(八十六)

2012-07-11 08:56:58 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(八十六
              (八十六)



 女社長から話しがあるからと電話で呼び出された。個展の打ち

合わせと言うことだったが、もちろん、私が先日雑誌の対談で発

言したことをたしなめる為だろう。今度は遅れない様に早く部屋

を出た。都心には至る所にオリンピック誘致の幟(のぼり)が飾

られていた。不遇から抜け出せない者にとって2016年は東京

に留まるタイムリミットのように思えて来る。もしかすれば、それ

はホームレスの頃に滲み付いた不安が甦ってくるからかもしれ

ないが、7年後もダンボールハウスやブルーシートの家が路上

を軒並み占めていれば、この国も北京オリンピックを笑ってられ

なくなる。路上生活者は追い払われて更に路頭に迷う事に為る

。東京でのオリンピック開催は災いに似ている。他所であれば他

人事のように見て居れるが、いざ東京に来るとなると大儀で逃げ

たくなる。大体、我々は2000年以上も前に始まった祭典を未だ

に歓迎している。更に、デモクラシーといえば2000年以上も前

に生まれた制度にも拘らず政治は手こずっている。オリンピック

もデモクラシーも大昔に生まれたものではないか!一体、人間

は2000年前よりも本当に進歩したのだろうか。産業革命に因

ってもたらされた近代文明は、たかだか200年余りでエンストし

かけ、何れこの文明もガス欠に由るか排ガスに由るかで繁栄を

終わらせ様としている。この国も200年前はチョンマゲを結い腰

に凶器を帯びて闊歩していたのだ。恐らく人類の歴史から見れば

この時代など一瞬の繁栄にしか過ぎない。つまり何時までも続く

ものではないのかもしれない。かつて恐竜が巨大化することによ

って滅亡を速めたように、人類もまた巨大化したエネルギー消費

によって、恐竜の二の舞に為るのではないだろうか。67億の人間

が豊かさを求めて争っているにもかかわらず、世界中が人尿に穢

されて、もはや我々にはそこを遁れて原始からやり直す新大陸など

もう無いのだ。

 世の中にはどうやって稼いでいるのかよく解らない商売がある

。画商や骨董屋などがそうだ。休んではいないが何時観ても客の

姿をほとんど見たことがない、女社長の画廊もそんな店だった。

何度か足を運んだが終ぞ絵を買い求める客に出くわしたことが無

かった。絵の売買でどうやって値を付けているのか、その場に立

ち会いたいものだと常々思っていたが、早く着いた画廊のドアを

何時もの様に押して入ったら中には幾人かの客が居た。私は少し

驚いたが、それでも客が居ることに何故かホッとした。ちょうど

、多芸で知られた芸能人が個展を終えたばかりで、壁には彼の描

いた奔放な水彩が、ご丁寧に書で説明までされて吊るされていた

。魚の絵には「鰺」と読みづらい字で書かれていて、なるほど説

明が無ければアジとは気付かなかった。ところが、どの絵も売却

済の札が貼られていた。もしその芸能人が描いたという証が無け

れば、千円札の野口英世の肖像画と交換することさえ拒みたくな

る程の拘りの無い絵だったが、隅には拘りの有るサインが記され

ていたいた。客の中から女社長が現れた。私は雑誌の対談での

無礼を電話でも何度も詫びていたが、更に深く頭を下げて詫びた。

女社長はそれには応えずに、

「あらっ、随分早いわね。」

と言って自分の時計を見た。

「まだ一時間もあるじゃない。」

そう言って、

「困ったわね、まだ少し時間が掛かるのよ。」

しばらく考え込んでから、またしても例のホテルのラウンジで

待つように言った。もしも、私が二度と行きたくない場所がある

とすれば、駅の通路にダンボールを敷いた、ただ寝るだけの

場所よりも、ただ寝るだけでは虚しくなる高級ベッドを備えた、

その宇宙ステーションホテルだった。

                                (つづく)

(八十七)

2012-07-11 08:56:05 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(八十六
                (八十七)



 ホテルのラウンジは人の出入りが頻繁で落ち着かなかった。も

う既に一時間以上待たされていた。女社長からは一度K帯に連絡

があったが、「もうすぐ行くから。」と言って、私にカウント・

ダウンする時間を与えなかったので、そこを離れる訳にはいかな

かった。手持ちぶささからK帯からニュースを見ていると、以下

のニュースが目に留まった。

 重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53

)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さ

いたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、

懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症

を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残

ったことにも意味がある」と諭した。

長男正大さんに対する殺人と、妻きみ衣さんに対する承諾殺人

の罪に問われたのは、埼玉県川越市の福島忠被告。福島被告は公

判で「体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に『

3人で死のう』と言われ、決意した」と語った。

検察側の冒頭陳述や福島被告によると、長男の症状は重く、知

能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きら

れないのでは」と言われたといい、夫婦は「子どもに罪はない。

20年を大切にしてあげよう」と誓った。食事やトイレなども付

ききりで妻が世話したが、介護は過酷だった。自分の便を口に運

ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。成人すると長男は暴れた

り、妻の髪の毛を抜いたりもした。妻が頭痛やぜんそくなどの体

調不良を訴えたのは約2年前。40年勤めた会社を定年退職した

福島被告も介護を手伝った。だが妻の体調はますます悪化し、「

3人で逝こう」と心中を望むようになった。
 
08年8月、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇

願。9月9日夜には「遺書を書いた」と福島被告に伝えた。その

言葉に、説得を続けていた被告の心も折れた。

翌10日午前1時ごろ、福島被告は就寝中の妻と長男の首など

を果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つ

けたが、死にきれずに110番通報した。

「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。そ

う公判で訴えた福島被告は判決後、「残された人生を有意義に生

きて欲しい」と裁判長に言われ、「はい」と一礼して法廷を去っ

た。(津阪直樹)  asahi.com 2009年2月5日1時36分

www.asahi.com/national/update/0204/TKY200902040312.html
mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000902050002

 

 私は居た堪れなくなって、大きく息を吸った。そして、裁判長が

語った言葉を見詰めてた。

「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある

。あなたが生き残ったことにも意味がある。」

裁判長は「必ず意味がある」と言うならその意味こそ語るべきで

はないのか?

「残された人生を有意義に生きて欲しい」

果たして被告は「有意義な人生」など望むだろうか?

  被告の妻は8月に、夫に悲痛な決意を伝えた。8月といえば

北京オリンピックに世界中が沸いている時だった。テレビが連日

選ばれた選手達の熱戦を伝える中で、重度の障害がある息子を持

つ彼女の絶望は如何ばかりだったろう。もし、障害を持って生ま

れてきた児にも必ず意味があるとすれば、社会はその意味を正し

く理解していない。障害者を暖かく受け入れない社会で、夫婦が

安心して子供を産める訳が無い。少子化問題の一因がここにもあ

るのではないだろうか。社会が何も手を差し伸べないで、我が子

を愛するが故に不憫に思い、苦渋の末に殺める親の罪をこの社会

は本当に問えるのだろうか。社会は障害者の生きる権利こそ優先

させるべきだ。それが出来ないと言うなら、その子を産み育てる親

の責任に委ねるしか無いのではないか。

                                   (つづく)

(八十八)

2012-07-11 08:55:08 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(八十六
                    (八十八)



 ロビーを行き来する着飾った人々を、私は防犯カメラの様に虚

しく眺めて居た。テレビで見覚えのある人が何人か通り過ぎた。

彼等の服装は一般に紛れようと心掛けていたが、どこかに人に気

付いてほしい思いもあってそれが返って目立った。この頃はやた

らと人の存在感を云々するが、それは畏敬や好意を持って見る者

の意識がそうさせるのだ。本当に優れた人は「オーラ」などとい

った怪しいものは出さない、ただ優れているだけだ。とその時、

襟元にファーが付いた黒っぽいロングコートの女性が、特異な「

オーラ」を発して現れた、女社長だった。

「待たせたわね。」

確かに。ただ、これだけ待たされると怒りが不安に転じ、遂に彼

女が現れた時には安堵の気持ちに変わってしまった。彼女は遅れ

た言い訳をして私を宥(なだ)めた。そして腰を下ろす前に、私

と交わした契約書のコピーをテーブルに置いた。そこには、私が

守らなければならない箇所にマーカーが記されていた。私は仕方

なくそれを手に取って眺めた。

「断りもなしに勝手に画風は変えられないのよ。」

彼女はそう言った。契約書には細かい約束事が書かれていて、確

かにそう為っていた。

「どうも、すみません。」

とは言ったが、実は私はもう高層ビルを描く事に飽き々々してい

た。ちょっとした思い付きから描き始めたが、描いていて全くお

もしろく無いのだ。東京中のビルを探して歩いたがもう関心が湧

かないのだ。無駄を排した高層ビルの機能性は、同時に人の感情

も排除するかのようだ。絵にしたいと思わない街とは果たして楽

しい街なのか?私は東京という街の本質的な欠陥を知った。つま

り、無駄を欠いてるのだ!まるで乗るあても無く紛れ込んだ新幹

線のホームのように、目的を持たない者は冷たく拒絶される。新

幹線の駅は新幹線に乗る人の為に機能するように、東京という都

市は何らかの目的を持った人の為に機能する手段なのだ。目的な

どは何だって良いのだ、起業家でも政治家でも詐欺師でも作家で

もペテン師でも、目的さえあれば励ましてくれるだろう。しかし、果た

して我々は目的を持った正統な存在なのだろうか?ひとたび生きる

目的を見失って立ち止まると、この街の機能的な手段は意味を無く

し、何と殺伐とした街に思えてくることか。かつて励ましてくれた高層

ビルも係わる事を拒むかの様に無愛想に聳え立っていた。

「もう、描けないんです。」

彼女は無言だった。

「個展が終わったらすこし休ませてくれませんか。」

私はか細い声で訴えた。

 女社長は席を替えようと言ってエレベーターホールへ向かった

。私は彼女の後を臆病な犬のように辺りを確かめながら続いた。

恐らく私の尻尾は警戒心から股間に仕舞われていたに違いない。

ドアが開いた所は東京の夜景を見渡せる高層階のバーだった。派

手なシャンデリアや高級なインテリアに圧倒されてたじろいだ。

しかし、眼下には多くのホームレスが集って年を越した公園があ

った。木陰から漏れるブルーシートの小屋の灯りや、外灯の下で

寒さを堪えて佇む人々に見入ってしまった。

「気になる?」

「あっ!いいえ。」

ホームレスを見下ろす高層階のバーはまさに格差社会の象徴だっ

た。貧困の忌避からより高く離れたいと望み、此処までは来れま

いという安心と同時に、それでも地に足が着かない不安が残る。

そしてその安心と不安が更に地べたの暮らしから逃避させる。

人は地面から離れるほど鳥のように高慢になるに違いない。

 彼女は「いつもの」とオーダーしたが、私は「いつもの」酎ハ

イを注文する訳にいかずに途惑っていると、彼女が代ってブラン

デーをオーダーした。彼女は私の正面ではなく横に居たので、私

は常に彼女の横顔を目にしていた。それは宮永武彦の美人画のよ

うに、つんと伸びた鼻筋や細く長い首が美しかった。私は美人の

条件は絶対に横顔にあると思っている。否、私はただ鼻の高い女

性に弱いだけかもしれない。カメラが出来てから我々は当たり前

のように人の顔を正面から見るが、それは随分大胆なことで、そ

の人格と向き合い様々な感情を読み取ろうとする。エジプトの壁

画に描かれている人は何故横を向いているのか?それは、見る

者にそういった感情を与えない為ではないだろうか。あの壁画の

作者こそが第三者に徹した人類最初のジャーナリストかもしれな

い。

 「お休み、いいわよ。」

彼女は「いつもの」シャンパンを飲み干して、私を見ずにそう言

った。グラスを傾け顎を上げた首筋が、さらに細く伸びて食道を

落ちるシャンパンの流れが分かるほどだった。私は喉の渇きを

癒す為に一機にブランデーのグラスを空けて、咽(むせ)てしま

った。

 ジャズのライブが始まった。女社長はさっきからフランスでの

見聞録を語っていた。私は慣れない世界での緊張が限界を超えて

、空腹に垂らし込んだ飲み慣れないブランデーの所為もあって、

ついに脳が私を見放した。誤操作によって変換がおかしくなった

PCのように、彼女の言葉が訳の解らない記号のフォーマットの

羅列のように聞こえた。それでもジャズの演奏は心地よかった。足

下ではホームレス達が飢えと寒さに耐えていた。私は戦地から奇

跡的に生還した兵士のように感謝の気持ちから泣き出してしまった

。それを見て女社長は私が怪しいことに気付いた。

「ちょっと!酔っちゃったの?」

  思春期の頃、早朝の微睡(まどろみ)の中で何度か夢精をした

。夢の中で、好きな同級生の娘と抱き合って、雑誌に載っていた

「こうすれば彼女はとろける!」というテクニックを駆使して快楽に

導き、いざ本番という時になって、その娘の股間には肝心の性器

が見当たらず、のっぺらぼうだった。私は驚いて目が醒めた。童貞

の私は大人の女性の性器を見たことが無かった。つまり、私の記

憶の中に女性の性器の情報が無かったので、夢の中の彼女をの

っぺらぼうにさせてしまったのだ。それからは必死に為ってアダル

トビデオを漁ったが、「薄消し」とか「ほぼ無修正」といったサブタイ

トルに随分騙されて、結局モザイクの壁を超えられなかった。やが

て学校を出て職場の年上の女性と付き合ったが、それは愛とか恋

とかで無く、ただただ性的好奇心だけだった。「そんなに見ないで

よ。」と言われるほど思春期の恨みを晴らしてやった。

 気が付いたのはホテルのベットの上だった。サイドテーブルの

照明だけが怪しげに燈っていたが、他に誰も居なかった。何故そ

こで横たわっているのかさえ全然覚えが無かった。私は身体を起

こしてしばらく記憶を辿った。それから堪らなく喉が渇いたので、

水を飲む為にバスルームへ行った。ドアを開けると、女社長がシ

ャワーを浴びていた。

「あら、酔いが覚めた?」

「・・・!。すっ、すみません!」

私は慌ててドアを閉めた。

                                  (つづく)

(八十九)

2012-07-11 08:54:11 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(八十六
                   (八十九)



 私は状況が読めなかった。そしてもう一度部屋の中を眺めた。

部屋の中には多くの書物や生活品が置かれていて、新しく借りた

部屋では無かった。あっ!玄関前のフックに掛かったハット帽は

紛れも無く老先生のものだ。この部屋は老先生が東京で滞在

する為に借りている部屋に間違いない。もしかすると老先生が居

るかもしれない。そう思って私は更に部屋の中を探ったが、他に

は誰も居なかった。しかし、今ドアが開いて戻ってくるかもしれな

い。そう為ると老先生はこの状況に有らぬ疑いを懐くに違いない

。繰り返すが、私は女社長に対して異性としての徒(ただ)ならぬ

思いを持っていた。だから彼女が今シャワーを浴びていることにも

さもしい魚心が疼いた。老先生への深い尊敬から生じる忠誠心と

、彼女への生臭い魚心を秤に掛けて、忍び難いが、この部屋に

留まることはマズイと思った。私はバスルームのドア越しに、

「どうもご迷惑をお掛けしました。酔いが醒めましたのでここで

失礼致します。」

と、シャワーの音に負けない様に大きな声で叫んで、部屋を立

ち去ろうとした。すると、

「ちょっと待って!」

と言って、しばらくすると彼女がドアを開け、バスタオルを巻いた

だけの格好で私の前に現れた。そして、

「はい、お水。」

彼女は手にしたコップを差し出した。私は何も言えなくて、彼女

を見ないようにしてそれを受け取り、横を向いて一機に水を飲み

干した。

「先生は居ないからそんなに慌てなくていいわよ。」

彼女は私の狼狽えた所作を見てそう言った。そして胸元のバスタ

オルの端を両手で直した。

「先生は居ないんだ!」

私の頭の中にある天秤が片方の重しを失って激しく傾いた。そして

、やはり横を向いたまま彼女にコップを返した。

「ありがとうございます。」

ところが彼女はそれを受け取ろうとしなかった。私は「あれ?」

と思って彼女を見た時、彼女は私の手を引っ張った。私は全く予

期しなかったので彼女にぶつかって、持っていたコップと、そし

て彼女を隠していたバスタオルが同時に落ちた。彼女は気にもせ

ず裸のまま私に抱きついた。私の鼓動は一気に高まり、頚動脈を

上る血流の激しさが耳の奥にまで届いた。その血流に促がされて

、私は裸の彼女を包むように大きく抱き返した。

  子供の頃、ペニスは小便をする為にあると思っていた。その他

にも役割があるなどつゆぞ知らなかった。随分大きくなってから

、とは言ってもまだ勃起はしなかったが、友達が自慢気に教えて

くれた。恐らく彼もそれを知ったばかりだったのか、まるで汚ら

わしい事の様に言った。

「子供はどうやって生まれるのか知ってるか?女のオシッコする

の穴にチンチン入れるんやど!」

私は全くそんな事を考えたことが無かったので、

「ウソや!」

と言った。もしも、これまで生きて来た中で、無知故に恥かしい

思い出を一つだけ消去出来るとしたら、私は迷わず友達に言い返

したこの「ウソや!」を選ぶだろう。それほど恥を掻いた。その

後、動物達の交尾を見ては「ホントかもしれん」と思うようにな

ったが、ただ自分を生んだ両親の性行為がどうしても頭に浮かば

なかった。恐らく私は、人から教えられなかったら、一生勃起し

たペニスの正しい使い方を知らぬままで終っただろう。ある時、

テレビのトーク番組で、伝統芸能の役者が、物心が付いた時から

そんなことは知っていた、と語ったのを聞いて驚いた。と言うの

は、子供と謂えども曲がりなりにも社会の正しいことや悪いこと

を考えているのだ。私も私なりに、大人達はどうして争いの無い

世界を創れないのかと心を痛めていた。例えば食欲は、食べ物が

余っている国の人々が、飢えに苦しむ国の人々に余った食べ物を

与えることで共生できるではないか。ところがだ!この性欲とい

う快楽は余りもしないし分け与える訳にもいかないのだ。つまり、

性欲こそが人間の共生を阻む本能なのだ。私はそんな欲望がある

事も知らないで、争いのない理想の世界を構築できると確信して

いたのだ。私の世界観は重大なファクターを知らずに構築されて

いた。私の理想世界は欲情する性器によって穢された。この世界

に争いや対立や差別や偏見や独善や不正や見得や嫉妬や虐待や殺

人や自殺があるのは、性本能から派生した社会的欲望によるでは

ないか。私は絶望の余り、このまま生きるべきか、死ぬべきか、

それとも尼寺へ行くべきか、やがて、不埒にも勃起したペニスに

悩まされながら考えていた。そもそも種を繋ぐ生殖の機能が排泄

と同じ器官で行われる事に、神の悪戯なのか、深い意味が隠され

ていると思った。まるで、愛すべきことは忌むべきことと共に在るかの

ようで、ラ・ロシュフコーの次の言葉を思い出す。

「われわれの美徳は,ほとんどの場合,偽装した悪徳に過ぎない」

 
 私と女社長は老先生の部屋で愛し合った。それ以上のあからさ

まな描写は話しを在らぬ方へ導きかねないので慎むが、極めて普

通だった。ただ、普通というのがどういうことを言うのか全く解

らないが。付け加えるなら、彼女によると、老先生の器官は二つ

有る役割の一つを失って久しいとの事だった。それ故に女社長も

久しく女性で在ることを失っていた。更に付け加えるなら、私も

バットを磨くばかりで久しく打席に立つことがなかったので、私と

女社長はベットの上で、眠ることを忘れて朝を迎えた。それから、

彼女は前夫との子供を学校へ行かせなければならないので帰る

と言った。私はさすがにこの部屋に一人で残れないと言って、彼

女のタクシーに同乗してホテルを出た。先に、彼女の息子が眠る

自宅に向かい、タクシーを降りる時、彼女は私にキスをした。

                                (つづく)

(九十)

2012-07-11 08:52:48 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(八十六
                 (九十)



 バロックからのメール。

 「元気?(赤)木ヶ原の樹海は、赤城山の裾野を絶望に打ちひ

しがれて彷徨っている時に、たまたま『赤城原』という地名を見

つけたんで、富士山の青木ヶ原の樹海の向うを張って俺が名付け

たんや。樹海と呼べる程ではないけど山に行けば樹木はあった。

 ゆーさんによると、やっぱり温暖化は明らかで、今年は世界的

な干ばつや異常気象によって、今度は食糧危機がグローバル化す

るやろうと言った。食物連鎖を考えると、機械化と農薬で飛躍的

に農作物の収穫が増え、それによって人間の数も爆発的に増加し

た。その人間が経済のグローバル化によって、それまでの自然の

暮らしを捨て、世界中が近代的な豊かな暮らしを望むようになっ

た。ところが、その豊かさとは循環的な生態系を破壊して異常気

象をもたらし、遂には廻り回って、我々の糧にまで影響を及ぼそ

うとしてる。人は経済危機ではそう易々とは滅ばないけど、食糧

危機が続けば間違いなく滅ぶ。何故なら、幾ら金があっても無い

物は買えんから。我々は経済成長ばかりに気を取られ、その成長

を支えてきた大地は、成長がもたらした異常気象によって循環を

歪め恵みを失い、生命を育めなく為っている。人間は頭上ばかり

を気にして足下の崩壊に気付かずに滅んで行くのやろうか。自然

はそうやって増えすぎた生き物を始末するのかもしれん。恐らく

、その前に人間は不安に耐えられなくなり、正当な権利を主張し

あって戦争を始めるに違いない。争いの背後にはそういった苛立

ちや焦りが存在する。食糧の多くを輸入に頼っている日本にとっ

ては、経済危機よりも更に深刻な世界的な食糧危機こそ危惧する

べきや。そんな訳で、今年は穀物の作付けを大幅に増すつもりや

が、減反補助などで護られた農家は、伝来の田畑が荒地になって

も困らないから、ヨソ者を嫌って借そうとしないんや。そこで、

山の斜面を開いて斜面に畑を造ろうと提案したら、ゆーさんも面

白いと言ってくれた。もし上手いこと行ったら山だらけのこの国

で多少役に立つかもしれん。もちろん段々畑やないから日照時間

や斜面の保水力など問題は山積みやけど今勉強しているとこや。

これを俺達は、『斜面農法』と呼んでいる。何れは『斜面水田』

にも挑戦するつもりやけど。」

                        (つづく)