(六十一)

2012-07-11 09:23:26 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十一
                    (六十一)



 大騒ぎした地球温暖化の問題は、正に、喉下過ぎれば熱さを忘

れるで、金融不安による世界経済の危機に取って代わられた。つ

まり、エコノミーはエコロジーに先行するのだ。

 ところで、エコロジーガールとして売り出したサッチャンは、

夏の終わりと共に暑さが和む頃には、地球環境問題は忘れ去られ

て彼女の人気にも秋風が立っていた。今では、エコロジーガール

の肩書きを捨て、早々とイメージチェンジをして、自信のある歌

唱力で再スタートしようとしていた。頻繁に顔を出していたテレ

ビのコメンテーターも化けの皮が剥がれて、サッチャンは家庭内

暴力でのコメントを求められて、リポーターの言った「刃傷」沙汰

を「人情」沙汰と思い、傷害事件を痴話ゲンカと勘違いをして失笑

を買い、その後すぐにテレビに出なくなった。そして熱りが冷めた

頃、新曲の発売とその宣伝の為に現れた時には、誰もがサッチ

ャンと気付かないほど変身していた。それは嘗て、路上で歌って

いた時のような派手な格好で、際どいミニスカートと胸元の開いた

短いTシャツの間からは、例の輪ッカでヘソが落ちないように止め

ているのが見えた。彼女は本来の自分に合った明るい曲を選んだ

が、残念なことに、先の見えない不況に苦しむ世間は、手の平を

返したような楽観的なラブソングについていけなかったのか、全く

売れなかった。確かに、悩んでいる時にその歌を聴くのは、繰り返

し流されるCMのようにウザかった。

 一方、バロックは、あてのない「みちのおく」一人旅を続けて

いたが、漸くコマを進めて関東の端まで足を踏み入れていた。彼

が得意とする70年代ソングは、今再び脚光を浴びブームが甦え

り、路上ライブは団塊世代の郷愁をくすぐり、東京に負けない位

に盛り上がっているという。

「時代は70年代へ逆行してる」

バロックがメールしてきた。

「生まれてないし知らないよ」

「大きな分かれ道やったんや」

「行き止まりだから引き返そってこと?」

「そうかもしれん」

「どうなるの日本?」

「政治の時代」

「政治?」

 バロック曰く、アメリカは経済の建て直しの為に、アジアへの

プレゼンスの縮小に迫られて、日米の安全保障条約がアメリカに

よって見直されるだろう。日本は独自の防衛を強いられて、その

時、国内では平和憲法の是非が大きな政治問題になるに違いない

。日本を孤立させて再軍備化へ導くことはアメリカの狙いでもあ

るかもしれない。こうして我々は70年代の積み残した課題と再

び向き合わざるを得なくなる。その時にはアメリカに頼ることも

出来ないだろう。自国の防衛は自国で行う主張する改憲派と、護

憲を主張する人との対立が激しくなり、国防とは体制を守ること

なのか、国民を守ることなのかが問われ、我々の民主主義が試さ

れる日が来るだろう。

「でも、先の話しだよね?」

「否 5年以内」

「5年以内!」

「世界中で紛争が多発して世界大戦の危機すらある」

「そうなると東アジアって危ないんじゃないの」

「膨らみかけた欲望を押さえることは出来ないだろうね」

「中国?」

「事が起こるとすれば、中国か北朝鮮しかないやろ」

「どうなるの?」

「判らん ただ日本の前に台湾が在るから 台湾の動向に気を付

けるべきなのに 相変わらず日本はノー天気だ」

「そんなに危ないと思うの?」

「前総裁が違法送金で逮捕された時 中国共産党の謀略だと

彼は言ったが ホントだったらどうする?」

「確かめなくていいのかね あっ!そう言えばチベットととも話

し合いが決裂したよね」

「中台が紛争になれば日本が巻き込まれるのは必至や」

「紛争になる?」

「内が混乱すれば外へ目を向けようとするやろ 中国の膨張

は止められないと思う」

「台湾を支配しても何も無いのにね」

「民主主義が怖いんや 個人主義こそが体制の敵なんや」 

「アメリカのようにひっくり返っちゃう?」

「北京の傍らで選挙運動をされることが気に障る」

「なるほど」

「国家は国民の上に無いとあかんのや 国民の参政権を認めると

共産党体制は崩壊する」

「政治は政治家に任せておけってこの国と似てない?」

「ただこの国にはまだ選挙がある」

 先の日米戦争で国民は多くの犠牲を強いられて、焦土と化した

街並と引き換えに、進駐してきたアメリカによって、私達は民主

主義を強いられた。民主主義は国民に主権が在る。我々は長い

間の身分社会に慣らされて、差別道徳が身に着いてしまい、自由

や平等や個人の権利を自らの手にしたことなどなかった。日本は

民主主義の国といえども、古くからの習いで身分や家柄や肩書き

が幅を利かせて、組織が優先され個人の正当な評価が歪まされて

きた。社会に蔓延る不正は、贈収賄にしろ、談合にしろ、不当な

差別にしろ、偽装やその隠蔽も、我々が見て見ぬ振りをして正そ

うとはしなかった道徳習慣だ。それは、家父長制度に始まり、長

幼の序、年功序列、男尊女卑、官尊民卑、世襲制度、家督相続、

徒弟制度、家元制度、滅私奉公、妾奉公、一子相伝、以心伝心、

火の用心、心頭滅却すれば火もまた涼し、臭いものに蓋、長い物

には巻かれろ、寄らば大樹の陰、出る杭は打たれる、白と思って

も親方が黒と言ったら黒なんだ等々、凡そ民主主義の自由と平等

からは懸離れた社会制度の桎梏に耐えて、我々は和を以って鬱陶

しいと思いながらも従ってきたのだ。そんな無辜の民が忍び難き

を忍ぶには慣れていても、「今日からあなた方は自由です」「主

権はあなた方に在ります」と言われ、飼い慣らされた首輪を外さ

れて野に放たれても、身に着いた奴隷道徳で再び権力の情けに縋

ろうと、自ら首輪を着けて飼育小屋へ戻って来たとしても仕方が

無い事なのかもしれない。こうして我々の民主主義は、人工飼育

された朱鷺のように、育てられた人工の楽園と、開発によって失

われた自然の間を右翔左翔しながら、因習への依存とそれからの

自立を繰り返してきたのだ。そして、遂に先送りにしてきた、つ

まり、アメリカに委ねてきた国防の宿題を、自ら負わねば為らな

い時が来たのかもしれない。それは、我々が学習してきた民主主

義の手続きに沿って、武力放棄するにせよ武力蜂起するにせよ、

われわれの民主主義が試される時がきたのだ。

 ロシアのレーニンは、「自由は大切だ、だから平等に分け与え

なければならない」みたいなことを言ったが、我々はこの欺瞞に

反論できる先見性があるだろうか?この後、ソビエトの国民は自

由など手にしなかった。我々は理性を高める前に、権力者の言葉

の臭いを嗅ぎ分ける本能を高めるべきかもしれない。言葉は真実

を語るだけではないから。

                                   (つづく)

(六十二)

2012-07-11 09:22:05 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十一
                 (六十二)



画廊の女社長は、若い頃に女優として活躍して、自動車のCM

に抜擢され脚光を浴びたが、その世界でのキャリアを重ねずに、

大きな会社の跡取り息子と恋愛に堕ちてすぐに結婚してしまった

。子供が生まれて引退したが、やがて夫の浮気癖に愛想を尽かし

て子供を抱えて離婚してしまった。その後、どんな経緯で画廊を

始めたのかは知らないが、彼女の後ろ盾には著名な美術評論家が

いた。ただ、彼女が美術に深い造詣を持っているとは思えなかっ

た。と言うのは、一方で、名の知れた芸能人たちが片手間に描く

絵にも係わって頻繁に個展を催していた。それは、サッチャンが

テレビで私の絵を取り上げて、始めて売れるようになった経緯と

通じるものがあった。つまり、誰も描かれた絵の価値を認めるの

では無く、隅っこに書かれたサインを買っているのだ。以上のこと

は女社長が留守の時に、事務の女性がこっそりと教えてくれた。

だからこそ、女社長は絵に対する知識が無くても、元女優のキャリ

アを生かして、その美貌と演技で収集家を煙に巻いて来れたのだ。

彼女は話しが見えなくなると絶妙のタイミングで思わせ振りな目を

投げかけて、話しの流れを変えることが出来た。私もその眼差しに

思わず変なスイッチが入りかけた。その女社長から電話があった。

「話しがあるの。」

「はい。」

「ちょっと、会って欲しい人がいるの。来れる?」

「はっ、はい、伺います。」

彼女が決めた時間に画廊へ赴くことになった。

 銀座は日没とともに一変する。ダークスーツのサラリーマン達

は暮れゆく街に同化して姿を隠し、焼き立てのパンを載せたよう

な髪型のホステス達が、妖しげなコスチュームに身を包み、男を

迷わす銀粉を撒き散らしながら、燈ったばかりのネオンに群がっ

て舞っていた。彼女らの浮世離れした艶やかさに気を取られなが

ら、女社長が待つ画廊へ向かった。画廊はすでに看板が片付けら

れて表の灯りが落とされていた。おそる恐る扉を開くと、ギャラ

リーの奥の机でこっちを向いて女社長がK帯をしていた。私と目

が会うと手で招いてソファに腰を下ろすように促されて座ったが

、女社長はK帯を止めなかった。

「だから、バスルームにあるでしょ?」

別に聞くつもりは無かったが、静かなギャラリーの中で女社長の

声だけが気になった。私は、仕方なくテーブルにある美術年鑑を

取ってページを繰った。

「だって、起きなかったじゃない!」

何だか仕事の話しではなさそうだった。私は見る気も無い美術年

鑑に集中している振りをして、耳に入ってくる女社長の言葉に、

卑しい好奇心を掻き立てられた。

「子供がいるんだからしかたないでしょ!」

相手の声までは聞こえなかったが、話しの内容から男に間違いな

かった。すると女社長は、

「これから一緒に行きますから、しばらく待ってて下さい。」

私は「えっ!」と思った。もしかして一緒に行くというのは私の

事じゃあないのか?まさか自分にとっては他人事と思って聴いて

いた男女の痴話話しに、突然、自分自身が引っ張り出されて動

揺した。

「それじゃあ。今から伺います。」

と言って女社長はK帯を折り、私に応対した。

「ごめんなさいね。ご飯、まだでしょ?」

「はっ、はい!」

「出ましょうか。」

そう言って女社長は帰り支度を手早く済ませ、私を追い出して入

口に施錠した。そしてタクシーを捕まえてドライバーに誰もが知

っている超高級ホテルの名を告げた。私はTシャツの上に、私に

とっては唯一のフォーマルな、ヨレヨレの紺のジャケットを羽織

っただけで、下はジーンズに、ホームレスの時から履いているス

ニーカーだった。それは、元は白かったが今では汚れてグレイに

しか見えなかった。

「ホテルですか?」

「ごめんなさい、言わなかった。」

タクシーはすぐにホテルのポーチに着いた。私は、回遊魚のよう

にロビーを進む女社長の後を、全身のヒレを使っても思い通りに

動かないフグのように必死で追った。煌びやかなホテルの装飾に

臆してしまい、華やかな服装で身を飾った人々の冷たい視線が気

に障った。鮮やかに彩られた毛足の長い絨毯の上を、ホームレス

の時に路上生活を共にしたスニーカーで穢すことに躊躇いながら

、まるで布団の上を土足で歩くような後ろめたさを感じた。そこ

は、私の自由を奪う為に収容所へと向かう長い通路だった。ラウ

ンジの席に着いて、歩くことを止めた時、逃げ場を無くした惨め

さが堰を切って襲ってきた。まるで、売れない漫才師が会場を間違

えて、オーケストラの居並ぶコンサートホールの指揮台に、手を

叩きながら現れるくらい場違いだった。私は蝶ネクタイをした看

守のスキを狙って何としても脱走を図りたかった。

「そんなに気にしなくてもいいのよ。ホリエモンだってTシャツ

で居たんだから。」

私はその時にホリエモンの偉さがわかった。しばらくして高齢の

老人がゆっくりと現れた。この老人が女社長の「男」であること

は先程の電話で判っていた。

「どうも、お待たせしました。」

中背の老人は私に軽く頭を下げ、内ポケットから名刺を差し出し

た。その頭髪はほとんど抜け落ちていたが、地肌の輝きから健康

そうに見えた。私はその名刺の名前を見てぶっ飛んだ。新聞の美

術評にも記述する有名な美術評論家だった。私は、手の平をその

まま伸ばせばしっかり地面に着くほど前屈をして頭を下げていた。

「ああっ、靴が汚い!」

                                 (つづく)

 (六十三)

2012-07-11 09:20:45 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十一
                (六十三)



 評論家の老人はこのホテルに長期滞在していた。恐らく、住ま

いが東京に無くて行き来が面倒になってそうしているのだろう。

もう大した仕事もしていなかったが、それでも知名度を頼って一

文を乞う人は少なくなかった。中でもデパートが企画した小学生

の絵画コンクールは、彼が理事長として毎年夏休みに開かれて

いたが、何度もテレビのニュースで紹介されていたので私も良く

知っていた。仮に、彼が私の絵を取り上げてくれるだけで、私の

絵が破格で売り買いされることは間違いなかった。しかし、彼も

そう易々とお墨付きを与えては、築き上げた信用を失うことにな

るので、そういう利害から身を引いて、専ら、子供相手に絵を楽

しんでいた。ところが、私は卑しい算段が頭をもたげてきて、それ

を覚られたくない姑息さから何も話すことが出来なかった。すると

、女社長がその沈黙を破ってくれた。

「この人、随分苦労なすったのよ。」

「そりゃあ、楽して絵描きになった者などいないさ。」

老人のこの言葉に、私はホームレスに炊き出しをしてくれるキリ

スト教会の施しのようなシンパシーを感じた。

 ホームレスに救いの手を差し伸べて希望を与えてくれたのは、

残念ながら、キリスト教会だった。こんなことを言うのはおこが

ましいが、途上国の飢餓に苦しむ人々の食糧援助には、諸外

国への対面を気にしてか理解を示す政府も、こと自国の飢餓

に苦しむホームレスには汚染米の一粒も与えようとはしない。

さらに、仏教はといえば、衆生救済はあの世へ逝ってからのこ

とで、ただ念仏を唱えるばかりで何の役にも立たない。衆生は

極楽へのパスを売り飛ばしても今生の幸せを求めているのだ


 テーブルではワインが選ばれてグラスに注がれた。女社長と

老人はグラスを持ち上げて私を見ていた。気付いた私は慌て

てグラスを取って持ち上げた。すると、女社長が「この出会い

に祝福があります様に、乾杯!」と言った。

 ラウンジでの食事は、私が日頃コンビニで済ます「ご飯」では

無かった。それは正に横文字の「DINNER」だった。私は生ま

れて此の方「DINNER」をしたことが無かった。女社長の気の

利いた乾杯の「音頭」に、私はいつもの自分を隠して、マンガ

で知った精一杯の気取った演技を心掛けようと思ったが、ワ

インを口にした途端に、今まで意識したことがなかった重力が

自分だけ解かれたような不思議な感覚になった。それは、ま

るで無重力の宇宙空間を漂っているようだった。ラウンジは

宇宙ステーションのように地上から浮遊していた。思うに任せ

ない無重力空間の中で、私は二度、ナイフを落としてしまった

。始めは慌ててそのナイフを拾いに行こうとしたら、ウエイター

が飛んで来て先に拾って、すぐに別のナイフを用意してくれた

。彼はまるで地上に居るかの様に素早やかった。私はバツの

悪さを感じながらも平静を装おうとして更にワインを飲んだが、

そのグラスを不安定な場所に戻したらしく、ワインの入ったグ

ラスがゆっくりと倒れて、赤ワインが純白のテーブルクロスを

勢いよく朱色に染めた。女社長は、自分の方へワインが押し

寄せて来たので「キヤッア―!」とラウンジ中に響くほどの大

きな声を上げた。私はその声に驚いて二度目のナイフ投げを

しでかした。ホールはほぼ満席だったので、ホールの誰もが

彼女の方を見た。またまた、地上に居るウエイターが素早く

やって来て冷静に対応したのでそれ以上の騒ぎには為ら無

かった。ウエイターは新しいナイフを渡す時に、

「私どものナイフは幾ら投げてもスプーンのようには曲がりま

せんので。」

私はしばらく意味が解らなかったが、スプーン曲げに擬えて

そう言ったのだ。彼は中々洒落たウエイターだった。私が金

持ちなら間違いなくチップを弾んだ。そして、ウエイターは、

ワインで汚れたクロスを代えましょうと冷静に提案したが、女

社長がさすが美術関係者らしく「この朱色すてきじゃない!」

と言ったので、そのままで食事が続けられることになった。お

陰で私と女社長の前には朱色に染まったテーブルクロスが事

の顛末を生々しく伝えていて、私はその朱色を見る度に恐縮

のあまり何を食べているのか分からないほど自閉した。いぶか

しげに様子を見ていた老先生は、

「君は、そのーっ、ホームレスだったのかい?」

と言った。私は、何もこんな時にそんな事を持ち出さなくてもと

思ったが、抗弁する気力も無くただ黙って頷いた。

                                (つづく)

(六十四)

2012-07-11 09:19:53 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十一
                (六十四)



 その後の「DINNER」は散々なものだった。メインゲスト

だった私が、自分の殻に閉じこもってしまったので、話しが全く

続かずに沈黙だけが煩(うるさ)かった。静寂が訪れる度に、女

社長が当たり障りのない話しを持ち出したが、いずれも私が加わ

れない話題で、ただ、相槌を打つことしか出来ずに会話はプツリ

と途切れた。まるで私は、イルカの群れに誤って紛れ込んだマグ

ロのようで、「空気が読めない」どころか、全く空気が吸えなか

った。我々の出会いは初っ端から祝福されてはいなかった。女社

長が心の中で「ダメだっ、こりゃ!」と言うのが聞こえた。ワイ

ンで朱色に染まったテーブルクロスを見詰めながら、私は朱に交

われ「ず」赤くなった。彼女は「DINNER」を終えると、早

々に我々を見捨てて化粧室へ旅立ってしまった。すると、酩酊し

た老先生が突然、私に話しかけてきた。

「君!あっ、君は何と言う名だっけ?」

私は初対面の時に告げた名前をもう一度告げた。直ぐに老先生は

私の名前を君づけで呼んだが、その後、二度と名前を呼ばれるこ

とは無かった。

「君ね、日本の文化は接木(つぎき)なんだよ。ずーっと桜でや

ってきたが、明治になってバラの美しさに驚いて、バラを接ごう

とした。ところが、誰もバラの育て方を知らない。そこで国家が

近代化の啓蒙を推し進める為に、絵画だけでなく西洋文化を真似

ようとした。」

「ええ。」

「多くの才能ある画家が西洋絵画の技法を学ぶ為にフランスへ留

学した。ところが、その西洋ではすでに写実的な描写に飽き々々

して、逆に日本の浮世絵に魅せられていた。あっちへ行ったら桜

がいいってなってる。」

「戸惑ったでしょうね、バラを習いに行った人は。」

「確かに。それに浮世絵は庶民文化だからね。今で言うと漫画だ

よ。こっちでは誰も芸術だなんて思っていない。」

「ちょうど印象派が出て来た頃ですね。」

「そうだ、写実を習うつもりだったのに、それはもう時代遅れで

、これからは画家の個性が大事だとなった。これは凄いことだよ

、君。写実とは突き詰めれば個性を排すことだからね。個性まで

人に習う訳にはいかない。ところが、日本ではやっぱり写実を求

められる。」

「どうしていいか解らなく為りますよね。」

「そうっ!それが今の日本の美術界なんだ!」

「ダメですか?」

「いや、全然かまわない。ただ、そう為ると権威に縋る者が増え

て、遂には画家は個性を見失い、退屈な絵画ばかりが持て囃され

るに違いない。」

「はい。」

「日本の絵画は近代化と共に国家に支えられて、様々な個性が花

開いた、それは間違いない。しかし、今まさにそのアカデミズム

こそが、芸術全般の閉塞を招いている。」

女社長が戻って来た。

「あれっ?お話し盛り上がってるわね。」

それでも、老先生の熱弁は冷めなかった。

「つまり、我が国の芸術は、馬鹿げた権威主義から逃れられられ

なくなってしまった。そもそも、芸術家に学歴や肩書きなど必要

ないんだ!作品が全てだ。そう思わないか?」

「はい!」

「君のような人が変えてくれると期待している。頑張りなさい!」

「はい!」

私は感激のあまり今にも泣き出しそうになった。

「帰りましょうか?」 、女社長が冷たく言った。

                                   (つづく)

(六十五)

2012-07-11 09:19:03 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十一
                 (六十五)

収容所での尋問から解放されて、私はホテルを出た。女社長は

ポーチまで見送ってくれ、タクシー代を差し出したが、断った。

「歩いて帰りますから。」

どうもそれを信じてもらえなかった。

「歩けるわけ無いじゃない!」

「いつも歩いて帰ってますから大丈夫です。」

「えっ!そうなの?」

私は度重なる無礼を詫びてホテルを後にした。ホームレスに為る

までは、もちろんそんなに歩くことは無かった。ホームレスにな

った途端、気を安んじて落ち着ける場所を無くした。たとえ公園

に居ても人の眼が障って、自分の部屋の様には寛げなかった。仕

方なく場所を変える為に目的も無く歩いていると、歩いている時

だけは気が楽だった。私は、人間は歩けることに気付いた。私の

知っている人は、冬が来るので南の方へ行くと言うので、「何処

へ行っても冬だよ」と言って笑ってしまったが、彼は、「九州まで

行けばちょっとは温いだろ」と言って、驚くことに寝袋を抱えて九

州まで歩いて行った。人は歩いて何処までも行けるんだと知った

時、私は、すごい乗り物を手に入れた気がした。

 街は、早々とクリスマスのイルミネーションで飾られていた。

私は、あの電飾が嫌いだ。ホームレスだった頃、深夜の凍てつく

寒さに堪えられず、身体を動かす為に彷徨っていると、寒さや夜

の静寂にも馴れて平静を取り戻した時に、突如、無数の電飾で彩

られたイルミネーションに行く手を阻まれた。それはまるで、ウ

ルトラセブンの前に立ちはだかる電飾怪獣のようで、幸せ光線を

放射して不幸なホームレスを懲らしめた。その明かりは不遇な者を

拒む冷たい光だった。自分達の幸福を見せびらかして、人の不幸

を嘲笑っているかのようだ。私は抗うことも出来ずに呆気なく自滅

した。

 街は静かだった。我々の背後に忍び寄る不安は、キリストの生

誕を祝うイルミネーションを以ってしても除くことが出来なかっ

た。通りを飾る華やかな舞台に反して、そこで演じられる芝居は

重苦しいものだった。行き交う人の台詞は暗く、誰もが足元を確

かめながら、浮かれないように浮世を渡っていた。

 浮かれたラブソングを唄っていたサッチャンは、浮かばれずに

姿を消した。結構ノリのいい歌だったが、急激に変化した風向き

には合わなかった。彼女は、もう一度学校へ戻って勉強したいと

言って休業宣言をした。とは言っても、彼女の熱狂的なファン以

外はほとんど知らないが。 ただ、バロックは、今何処で何をし

ているのか、全く連絡をして来なくなった。

 クルマもほとんど途絶えた大通りの歩道を歩きながら、老先

生の言ったことを考えていた。

「君ね、日本の文化は接木(つぎき)なんだよ。ずーっと桜でや

ってきたが、明治になってバラの美しさに驚いて、バラを接ごう

とした。」

我が国の文化は、明治より前から接木文化だった。大陸より仏教

が伝われば仏教を接ぎ、儒教が伝われば儒教を接いで来た。幸い

島国であったが故に、我々「有袋」民族は種の保存を存続出来た

が、我々の根幹からは、時に菊が芽を出したり、桜が花をつけた

り、バラが咲いたりするのだ。もしも、移り変わりが世の常だと

としたら、一つに統べることは無用ではないか。確かに、如月の

望月の頃に、バラが咲き乱れるのは無粋ではあるが、百花繚乱の

風情を面白いと、綽々(しゃくしゃく)と眺めることは出来ない

だろうか。この国は至る所で桜とバラが対峙している。たとえば

教育問題で、戦後教育を否定する人々は、デモクラシーも否定し

ているのだろうか?学校教育の場で起きている確執は、儒教道徳

とデモクラシーの接木だからではないのか。それは、国家か個人

かであり、秩序か自由かの対立だ。ただ、クラブチームが無くて

も選手はサッカーが出来るが、サッカー選手がいなければクラブ

チームは潰れてしまう。つまり、国が無くても人は存在するが、

人のいない国など存在しない。だから、人は国家に先行するのだ

。もちろん、近頃の公共道徳を弁えない自分勝手な行動は強く諌

めるべきだが、自由を矯めて国を滅ぼした過去の戒めを忘れちゃ

いけない。道徳教育を推し進めようとする人々は、果たして、ち

ゃんとデモクラシーを担保できるのだろうか?デモクラシーとは

国民主権であり、個人の自由を尊重することだ。それと道徳教育

は折り合いがつくのか。「敬う」ことを強制しても、偽善を強いるこ

とにはならないだろうか。人の感情を「敬う」鋳型に填めたとしても

人の感情は複雑だから「侮る」者も生まれるだろう。権力者として

は、国民が揃って国家を敬うことを願うのだろうが、人間にとって

国家は共生する為の装置でしかない。国は執拗に教育に国旗

・国歌を翳そうとするが、北朝鮮で将軍様の写真を有無を言わさ

ず教室に翳すのと似ていて気持ちが悪い。もう少し「民主的に」

綽々と話し合えないのだろうか。ただ、教師から明らさまな「依

怙贔屓」をされた覚えが残る私には、決して差別的な道徳には

従えない。接木は、桜もバラもその特異性を活かし合ってこそ、

より強い共存共栄が出来るのではないのか。

 星空を覆っていた雲の幕が綻び、綻びを裂くようにして我等が

衛星「月」が満面の笑みで私を覗いた。一千万を超える人々が居

るこの東京で、今、この満月と見つめあっているのは恐らく私だ

けに違いない。つい、今し方まで喧騒の中にあった二十四時間都

市・東京は、疲れを癒すかのようにひっそり閑としていた。暗黒

の中で屹然と輝く望月は、私の歩みに合わせて後退りしながら、

一億数千万キロ彼方の光を私に届けていた。しばらく、彼女と語

らいながら歩いていると、ついさっきまで考えていたことがバカ

らしく思えてきた。我々は何て詰まらない事を言い争っているの

だろう。我々のこうあらねばならないと言い合っていることは、

実は、大概のことはどうあってもいいことなのではないのか。

我々は気付かずに通り過ぎた蟻の穴を、大騒ぎして右と左に割

こうとしているのではないのか。それはまるでフォークの背に乗

せてライスを食べるべきか、腹の方が食べ易いかで言い争いを

している風だった。

 そして、遂に彼女との惜別の時がきた。私は次の角を曲がら

なければならなかった。私は辻に立ち止まってもう一度彼女を

見つめた。すると、彼女もそれを察してか漂う幕を手繰り寄せ

て顔を隠そうとしていた。私はしばらく満月が雲に隠れる様子

を見ていた。そして馴染みの角を曲った。

                       (つづく)