(九十一)

2012-07-11 08:51:56 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(九十一
                    (九十一)



 バロックのメール、続き。

 「最近になってやっと政府は地熱発電の開発を始めようとしてい

る。以下はそれを伝えるニュース。

【政府『地熱発電』普及促進、3倍拡大目標 新エネ法の対象認

定も】

『政府は、火山国・日本が豊富に持つ“純国産”のクリーンエネ

ルギーでありながら、ハードルが多く開発が進まない「地熱発電」

の普及促進に乗り出す。今春にも発電量を2030(平成42)

年までに現在の3倍程度に拡大する目標を打ち出す。また電力会

社に地熱発電の電気の買い取りを義務付ける「新エネルギー利用

特別措置(RPS)法」の対象に認定することで、開発を後押し

する。開発が制限される国立公園内の熱源を公園外からパイプを

通して利用する開発手法を認めることも検討していく。』

          MNS 産経ニュース 2009.2.8 00:40

sankei.jp.msn.com/life/environment/090208/env0902080045000-n2.htm

 ゆーさんは、あれは地熱発電や無うて『熱水』発電やと言った

。熱水が溜まっている所でしか発電でき無いし、汲み上げる間に

熱を失う。更に熱水が涸れると使えなくなる。ゆーさんは、発電

機を地下深くに埋めて電気だけを取り出すべきやと言うので、ど

の位深く掘ればいいのかと聞くと、一万メートルも掘れば何処を

掘っても発電できる地熱に辿り着く。一万メートルも掘れるの?

と聞くと、青函トンネルは五万メートルを超えてるんやから、そ

れを立てればエエだけの話しや、と笑って言った。どうもその辺

りから話しが怪しく為って来たが、地下一万メートルに置いた発

電機に、地上から水を送り地熱で水蒸気にして発電機のタービン

を回す。当然、水が途中で蒸発しない様に断熱材の中を通す。発

電機を回した水蒸気は地上近くで水になって再び地下の発電機へ

送る。『えっ!それって永久運動や!』って言ったら、『そうや。』

って涼しい顔で応えた。あんた、どう思う?」

                        (つづく)

(九十二)

2012-07-11 08:50:46 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(九十一
                  (九十二)




 私は、自分の部屋に戻って、彼女の肌触りや匂いの余韻に浸り

ながら夢に堕ちた。目が覚めた時はもう夜だった。眠りから覚め

ても、彼女のことが思考の全てだった。彼女が居ないことに今ま

でに無い寂しさを感じて、直ぐにK帯を取って彼女からのメール

を確かめたが、何も無かった。私は我慢でき無くなって彼女に電

話した。

「あらっ、どうしたの?」

「きのうは嬉しかった。また会いたい。」

「ちょっと!こんなの困る。メールにしてくれない。」

「・・・。」

「忙しいんだから、切るわよ。」

彼女は忙しい女社長に戻っていた。私は余りにも冷めた対応に

唖然として私との温度差を直感した。しばらくベットに横たわって

赤茶けた天井の斬新な美しさに気を取られて、しかしすぐに飽い

て、また女社長との追憶に浸ったが、今度は彼女の身にも為って

考える余裕も生まれて、自分の独り善がりな昂ぶりを反省した。

そして、かつてバロックが男と女の距離について言っていた事を

思い出した。

「近づき過ぎてはいけない。」

それでも一人で居ることに耐えられなくて、バロックに相談しよ

うと思いPCを開いた。すると、バロックからメールが届いてい

た。私はメールを読んでいるうちにすっかり彼女のことを忘れ、

バロックのメールに返信した。

「地下10000メートルに発電機なんて置けないよ、圧力で潰され

てしまうんじゃない?きっと。だけど、どの位までの深さならそうい

う事が出来るのかな?例えば、中継をしてギリギリの所で発電機

を置くって出来ないのかな?要は効率を高める微妙な技術力だよ

ね。」

すると、すぐにバロックから返事が返ってきた。

「わっ!ビックリした、居ったんか!」

向こう側にもバロックが居た。そして、

「うん、俺もそう思う。今までの産業革命以降の技術産業は、ア

ングロサクソンの『ALL 【OR】 NOTHING』という絶

対主義から生まれたが、それらは規模の拡大によって循環性を欠い

た不完全さが露になった。巨大化した人間は生態系の大気を吸い尽

くし炭素を撒き散らして窒息しかけてる。これからは日本人の『A

LL 【NOR】 NOTHING』という相対主義こそ意味を持

つかもしれん。ハイブリッド車なんかはその典型や。自然との妥協

や微妙な調節といった小さな力こそが循環を取り戻す可能性がある

のかもしれんね。決定を拙速に求めない事、つまり『ぶれる』事っ

て案外大事かもしれん。」

「あっ、そう。」

 私は返信した。

 「ところで、『ALL 【NOR】 NOTHING』って、ど

ういう意味?」

 バロックの返信。

「ごめん、間違うてるかもしれん。つまり、全てでは無いが、か

といって全く無いって訳でもないってこと。人間が自然環境に寄

生して生存している限り、思い通りには行かないこともある。我

々は自然環境を超えてまでも発展することなど出来ないんや。世

界中が東京やニューヨークの様に都市化された地球を、残念なが

ら、我々は目にする前に窒息してしまうやろう。」

 私のメール。

「会社員の頃、新潟の豪雪地帯に仲間とスキーに行った。吹雪の

為に早く宿に戻って来たので、晩飯までの間、皆でかまくらを作

るろうという事になった。新潟の豪雪地帯で6メートルを越える

積雪があった。出来上がったかまくらに皆が腰を下ろして、それ

から誰もが一斉に一服し始めた。当然かまくらの中は吐き出され

た煙が充満して息も出来い程になった。そこで天井に穴を開けて

換気を図ることにした。ところが、小さな穴では役に立たなくて

、下から棒で穴を広げている内に、遂に天井が抜けて皆がかまく

らの下敷きに為ってしまった。二酸化炭素によるオゾン層の破壊

の話しを聞く度に、何故かその時の事を思い出す。」

 バロックから。

「それは面白いメタファーや。俺考えるんやけど、人間は動物

だということを忘れていると思う。動物というのは動けるんや。

それは自然や樹木などの動けない物からすると凄いことやと思う

。つまり、動けるから考えることが出来るんや。動けない樹木は

我々の様に考える意味が無い。目も耳も必要ない、だって動けな

いんやから。自然や植物からすれば動物は信じられない速さで動

いているに違いない。それはあたかも光の帯の様に感じているん

じゃないのかな。自然にとって動物とは、時間を越えて、動かな

い世界の未来を変える存在なんや。ところが今や人間は動くこと

に厭き、出来るだけ動かずに済むように、ただそれだけの為に、

動かない植物の未来をも奪い取ろうとしている。やがて、我々は

思考と身体の繋がりが失われ、退化した身体を補助装置に支え

られて、それでも進化した頭脳で、人類の滅亡を確信する日が来

るのかもしれん。最も人間以外の世界はその日が来るのを待ち倦

ねているんやろうけど。」

                        (つづく)

(九十三)

2012-07-11 08:48:46 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(九十一
                      (九十三)



 私はメールを返した。

 「人類滅亡のシナリオは、人間だって待ち倦ねているかもしれな

いね。『南斗聖拳の伝承者達』だけは強かに生き残り、来たるべき

世界の終わりを、つまりは新たな世界の始まりを歓喜で迎えるに違

いない。もしかしたら、人類滅亡こそが新しい生物にとっての大い

なる遺産かもしれないね。恐竜が滅んでからでないと人類が誕生し

なかった様にね。戦争でも何でもして、幸いにも自分が生き残った

世界を想像すると、今よりは遥かに思い通りに生きられるんじゃな

いかって思う時がある。たとえ飢えに苦しんでも、何千万人もの人

が殺されたという事実を知ったら、生き残った幸せを感じるのかも

しれない。不謹慎な言い方をすれば、戦後の明るさにはそういう安

堵感があったのかもしれない。ところが今の我々はと言えば、流れ

に取り残された岩場の窪地に追い遣られた魚の様に、ジリジリと干

上がっていく淀みから焦って跳び出そうとする者も出てくるだろう。

すでに我々に残された自由は自殺する事くらいしか無いのかも

しれない。それでも自殺は最も社会を乱す行為だと言って、いずれ

それも禁止されて「自殺する者は極刑に処す」って事に為るかもし

れない。こんな時に、あんたが言うように、原因は何であれ仮に戦

争に為れば、『派遣』兵募集なんて派遣会社が破格の厚遇で徴兵

案内すれば、炊き出しに列を為すホームレス達を簡単に兵士にして

、上手くいけばきれいに片付けることが出来るだろうね。世界中に

溢れた失業者達が、かつては会社だったんろうが、国家の為という

生き甲斐を見い出し、救われた恩に報いんと『命を惜しまず働く』の

を戦争と言うのだろう。つまり、軍需と雇用と治安を産む戦争こそが

これからの成長産業なのだ。

 宇宙はビッグバンが起こって、ノーベル賞を受賞した小林・益川

理論で脚光を浴びた『対称性の破れ』によって、消滅を遁れた素粒

子から誕生した。エネルギーの大爆発で、素粒子と『反』素粒子が

生まれ、僅かの素粒子は法則に従わずに『反』素粒子との消滅から

遁れて偶然にも取り残された。つまり、この世界は法則に反して生

まれた。そして小さな素粒子は大きな宇宙へと拡がった。大きなエ

ネルギーとは小さなエネルギーの集合だ。あんたが言う様に、もし

も世界を変えようとするならば、小さな力から変えなければ為らな

いかもしれない。そして、小さな力にこそ大きな変革の可能性が秘

められているのだろう。世界は対称性の破れという絶対の破綻から

生まれたのだ。だから世界は相対的で不安定なのだ。絶対に背いた

宇宙は膨張を止めるわけにいかない。宇宙は『反』宇宙を求めて彷

徨っているのだ。宇宙の膨張は我々にも変化を強いて時間を進め、

我々もまた立ち止まることが許されない。つまり、過ぎ去った時は

戻すことが出来ない。膨張する宇宙とは、昨日の宇宙と明日の宇宙

は違うということだ。昨日は正しかったからといって明日も正しい

とは限らない。此処で正しいからといって他所でも正しいとは云え

ない。宇宙は相対的だ、たとえ我々がぶれなくても世界がぶれるの

だ。

 我々の不安や孤独は、我々を形成する素粒子の生い立ちに由来す

るのではないか。存在とは摂理への反逆なのだ。もしも神が在らせ

られるとするならば、摂理に抗って存在するこの世界では無く、摂

理に従って消滅した『反』世界に在らせられるに違いない。それっ

て『あの世』のことなのかな?この世界を支配するのは、『反』絶

対であり『反』秩序であり『反』神タイガースなのだ。神は、余り

にも我々の都合で存在していた。我々の秩序とは我々の秩序でしか

なく、それを担保するのもまた我々しか居ない。つまり、我々は我

々によって認め合うしかないのだ。それには、温もりを失って久し

い神の御座へ、『反』神を据えて、存在することの絶望から再び愛

を見直すべきではないだろうか。ニーチェは、愛は憎しみと同じ感

情から生まれるみたいなことを云った。愛こそが憎しみを生むのだ

。それは、誰よりも国を愛すると自認する愛国主義者のほとんどが

、その思いを表す為に決まって隣国を蔑むのを見れば解る。国を愛

する心情が相対的に隣国への憎しみを生むのだ。そもそも国を愛さ

ない国民などいない。つまり、わざわざ語る必要の無いことを説い

ているのだ。国を愛せ!と言われても、愛は意志からは生まれない

。強制された愛は憎しみを生み、憎しみは差別を生む。愛だけでは

どうにもならない現実的な絶望こそがより明るい社会を築くことが

出来るのではないか。神の救済など無い!だからこそ我々は助け合

わねばならない。つまり、神の不在こそが、ペシミズムこそが我々

の救済の拠り所に為るのではないだろうか。恐らく、その絶望こそ

がかつて神を生んだのだろうけどね。」

 だらだらと長いメールを作成していた為に、メールを返送する随分

前からバロックのメールが届いていた。

「ごめん、もう寝る」

                          (つづく)

(九十四)

2012-07-11 08:47:57 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(九十一
                  (九十四)



 老先生との対談が載った雑誌が送られてきた。対談が短すぎて

ページが埋まらず、断わり無く顔写真を載せた旨のメモが入って

いた。早速ページを開いたら、記事の表紙に私の笑った口から剥

き出しになった、「ついでにとんちんかん」の抜作先生の様な、

スキッ歯が惜しげもなく写真に映っていた。私は、人の意見を信

用するかどうかと云う時に、必ずその人の顔つきを見て判断した

。それは恐らくマンガを描いていたからだと思うが、つまりキャ

ラクターが言動を生むのだ。ところが、この雑誌に載った抜作先

生の様なスキッ歯の私の顔を見て、読者が私の美術論を信じる訳

が無い。言ってる事と風貌が合っていない、つまり言「貌」不一

致なのだ。メディアの発達によって言論さえもキャラクターを無

視できなくなった。例えば、容貌が直ぐに浮かんでくる作家の恋

愛小説は、作家のキャラクターが邪魔をしてイメージが拡がらな

い事がある。もちろんその逆もあるだろうが、言論を第一に思う

者は決して自らを暴露してはいけない。そうでないと読者が、思

いを書き残したいという馬鹿げた事件の犯人を読む前に知ってし

まうからだ。

 老先生は早朝の散歩を日課にしていた。それは掛かり付けの医

者から歩くことを強く勧められたからだ。始めのうちは街の様子

や公園の景色も目新しく映って気も晴れたが、しばらくすると飽

きてしまい、遂に雨が続いた朝に億劫になって止めてしまった。

そしてホテルに在るフィットネスクラブのウォーキングマシンの

上を前に進むこと無く歩いたが、それも結局馬鹿らしくなって、

また退屈な散歩へ戻した。

「用も無いのに歩く様に為ったら人間は終いだよ。」

そう言いながらも、用がある時は決して歩かずに、近くてもタク

シーを使った。つまり、目的の無い時に歩いても、目的がある時

には歩こうとはしなかった。それでも今では、

「健康の為だ。」

そう言い聞かして毎日の歩数を数えていた。かつて歩くことは手

段だったが、今では目的に為ってしまった。健康の為には歩くこ

とが大事と解っていても、

「ただ歩く為に歩くのは実に虚しい。」

と言った。私はその話しを聞きながら「歩く」を「生きる」に置

き換えて考えた。それは目的を見失った今の時代を象徴している

ように思えた。

 目的も無くただ歩く者にとって東京は味気ない街だ。マンショ

ンの壁やガードレールに仕切られた歩道の先を見渡しても、これ

といった興味を引くものの何も無い、工場で大量生産された直線

と平面だけで出来た街だ。それらは合理的ではあるが我々は合理

的な存在では無い。我々自身の合理性を証す合理的な視点など無

いはずだ。合理性だけを高めようとする社会に疑いを感じた者は

、つまり人間性を取り戻した者は、気が付けば直線や平面に囲ま

れて逃げ場を失い、便器に落ちた蟻のように這い上がれないまま

、レバーを下げられて処理場へ流される。ホームレスになって彷

徨っている時も、まるで電子回路の中に迷い込んだキリギリスの

様に、自慢だった後ろ足は全く役に立たなかった。ひしめく華や

かなショップも、枯葉を札束に変える術を習得しなかった、ただ

の狸にとっては遠目から恨めしく眺めるしか無かった。それは、

コントロールされた食欲とコントロールする必要が無くなった性

欲を恨めしく思いながら、健康の為にただ歩くだけの老先生と思

いが通ずるところがある。しばらくして、例の出版社が中国の現

代アートの特集をするので、老先生に中国行きの話しを持ち掛け

て来た。老先生は中国なら散歩しても厭きないだろうと、健康上

の理由から同意した。老先生が腰に万歩計をぶら下げて中国の景

勝地をブラブラしている頃、

 「先生は居ないからそんなに慌てなくていいわよ。」

私は、女社長の粘膜から発せられた甘い誘惑に、交尾の後に命を

終える生き物の覚悟に似た決断で、心の奥底に隠していた彼女へ

の思いに動かされ、欲情を超えた抑えることの出来ない愛しさか

ら彼女を抱いた。

 恋愛は、愛を確かめ合ってから始まる。想いが通じたからとい

って想いが解消した訳ではなかった。今日が終わると明日が始ま

る様に、眠りから目覚めると新たな想いが芽生えていた。否それ

どころか更に想いが募って遂には耐えられなくなった。頭の中で

次々と記憶を甦らせて、彼女の言動に隠された本心を読み解こう

としていた。つまり、彼女は私と同じように私のことを想ってい

るのだろうか?それは自分勝手な妄想かもしれないが、確かめず

には居れなく為って電話をした。しかし、彼女の何とも冷たい応

対は、私の逆上せ上がった想いを鎮めさせるのに充分だった。私

は、もしかしてあの夜の記憶は幻想だったかもしれないと思った

ほどだった。人は言葉遣いや顔付きでも意志を伝える。彼女は、

仕事中はその表情に微塵も女性らしさを見せなかった。電話の声

はまさにその時の声だった。もしかして私は最終の実技審査で落

選したのかもしれない。男には常にその不安が過ぎる。私は自分

勝手な欲望を充たすばかりで、彼女の偽らざる想いなど知る術も

なかった。聞いても恐らく本音を語る訳などないだろう。男はこ

うして勘違いに気付かないまま、距離を置く女性に苛立つのだ。

女性は多くの襞を持つ。男は暗黙の審査に耐えなければならない

。帰るという彼女を朝まで引き止めたのは自分だった。今度は自

分の身勝手な言動が甦ってきて、果てしなく落ち込んだ。私は冷

静に考えて辛いことだが一夜限りの事と忘れようと思った。する

とそれまで見えなかった周りの事が見え始めた。彼女には子供が

居て、画廊の社長という仕事もあった。さらに老先生という公私

に亘るパートナーがいた。私はと謂えばマスコミに取り上げられ

て幸運にも絵が売れたが、それは決して認められた訳ではなかっ

た。この国ではマスコミが取り上げたらバカでも人気になるのだ

。私は自分の思い上がりに気付き、彼女への想いをまた心の奥底

へ封じ込めようと思った。気を紛らわす心算で、墨の濃淡だけで

抽象画を描いた。それは以前から考えていた試みだった。書から

文字の意味を無くせば画として伝わるのではないか?無心に取り

組んでいるうちに次第に彼女のことは忘れかけていた。

 そして三日後に、女社長から電話が来た。

「会いたい。」

それは社長の声ではなかった、女の声だった。

                     (つづく)  

(九十五)

2012-07-11 08:47:05 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(九十一
                     (九十五)



 バロックがメールを返してきた。

 「あんたの聖書読ましてもろた。あんたが言うように、小さな力

が集まって大きな力になるんやろう。ただこの国の小さな力は、す

ぐに大きな力の陰に寄ろうとする。例えば戦争は権力者や軍人がい

くら煽っても、国民の支持がなければ続かない。アメリカのイラク

侵攻はブッシュだけが起こしたのでは無い。彼を大統領に選び彼の

政策を支持した、若しくは彼に騙されたアメリカ国民が起こしたん

や。戦争は国家がするんや無い、一人々々の国民がするんや。自ら

選んだ政治家に責任を負わせて非難するばかりでは、何れアメリカ

もどこかの国の様に権力者を代えれば政治が変わると思う様に為る

かもしれん。何故なら何万人ものイラク国民を殺しておいて、全く

国民からの反省の声が聞こえてこない。少なくともベトナム戦争の

後アメリカ国民は知識人と共に反省したんや。国民主権の民主政治

は、否、政治家を人柄で選んで先生と呼ぶ「先生政治」に於いても

、その国の政治の在り様とは取りも直さずその国民の在り様や。つ

まり、政治の誤りとは国民の誤りなんや。もし、政治を変えようと

するなら、国民一人々々が変わらんとあかんのや。しかし、そんな

ことがこの国で起こるとは思えなくなった。小さな力が大きな力の

下にばかり集まっていては新しい力など生まれて来ないやろう。何

故なら、大きな力とは古い力やから。

 『愛こそが憎しみを生む』には感心した。狭くなった世界で逃

げ場所が無くなった我々は、閉塞感に苛立って余裕を無くし『感情

の動物』へ退化しようとしている。かつては『感情を克服する人間』

やったが。

 前にも言ったように、ゆーさんは、大阪から嫁さんの里やった

この村へ越して来た。それは娘さんの病気が原因やったが、それ

でも思い通りには為らなかった。化学物質過敏症の彼女は農薬の

散布に反応して卒倒した。そんでこんな山の中に逃げ込んだんや

。始めは娘の為に無農薬の野菜を栽培していたが、周りの農家が

撒く農薬が飛来して作物に付着し彼女はほとんど食べられ無かっ

た。更に、ゆーさんの畑で増えた害虫が他の農家を困らせた。徐

々にゆーさんは周りの農家から疎んじられるように為り、遂には

用水路に沈めていた開発中の発電機が流されて、用水路を塞いで

流れを止め、水が溢れ出す事件が起きた。ゆーさんは何時しか村

八分にされていた。彼は理系の学究肌の無口な人で、周りの目な

ど余り気にする人ではなかった。俺も始めて路上で会った時は浮

浪者かと思った程で、彼が村の人々と上手く打ち解ける筈が無か

った。それでも奥さんは彼よりも人付き合いが良く明るかったの

で事無きを得ていたが、彼が奥さんに無断で貯蓄を崩して発電機

の工場を造り、それが原因で離婚してからは、彼は人の目が煩く

て村の中を歩けなく為ってしまった。彼は、『ワシは対人関係過

敏症になってしまった。』と言うので、『どうなんの?』って聞

くと、『村人を見たら鬱陶しくなる。』

 この頃は、俄かに農業が持て囃されて、都会の生活に飽いた者

が、自然の中でのんびりと暮らしたいなどと思って田舎暮らしに

憧れるが、今や日本中にのんびりと暮らせる地方など無い。やれ

地域の活性化だ、やれ村おこしだと、寝てる村を起こそうとして

いるんや。農家は収益を上げる為に消費者のニーズに応えようと

、まるで自動車工場の様に品質管理をして規格の揃った野菜をプ

レス機で作っている。いずれ品種改良されて一夜で実る野菜が大

量生産される日も近いやろ。否、もう消費者はたった一つのDNA

から育った全く同じ野菜を食べさせられているかもしれない。すでに

カジノ資本主義はパチンコ資本主義と名を変えて地方の村々に浸

透しているんや。

 『パチンコ資本主義』が気に入ったので続けるわ。国家がパ

チンコ店とすれば政府や役人は経営者や従業員ということになる

。国民が払った税金や保険料は、客が摩った金と同じで国民に戻

される事などまず無い。金は経営者が囲う尼下りに流れる。それ

でも全く出さないと客が離れて行くので、様子を窺いながら調整

する。馴染みの客には大勝ちさせても何れ取り返せる様に、ゼネ

コンに便宜を図れば政治献金として袖の下に戻ってくる。国民に

覚られないようにモニターを気にしながら、客足が遠のけば新総

理に入替て、新装開店で国民に期待させ、それでもダメな時は定

額給付金をばら撒いて、客がフィーバーで我を忘れた頃に、ごっ

そりと消費税で巻き上げる、ハイッ!イラハイッ!イラハイッ!

パチンコ『日本』は今日もぶれます!騙します!、ってきょう日

呼び込みはしてないか。ただ、パチンコ店の客は止めて帰るこ

とが出来ても、国民は辞められないからな。」  

                       (つづく)