によっても

たらされる。《力への意志》とは、変遷流転する生成の世界をもた

らす根源的な《意志》で、たとえば、春になれば植物の新芽が一斉

に萌え出でてくることや、または、人は思春期を迎えれば異性を意

識するようになるが、それは何も自分の「意志」からというよりは、

物本能に促されての意志でしかなかったり、或は、そもそも我々

は意志して生れてた訳ではないのに、だからといって引き返す意

志も思い通りにならないといったような、それぞれの意志ではどう

することもならない沸々と萌え出でる生成の「意志」であり、この

世界のすべての存在は、もちろん道端に転がっているの石にしても、

《力への意志》に突き動かされて変遷流転を繰り返している。それ

では、人間にとって《力への意志》はどう作用するのかといえば、

それは《情動》であり、《情動》こそが《力への意志》の発達形態

であると言う。

 

                         (つづく)


「あほリズム」(644)

2020-02-26 14:36:37 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (644)

 

 新型コロナウィルスの感染拡大への対応で、政府が躊躇い

がちに後追い対策に終始するのは、中国からのインバウン

ドがもたらす経済活動への影響を考慮して、すでに春節前か

ら感染が中国全土に拡散し始めていたにもかかわらず、中国

からの入国を全面禁止にしなかったことに始まる。感染拡大

のリスクは、安倍政権の命運と共に「これから1,2週間が瀬

戸際」である。パンデミックにでもなれば、当然オリンピック

開催も危うくなる。

 

 


「技術と芸術」(6)

2020-02-20 04:26:29 | 従って、本来の「ブログ」

           「技術と芸術」


              (6)


 随分と寄り道をしましたが、では「芸術とは何か?」と問われれば、

それは「精神」だと言えるでしょう。そして「精神とは何か?」と言

えば、理性では解き明かすことのできない「イデア」であり、「神」

であり、「物自体」であり、「意志」であり、そして「力への意志」

ではないかと思います。つまり、「技術」が排除したものが「精神」

ではないかと思います。

 さて、これからの情報社会はますますAI技術が進化して「精神」

などという前時代的なものは顰蹙を買う時代がくるのかもしれません

が、しかし、生成の世界は理性によって創られたのではありません。

つまり、合理性がすべての近代社会で、唯一不合理な存在が人間であ

り、生成の世界です。我々の理性は様々な科学技術を「人間のために」

考案しますが、その人間こそが非科学的な存在なのです。

 ところで、我々は古くから肉体はいずれ滅ぶが精神だけは永遠に生

き続けるという二元論を信じてきましたが、科学技術はいずれ滅ぶ肉

体に貢献しても永遠に生き続ける精神には何の関与もできません。い

や、そもそも科学技術によって何もかもが思い通りになるなら精神な

どという如何わしいものは存在する必然性がないのかもしれませんが、

我々は科学の進歩によって精神を退化させてしまった。しかし、果た

して我々は「真の世界」を失っても憂いなくこの仮象の世界世から消

え去ることができるだろうか?

 生成の世界とは変遷流転する世界であり、たとえば、これは前にも

記しましたが、道端に転がっている石でさえも、それを構成する最少

物質の素粒子は粒子としての性格だけでなく波動の性格も併せ持ち、

仮に「意志」とは運動から芽生えるとすれば、運動能力のない存在

に自由意志が芽生える必然性がないので、もちろん時間のタームは大

きく異なるが、道端の石でさえも変化する「意志」を持ち得る。さら

に宇宙に目をやれば、天体に輝く星々はあたかも生命体のように数億

年単位で成長と衰退の周期を辿ることが分っている。つまり、この世

界は変遷流転する生成の世界であり、それはニーチェの言う「力への

意志」にほかならない。そして「力への意志」とは何かと問えば、根

源的「情動」であると答えている。そして、意志は《情緒》である、

意志は《情熱》である、意志は《感情》である、意志は《命令》であ

る、とも述べている。即ち、それらから派生するのは「精神」であり、

「力への意志」とは「精神」にほかならない。

                         (つづく)


「あほリズム」(643)

2020-02-20 01:21:28 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (643)

 

 安倍政権は、消費増税後の景気後退、新型コロナウィルスの

水際阻止の失敗、森友・加計疑惑問題に続き支持者への便宜供

与とそれに伴う公文書の隠蔽と改ざんと廃棄、いよいよここに

きて政治家としての命運が尽きようとしている。


「技術と芸術」 (5)

2020-02-19 12:36:01 | 従って、本来の「ブログ」

          「技術と芸術」


            (5)

 ニーチェはショウペンハウア―から多大な影響を受けたが、その最

たるものは「ペシミズム」とそれから遁れるための「芸術」だった。

ショウペンハウア―は芸術の対象は「イデア」(真の世界)だとしたが、

プラト二ズムを否定するニーチェは「芸術は《真理》よりも多くの価

値がある」と言い、芸術の価値は認めたが、その対象は「イデア」で

あることは認めなかった。そしてショウペンハウア―が「世界とは『

意志』である」と言ったのに対して「世界とは『力への意志』である」

と言い、「力への意志」とは一言で言えば「陶酔」であり、「芸術は

力への意志のもっとも透明で熟知の形態である」と言った。さて、「

存在とは何であるか?」を問えば理性は《真理》に到達することなく

ペシミズム(ショウペンハウア―)かニヒリズム(ニーチェ)に陥らざるを

得ない。ニーチェは著書「悲劇の誕生」で賢者シレノスの言葉を引用

しているが、それは「人間にとってもっとも善いことは、生まれなか

ったこと、存在しないこと、何者でもないことだ。次に善いことは、

すぐに死ぬことだ」(ニーチェ著『悲劇に誕生』[第3節])、では、すぐ

に死ねない者はどうすればいいのかと言うと、「芸術はニヒリズムに対

する卓越した反対運動である」と言い、芸術こそがニヒリズムに陥らな

い卓越した方法だと言います。生成の世界は理性によって生れたのでは

ないので理性によって解き明かすことはできない。ただ芸術の創造性だ

けが世界の創造に近付くことができると言うのです。

                         (つづく)