(八十六)
女社長から話しがあるからと電話で呼び出された。個展の打ち
合わせと言うことだったが、もちろん、私が先日雑誌の対談で発
言したことをたしなめる為だろう。今度は遅れない様に早く部屋
を出た。都心には至る所にオリンピック誘致の幟(のぼり)が飾
られていた。不遇から抜け出せない者にとって2016年は東京
に留まるタイムリミットのように思えて来る。もしかすれば、それ
はホームレスの頃に滲み付いた不安が甦ってくるからかもしれ
ないが、7年後もダンボールハウスやブルーシートの家が路上
を軒並み占めていれば、この国も北京オリンピックを笑ってられ
なくなる。路上生活者は追い払われて更に路頭に迷う事に為る
。東京でのオリンピック開催は災いに似ている。他所であれば他
人事のように見て居れるが、いざ東京に来るとなると大儀で逃げ
たくなる。大体、我々は2000年以上も前に始まった祭典を未だ
に歓迎している。更に、デモクラシーといえば2000年以上も前
に生まれた制度にも拘らず政治は手こずっている。オリンピック
もデモクラシーも大昔に生まれたものではないか!一体、人間
は2000年前よりも本当に進歩したのだろうか。産業革命に因
ってもたらされた近代文明は、たかだか200年余りでエンストし
かけ、何れこの文明もガス欠に由るか排ガスに由るかで繁栄を
終わらせ様としている。この国も200年前はチョンマゲを結い腰
に凶器を帯びて闊歩していたのだ。恐らく人類の歴史から見れば
この時代など一瞬の繁栄にしか過ぎない。つまり何時までも続く
ものではないのかもしれない。かつて恐竜が巨大化することによ
って滅亡を速めたように、人類もまた巨大化したエネルギー消費
によって、恐竜の二の舞に為るのではないだろうか。67億の人間
が豊かさを求めて争っているにもかかわらず、世界中が人尿に穢
されて、もはや我々にはそこを遁れて原始からやり直す新大陸など
もう無いのだ。
世の中にはどうやって稼いでいるのかよく解らない商売がある
。画商や骨董屋などがそうだ。休んではいないが何時観ても客の
姿をほとんど見たことがない、女社長の画廊もそんな店だった。
何度か足を運んだが終ぞ絵を買い求める客に出くわしたことが無
かった。絵の売買でどうやって値を付けているのか、その場に立
ち会いたいものだと常々思っていたが、早く着いた画廊のドアを
何時もの様に押して入ったら中には幾人かの客が居た。私は少し
驚いたが、それでも客が居ることに何故かホッとした。ちょうど
、多芸で知られた芸能人が個展を終えたばかりで、壁には彼の描
いた奔放な水彩が、ご丁寧に書で説明までされて吊るされていた
。魚の絵には「鰺」と読みづらい字で書かれていて、なるほど説
明が無ければアジとは気付かなかった。ところが、どの絵も売却
済の札が貼られていた。もしその芸能人が描いたという証が無け
れば、千円札の野口英世の肖像画と交換することさえ拒みたくな
る程の拘りの無い絵だったが、隅には拘りの有るサインが記され
ていたいた。客の中から女社長が現れた。私は雑誌の対談での
無礼を電話でも何度も詫びていたが、更に深く頭を下げて詫びた。
女社長はそれには応えずに、
「あらっ、随分早いわね。」
と言って自分の時計を見た。
「まだ一時間もあるじゃない。」
そう言って、
「困ったわね、まだ少し時間が掛かるのよ。」
しばらく考え込んでから、またしても例のホテルのラウンジで
待つように言った。もしも、私が二度と行きたくない場所がある
とすれば、駅の通路にダンボールを敷いた、ただ寝るだけの
場所よりも、ただ寝るだけでは虚しくなる高級ベッドを備えた、
その宇宙ステーションホテルだった。
(つづく)