(五十六)

2012-07-11 09:30:32 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(五十六
                   (五十六)



 バロックからメールが来た。彼の「みちのく一人旅」はシノギ

を稼ぎながらの宛ての無い旅なので、先を急ぐ必要など無かった

が、まだ東京の隣の県に居ることが意外だった。

「サッチャンがテレビに出たよ」

「見た」

「何で逃げたの?」

「性に合わん」

「サッチャン、泣いていたよ」

「メールで謝った」

「会わないの?」

バロックは返事をよこさなかった。

 私はすぐにサッチャンにメールをして、バロックの様子を伝え

た。彼女は今や売れっ子で、環境番組にはエコロジーガールとし

て頻繁に顔を出して、それだけに止まらず、名前の一件以来、し

っかりした主張を持ったインテリタレントとしてワイドショーの

コメンテーターも器用にこなしていた。ただ、彼女をよく知る者

にとっては、冷や汗を流しながら見ていた。ある番組では、ネッ

トへの書き込みで脅迫をした若者が逮捕された事件を取り上げて

いた。コメントを求められた弁護士が、

「愉快犯だとしても許されない。」

と語ったが、彼女は聞きまつがいをしたのか、

「えっ、誘拐まではしてないですよ!」

と彼の言葉を遮った。弁護士は慌てて、

「そうじゃ無くて、ゆかい犯ですよ!愉快犯。」

と、彼女の聞き間違いを指摘したが、どうも彼女は「愉快犯」と

いう言葉を知らなかったようで、

「えっ?・・・?」

と言って黙ってしまった。

 さらに、生放送の環境番組では、中国の大気汚染の映像を見て、

「ひどいCO2汚染ですね。日本ではほとんど無いですよね。」

と言った。横にいた司会者はすぐに、

「大気汚染ですよね。」

と彼女に代って言い直した。恐らく彼女はCO2のことを排気ガ

スと勘違いしているのだ。番組が終わってしばらくして、エコロ

ジーガールの彼女からメールが来た。

「CO2が増えるとどうして地球温暖化になるのか教えて?」

オークションの落札価格は私の想像を超えていた。終了時間ま

でには、怖くなってもう入札しないで欲しい思う程だった。私は

まだ自分の絵に自信が無かった。テレビで話題に為ったがそれだ

けのものだと思っていた。つまり絵が評価されたとは思っていな

かった。だから、どんな人が落札したのか気になってすぐに電話

をした。落札したのは銀座の画商だった。

「あれ、入金済みましたよね?」

電話に出たのは女性だった。

「あっ、そういうことじゃ無くて、もしよろしければ、どうして

私の絵を買われたのか教えて頂けないでしょうか?」

「えっ!貴方が描いたの?」

「あっ!」

すぐにばれてしまった。

「丁度良かったわ、私もお話があります。電話では何ですから、

お伺いしても宜しいですか?絵のことで。」

私の部屋は女性が寛げるような部屋ではなかった。

「あっ!それなら私が絵を持ってそちらへ伺いますけど。」

「そうして下さる。」

こうして私は銀座の画廊へ向かった。

                              (つづく)

(五十七)

2012-07-11 09:29:40 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(五十六
                  (五十七)

 銀座近くへは乗り換え無しで行けた。昼過ぎにも関わらず電車

は込んでいた。ドアに張り付いて早送りされた風景を眺めていた

が、ドアのガラス越しに見える都心の変貌に驚いた。まるで、古

いテレビを大型画面に買い替えるかの様に、それまでのビルが壊

されて高層ビルに建て替わっていた。東京は変わり続ける事で、

人々に何らかの希望を与えているのかもしれない。日々変貌する

この街で、いつか自分にも思いもよらない幸運が舞い込むかもし

れないと、そんな儚い想いを抱いて人が集まって来るのだろうか

?地方の衰退が取沙汰され東京への一極集中が問題になって

いるが、もちろん政治にも責任があるのだろう。しかし、この国の

人々は、天地開闢(てんちかいびょう)の初めより、女王蟻の住む

都への強い憧れを禁じ得ないのだ。それは中国の中華思想を笑

えない位にアジア民族共通の習性ではないのか。つまり、地方

分権などと言っても、本当に地方は身に巻いた長いものを棄てて

自立する気があるのだろうか。地方分権をすれば更に東京への

集中が加速されることにならないだろうか。

 北朝鮮をネガティブなモデルとしてわが国と比べて見ると、権

力者の居る平壌だけが繁栄して、権力から遠ざかるに従って地

方は疲弊する姿は、この国とそんなに変わらないんじゃないかと

思うことがある。もちろん、経済力の違いは雲泥の差ではあるけ

れど、今後アメリカの支えを失ったわが国が、たとえ逆境の中で

も、デモクラシーを失わずに自立して、苦しみを共有する社会を築

くことが出来るのか不安になる。私が恐れているのは、アメリカ

のプレゼンスが失われていくことよりも、我々のデモクラシーのモ

デルが失われていくことだ。気が付けばアジア民族の習性が蘇り

、北朝鮮と変わらないじゃん、ってことに為らなければいいが。北

朝鮮の独裁政治は、権力者の横暴を許した国民にその責任の大

半がある。それでは、わが国はと言えば、先の敗戦の責任を権力

者や指導者に被せて、まるで国民はその犠牲者であるかのように

言うが、その権力者を選び支持し、その判断に従ったのは国民で

はないか。つまり、あの戦争の責任をまず負うべきは国民なのだ。

もちろん、国民は多くの命を犠牲にしてその責任を取らされた。では

何故、そうまでして国民は権力者の判断に従ったのか?何故、国

民は抗うことが出来なかったのか?何故、間違っていると言えな

かったのか?私は北朝鮮の政治が遠い国のことだとは思えない。

 ただ、いかなる国家も国民の下(もと)に在ることを忘れずに

いよう。その国の政治はその国民が選び、その責任は国民が負う

ことになるのだから。

 やがて電車は混雑するホームに入り、私はドアが開くと同時に

大勢の降客に押し出されて電車を降りた。

                                 (つづく)

(五十八)

2012-07-11 09:28:44 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(五十六
                    (五十八)


 
 画廊は、銀座と言っても外れに在り、古い八階建てのビルの一

階にあった。画廊の前には洒落た看板が立ててあったのですぐ分

かった。中へ入ると外からは思わなかった程に広いスペースだっ

た。左右の壁には子供が描いたような稚拙な絵が何枚も横一列に

吊るされていた。ギャラリーの中央には大きな腰掛があり、その

両端にはアンリ・ルソーの絵画に描かれる様な観葉植物が置かれ

ていた。奥には黄色いソファがテーブルを挟んで置かれて、白い

部屋の中で浮いていた。その横の衝立で仕切られた事務机で、

K帯電話をしている女性が私に気付いて頭を下げた。美しい女性

だった。彼女の話し声を聞いて、私の電話を応対したのは彼女に

違い無いと思った。すぐに、彼女はK帯を折って、私に近づいて

来て名刺を出した。彼女はこの画廊の社長だった。その服装は、

派手なプリントのシャツを見せる為に、地味なジャケットを羽織

っていたが、首からは幾つものネックレスが垂れていた。未だ四

十代には為っていないと思われるが、その顔は日本人離れした高

い鼻筋に、顔からはみ出しそうな大きな目は、彼女が瞼を閉じる

時は他の人より幾分遅く感じられた。私は自分の鼻の低さにコン

プレックスがあって、鼻の高い女性には変な憧れがあった。女主

人は私をあの黄色いソファへ誘ったが、私はソファへ腰を下ろす

前に、持って来た絵を差し出して落札してもらった礼を言った。

女主人はカバーを解いて絵を取り出して一瞥してから、ソファの

テーブルへ置いた。

「習ったことはあるの?」

「いえっ、ありません。」

「失礼だけど、学校はどちら?」

私は、言いたく無いことは避けて、体裁のいい経歴を述べた。こ

の国はいつもこれだ、肩書きが無ければ仕事が認められない。な

ぜ作品だけで評価しないのか。画家や音楽家が何時までも学校を

離れようとしないのは能力が無いからではないか。プロを目指す

スポーツ選手が才能を認められながらも、大学に進んで大事な4

年間を無駄にするのもよく解らない。大学は何時でも入れる筈な

のに、どうもそういうことでは無いようだ。外国の著名なピアニスト

は、学校などで学ばずに十代の初めで認められて演奏活動をして

いるではないか。極端な話しが、この国では有名大学さえ出てい

れば、罪を犯してもやり直しが利くが、高校も出ていないとなると、

いくら能力があっても認めようとしない。十八までに人生の勝ち負

けが決まるのだ。一体、画家や音楽家に作品以外のどんな裏書

が必要だと言うのか。大層な肩書きを並べて中身スッカラカンのア

カデミズムやペダンチズムが未だに幅を利かす社会なんだ。私は、

何時もこういう場面では「もういいです」と言って立ち去る機会を探

っていたが、この時は、女主人の鼻筋の美しさに見惚れてしまい、

逸してしまった。少し前屈みになりながらテーブルに置いた私の絵

を観ている女主人の顔をその上から眺めていると、その鼻のフォル

ムの美しさは極まった。まるでエレベーターのドアに誤って顔を挟ん

で、顔の中心が前に迫り出したかの様に鼻筋が左右の顔を分けてい

た。突然、彼女は伏し目の瞼をいきなり持ち上げて上目づかいに私

を見て言った、

「サッチャンとは知り合い?」

その眼はまるで爬虫類が獲物を敢て油断させておいて、一機に

襲う時に見せる眼のようだった。

「ああっ!はい。」

 サッチャンは、それが芸名だから誰もがそう呼ぶのは仕方が無

いが、彼女を良く知っている者にすれば、こっちが「えっ、知っ

てるの?」と聞き返したくなる錯覚にいつも惑わされる。

「露店なんかじゃ誰も買わないでしょ?」

「はい。」

「で、これからも絵は続けるの?」

「はい、他に無いですから。」

「わかったわ。私が買ったげるから描きなさい。」

彼女はそう言って、事務机から書類を持って来て私の前に広げ

た。私は、つい聞きそびれたことを聞いた。

「僕の絵は売れますか?」

「バカね、売るのよ!」

彼女はそう言って、何か意味あり気な目で私を見た。

                                (つづく)

(五十九)

2012-07-11 09:27:43 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(五十六
                   (五十九)



 ノーベル物理学賞を貰った日本人の理論が紹介されていたが、

宇宙はビッグバーンの後、粒子と『反』粒子が生まれたらしい。

粒子と『反』粒子はカップルになって消滅するのが摂理だが、カッ

プルになり損ねた粒子が取り残されて宇宙が生まれたと云う。

以下は、私の勝手な想像だけど、宇宙の始りは摂理の破壊によ

ってもたらされた。つまり、宇宙はビッグバーンによって取り残され

た粒子によって生まれたのだ。『反』粒子との結合を果たせずに消

滅を逃れた粒子は、謂わば摂理の破壊者である。つまり、この宇

宙は摂理の破壊によって生成された。『反』粒子を失った粒子は、

不安定なまま『反』粒子を求めて彷徨ったのだろうか。宇宙の寂し

さはカップルに為り損ねた粒子の孤独にあったのか。否、それとも

敢て摂理に背いて消滅から逃れようとしたのだろうか?存在とは

消滅を逃れようとした粒子による摂理への叛逆なのか。何れにせ

よ、宇宙が粒子の「対称性の破れ」から生まれたとすれば、その不

安定さが宇宙を膨張させ銀河に及び、それが地球の不安定さに及

んで生物の進化を促がし、世界の不安定さに繋がり経済のグロー

バリズムを進め、格差社会を生み、それが私の不安定な暮らしに

至っているのだ。私の不安は宇宙誕生のビッグバーンに由来して

いるのだ。この宇宙に存在するもの全てが、何れ消滅することを余

儀なくされているのは、あらゆる存在が摂理に反して在るからでは

ないか。

 『反』粒子が在ったとすれば、『反』原子が対称に在り、『反』

物質が存在したのだろうか?存在の不可解とは、『反』存在を失っ

たからに違いない。つまり、『反』粒子との結合を果たせなかった

粒子は、消滅しなかった為にその意味を失ったのだ。存在するとい

うことは、消滅からの逃避であり、意味からの離脱である。

 私にも、おそらく『反』私が居たのだろう。だが、私は『反』私

との結合・消滅を拒否して、存在することを望んだのだ。つまり、

存在とは『反』存在を失って安定を無くし、安定を得た時、消滅す

るのだ。我々の不安や生きることへの虚しさは、粒子が『反』粒子

を失って存在することへの悔恨に因るのではないだろうか?我々が

異性を求めたり、命を繋ぐことや、孤独に耐えられずに死(消滅)

を望んだり、あるいは、信仰に心の安らぎを求めようとするのは、

『反』私を失ったことへの強い喪失感から生じるのかもしれない。

あらゆる存在は、『反』存在と結合して光になって消滅することへ

の記憶から、それに代る結合を求めて彷徨っているのだ。 

 銀座の画廊を出てからアパートまで歩いた。かつて、ホームレ

スの時に夜をやり過す為に何度も歩いた通りだった。ただ、今は

自分の絵が画商によって買われたことに嬉しくて仕方なかった。

大通りを歩きながら、絵のモチーフになりそうな風景をカメラで

写した。ホームレスの時には絶望に打ちひしがれて彷徨った通り

が、まるで同じところと思えないほど眩しかった。私は光の中を

歩いていた。やがて、辺りは陽が傾き翳って来たが、仰ぎ見る高

層マンションだけは上空に残った光の中で眩しく反射していた。

あの高層階で暮らす人達は何をしているのだろうか。愛する人を

心ときめかせて待っているのだろうか。幸せな暮らしが何時まで

も続くと信じているのだろうか。彼等には真下の地上で、何時まで

も続く絶望に耐えて彷徨うホームレスの姿が見えているのだろう

か。高層階から見下ろす者と、高層ビルを見上げる者の違いこそ

がこの国の格差社会の象徴ではないか。恐らく、高層ビルが増え

るのとホームレスが増えるのは比例するに違いない。

 もう、陽は今日の仕事を終えて、決められた時間にタイムカー

ドを押して早々に沈んで行った。そして交替に闇の夜勤が始まっ

た。それでも高層マンションは、闇など嘲るように部屋灯りの暖

かい光りで輝いていた。東京の夜は明るかった。その明るさは闇

を隠そうとする明るさだった。子供の頃、深夜に寝床を抜け出し

て、ただ、ぼんやりと星空を眺めるのが好きだった。静まり返っ

た闇の中に居ると、煩わしい現実を忘れて自分を取り戻すことが

できた。もしも、人々が自分を見失い世の中に流されて生きてい

るとすれば、それはこの街から夜の闇が失われたからに違いない。

「だって、星空を見上げてごらんよ!」

「ほらっ、俺たちは宇宙にいるだぜ!」

「ええっ?街の明かりで星空なんて見えない!」

「ああーっ、それじゃあ、世間のことしか目に入らないだろうなぁ。」

 私は、街明かりの上に拡がる漆黒の闇を眺めながら、さらに、そ

の先で限りなく膨張する宇宙の果てに想いを馳せて、家路を辿った。

                                  (つづく)

(六十)

2012-07-11 09:24:21 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(五十六
                    (六十)



 路上で人の往来を眺めながら、行きずりの人々の関心を引き止

めて、ポケットの隅の小金を目当てにパフォーマンスをする者に

とって、世間の景気がどうかというのは、行き交う人の様子で大

体の事は解る。かつては、立ち止まって関心を寄せた人々も、今

では脇目を振らずに足早に立ち去り、その硬い表情からも世間の

厳しさが伝わってきた。路上ミュージシャン達も以前の様には人

気を集められず、やがて一人二人と減って行き、駅前の広場には

ホームレスばかりが目立ち始めた。多くのミュージシャンは初志

を棄てて、仕方なくまた蟹工船へと戻って行った。私は画商の女

主人との約束で、彼女を通さずに絵の売買を止められているので

、早々と青空画廊を店仕舞して憂き目を見ずに済んだが、かとい

って、闇の中で足元を確かめながら歩を進めることに変わりが無

かった。夢を見ていれば足を踏み外して、またホームレスへ逆戻

りする人生ゲームだ。バロックが言ったように、我々は奴隷にな

るか、ホームレスに甘んじるか、それとも芸人にでもなって一発

当てるか、或いは、「間違って生まれて来ました。」と遺して、

生まれる前に引き返すしかないのだ。

 路上にいた頃、暇を持て余した女子高生が遅くまで屯していた

。彼女等は気さくに話しかけて来てはよくタバコの無心をした。

もちろん断ったが、すぐにどこかで手に入れて、陰で吸っている

のを目にした。そんな彼女たちは、K帯を使って平気で援交で体

を売っていた。彼女等には、将来の夢などすでに無かった。

「お金無かったら、何も出来ないじゃん。」

彼女たちの言うように、東京では子供が立って歩けるようになっ

たら、空いた手はお金を握る為に使われる。友だちと話しをする

にも通話料がかかる。お金など要らない山川の自然は、高層ビ

ルの峰々やクルマの流れに変わってしまった。見方によれば、

豊かな自然の中で、お金など使わずに暮らす最貧国の子供た

ちより貧しいのかもしれない。目の前に欲しい物を散々並べら

れて、お金が無いなら諦めなさいと言われては、何としても思

いを遂げようとして我が身を捨てるのは日本人の得意とするこ

とだ。

「勉強せんか!」

「無理、無理!ウチラ、もう見捨てられてるもん。」

「じゃあ、小遣いが要るならちゃんとバイトをしろよ。」

「タルい。」

 数時間、目をつぶって我慢して寝てるだけで、数週間のバイト

代になるらしい。彼女たちは、私よりもはるかに稼ぐことが出来

た。もし、私が女で、かつてのホームレスの時に、空腹に耐えら

れなくなって、どんな仕事であれ数時間で大金が手に入るとなれ

ば、おそらく喜んで俎上に寝たに違いない。私は彼女たちに意見

など出来なかった。恥ずかしい話しだが、彼女たちこそが私の絵

の唯一の理解者だった。私は彼女たちの新鮮な感性に励まされて

絵を続けることが出来たのだ。ただ、彼女たち自身は十八に成る

までに、すでに「将来の夢」などという自分が主人公のお伽話は

捨ててしまった。否、それよりも、「将来の不安」を棄てようと

して、現在の自分を捨ていた。大人が語る「青少年の健全な育成」

などというスズメの囁きは、カラスの下品な一鳴きで鎮まること

を残念ながら知っていた。確かに、彼女たちは、家庭の中でイタ

タマレナイ微妙な問題を抱えていたが、その問題の源を遡れば、

その多くは上流社会の自分勝手な収奪によって、その犠牲を強い

られていることは明らかだった。それは正に現代の「女高哀史」

ではないか。社会は共生によって成り立っているとすれば、すで

に、我々の社会は二つの階級に分かれて、崩壊しているのでは

ないか?

「ねえ、Hしたいんでしょ?」

「えっ!」

私は「足元」を見られていた。そして、女子高生がタバコを燻らせ

ながらポツンと言葉が気に為った。

「他にすること無いもんね。」

                        (つづく)