『金正恩氏「長い闘争を決意」党会議、異例の4日目』

2019-12-31 12:45:01 | 従って、本来の「ブログ」

『金正恩氏「長い闘争を決意」党会議、異例の4日目』
日本経済新聞 2019/12/31 8:32
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54000050R31C19A2000000/

 

【ソウル=恩地洋介】北朝鮮の朝鮮中央通信は31日、3日目となる
朝鮮労働党の中央委員会総会が30日に開かれたと報じた。金正恩
(キム・ジョンウン)委員長は報告で、積極的な外交と軍事的対応
を準備すると強調し「苦しく長い闘争を決意した」と述べた。米
国との非核化交渉で譲歩せず、制裁がさらに長期化する覚悟を説
いたとみられる。
党の中央委総会は28日に始まった。会議は続くと伝えており、31
日も4日目の会議を開催するもようだ。金正恩氏は1月1日に新年
の演説に臨むのが恒例で、その場で具体的な対米方針などに直接
言及する可能性がある。
同通信によると、金正恩氏の報告は7時間に及んだ。「国の自主権
と安全を徹底的に保障するための積極的で攻勢的な政治外交、軍
事的対応措置を準備する」と語り、出席者全員が支持を表明したと
伝えている。「我々の前進を妨げるあらゆる挑戦と難関を除去し、
進軍の歩をさらに進める」とも主張した。

          *    *    *

 そもそも年の瀬も押し迫ったこんな時期に中央総会を開くこと

自体が異常であるし、「我々の前進を妨げるあらゆる挑戦と難関

を除去し、進軍の歩をさらに進める」と主張したことにも何か逼

迫した状況が感じられる。かつてわが国が欧米列強による経済制

裁に耐えかねて師走のこの時期に真珠湾を攻撃したことを思い出

さずに居られない。

 たとえば、世界中の人々が新年の平和を願いながら唱えるカウ

ントダウンに合わせて「0」と同時に自慢のICBMを発射させ

たりすれば面白い、否、怖ろしい。


「あほリズム」(624)

2019-12-22 04:32:36 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (624)

 

 SNSはもちろんのこと、たぶんITから所謂「文学」は生れて

くるとは思えない。

 実は、これはすごく深刻な問題で、IT化によって文学だけにと

どまらず芸術全般が見捨てられるとすれば、そして芸術こそが優れ

て人間的な行為であるとすれば、IT社会の下で、もはや我々は経

済効率を追求するだけの単なる経済動物に過ぎなくなる。つまり、

IT社会の「家畜」に他ならない。

 

           (625)

 

 科学技術が我々にもたらしてくれる最大のものとは生活の利便性

である。誰しも我々は楽して生きたいと願っているのだ。しかし、

それって我々から困難を克服する能力を失わせていないだろうか?

 

 

 


「あほリズム」(623)

2019-12-18 13:09:34 | アフォリズム(箴言)ではありません

 古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは「万物流転(パンタレイ

panta rhei)」を唱えたが、何も改まって言われなくとも何れ老い

さらばえて死に去る者にとっては自明の道理である。が、芽生えた

生への執着から道理に抗って一時もこの世に留まっていたいと思う

のは何も人間だけに在らず、全ての生き物が願って已まないことで

はあるが、そこで道具を使う人間は延命のための様々な薬品や装置

を用いるが、そもそも全身が寿命を迎えようとしているのに個々の

不具合をいくら改めてもたぶん一時的には老いを忘れることができ

たとしても、何れバランスを欠いた全身が再び若返ることなど起こ

るはずがなく、右足を痛めた人が左足で庇うあまり、右足が治った

と思ったら今度は左足が痛みだした、というのは良く聞く話で、人

間の体は微妙なバランスの上に安定を維持しているのだ。たとえば、

入れ歯をすることによって何でも食べられるようになって旺盛な食

欲が戻ってきたとしても、すでに消化器官は消化吸収する機能を衰

えさせていて過剰摂取による新たな弊害が生じて、するとすぐに薬

に頼って消化剤や整腸剤を服用し、やがて常用するようになり、遂

にはその副作用でポリープができ、悪性化して切除手術を受け、し

ばらくすると転移が見つかり、そうなればもはや病気の機嫌を伺い

ながら生きるしかなく、健康な日常生活はほとんど失われひたすら

絶望へと堕ちていく終末が訪れる。要するに、生成の世界とは「万

物流転」であるとすれば、万物(自然)に抗って流転をくい止めるこ

となどできないのであれば、流れに身を任せて生きることは恨みを

残さない死に方なのかもしれない。

 長くなってしまったが、そもそも我々が生命の存続を科学技術に

依存している限り、いわゆる地球温暖化問題は改善されることはな

いのではないかと思ったからで、我々が終末期を迎えた時、科学的

な治療への依存を拒んで、敢えて、ただ自身に備わっている体力だ

けで自立した死を択ぶことができないとすれば、つまり投薬やさま

ざまな医療機器に頼らずに人生を終えることができないとすれば、

とても温室効果ガスの排出を減らすために科学技術への依存を見直

す、たとえば飛行機には乗らないでヨットで行くなどという選択さ

えもたぶん意味を失うようになるに違いない。つまり、我々が自ら

の生存を科学技術に頼っている限り、科学技術がもたらす様々な問

題を克服することなど到底できないのではないか。


「あほリズム」(621)

2019-12-16 09:26:42 | アフォリズム(箴言)ではありません

           「あほリズム」

 

            (621)

 

 今やわれわれ近代人にとって「進化」と言えば技術や道具(機械)

の進化のことしか思い浮かばないが、しかし、そもそも「進化」と

は「生物進化」、即ち我々自身の「能力進化」のことで、さて、な

るほど近代社会は様々な技術進化によって画期的に進化したが、そ

れでは、そもそもの「生物進化」はどうなっただろうか。果たして

我々の本能に備わっている身体能力や思考能力は衰えていないだろ

うか?たとえばメガネは我々の視力を《より進化》させてくれただ

ろうか?それどころか、もしかしたら技術進化こそが我々の身体能

力を退化させていないだろうか?

 

             (622)

 

 技術進化への依存が自立した能力進化を妨げていないだろうか?