「バーニー・サンダース」

2021-01-25 07:56:28 | 「個人と社会」

           「バーニー・サンダース」

 日本には何故バーニー・サンダースのような人物が現れないのだろう? 

わが国の野党は迷走する与党に着いて行って後ろから文句を言うばかりで、

それなら何故それとは違う新しい社会を創り出そうとはしないのだろうか?

与党と同じ政策を掲げていては野党の意味がないじゃないか。 

バーニー・サンダース氏の“普段着すぎる”就任式ファッション、チャリティになって人助けへ | ハフポスト

 地球の人口の限界は凡そ100億人と推定されているが、しかし、まもな

く80億人に達しようとしている。グローバル化した世界の下で経済が「成

長の限界」に達し、地球を埋め尽くした人間たちはさながら地獄に落ちた亡

者たちのように一縷の救いの糸を求めて蠢いている。コロナ禍は忽ちグロー

バル化したが豊かさだけはグローバル化されずに、格差社会は固定化され拡

がるばかりだ。かつて革命家 北一輝は「生きるとより死に至るまで脱する能

わざる永続的飢饉の地獄は富豪の天国の隣りにて存す」(『国体論及び純正社

会主義』)と当時の社会の不平等を憤ったが、いまコロナ禍によって更に深刻

さを増した環境の下で格差社会が再現されようとしている。かつて孔子は為

政者の志として「寡なきを患えずして均からざるを患う」と説いたが、アメ

リカの若者たちはアメリカン・ドリームから覚めて多くを望めない社会で、

それならせめて均しさを求めようと民主社会主義者を自認するバーニー・サ

ンダースを支持したことは大きな転換の始まりではないだろうか。ただ、残

念なことにわが国にはバーニー・サンダースのような政治家はいない。


「私は『核兵器禁止条約』に個人として参加します」(2)

2021-01-24 03:22:18 | 「個人と社会」

 

 

「私は『核兵器禁止条約』に個人として参加します」(2)


以下は、令和3年1月4日 菅内閣総理大臣記者会見終了後の中国新聞の質問に対する官邸の書面による回答です。https://www.kantei.go.jp/jp/pages/20210104kaiken_shomen.html

 

   *     *     *

「我が国は、唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードする使命を有しており、核兵器禁止条約が目指す核廃絶というゴールは、共有しています。
 一方で、核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国を巻き込んで核軍縮を進めていくことが不可欠ですが、現状では、同条約は米国を含む核兵器国の支持が得られていません。さらに、多くの非核兵器国からも支持を得られていません。
 我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、抑止力の維持・強化を含めて、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に、現実的に、核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切であると考えています。
 こうした我が国の立場に照らし、同条約に署名する考えはなく、また、御指摘の会議へのオブザーバー参加については、慎重に見極める必要があると考えています。その上で、我が国としては、引き続き、立場の異なる国々の橋渡しに努め、核軍縮の進展に向けた国際的な議論に積極的に貢献していく考えです。
 こうした政府の考え方について、国会においても、丁寧に説明していく考えです。」

  *     *     *

 さて、「唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードする使命を有」する我が国が、世界に対して「核廃絶」を訴える時に、「核廃絶というゴール」を「共有」しながらも、その訴えに「核兵器国」「非核兵器国」のどちらからも支持を得られていないという理由から参加しないと言うのであれば、そもそもどちらからも支持されるのであれば「取り組みをリードする使命」自体生れて来ないのであるが、つまり、誰もが支持してくれないから訴えないというのは使命からの逃避にほかならない。唯一の被爆国の使命から「止めろ!」と訴えることがそれほど見当違いだろうか?世界最初の核兵器投下からすでに三四半世紀を経て、これまで我が国による「立場の異なる国々の橋渡し」によってどれほどの「核軍縮の進展」が得られたと言うのか?言われているように、我が国はアメリカの核の傘の下でタテマエとして非核中立を謳っているが、そのホンネは世界最大の核兵器保有国アメリカへの「忖度」政治にほかならない。私は安倍・菅政権による忖度政治の元凶は「従米主義」にあると思っている。つまり「一身独立して国家独立す」(福澤諭吉)とすれば、アメリカに依存する我が国の政治家たちは未だアメリカの植民地支配から抜け出せない。たとえば、政府は北朝鮮による拉致問題を我が国の最重要課題だとタテマエでは訴えるが、未だ北朝鮮に対する戦争賠償問題が解決していない日朝間の交渉はどうしてもその問題を避けて通れない。しかし巨額の賠償金支払いは北朝鮮の核開発を望まないアメリカにとって絶対に認められないことである。もちろん日本政府も戦争の被害者である北朝鮮国民には決して償われないことは判っている。我が国の最重要課題だと言いながらまったく「拉致が明かない」。こうして戦勝国アメリカへの忖度政治はタテマエとホンネに二分化されて、タテマエを踏み出せばホンネが立ち尽くすという決して前には進まない「地団駄」政治を繰り返している。


「ダス・マン (Das Man)」

2020-12-19 23:46:48 | 「個人と社会」

         「ダス・マン (Das Man)」

 

 以下はウィキペディア「ダス・マン」より、なかなか分り易い

ので掲載しました。

          *      *      *

 ダス・マン(Das Man)とは、ハイデガーによる哲学の概念であり、

「世人」とも訳される。人間というのは個としての死が必然である

ということを自覚せざるを得ない能力を持っており、主体的に生き

ることが運命付けられている存在であるにもかかわらず、このこと

を考えずに紛らわして過ごしている人間のことを言う。社会におい

て生きる人間というのは、他者とは道具的に出会うということが多

く、これは仕事中の他者と仕事相手として出会うということである

。ここでは他者は自らの便宜のためであり、自らも他者の便宜のた

めに道具的に存在しているということである。人々はこのような公

共的な世界での生活に埋没し、気晴らしを楽しみ、時間を潰しなが

ら生きているわけであるが、ハイデッガーはこのような生き方は

来の人間らしくない生き方であり、これを頽落と表現し、このよう

な生き方をしている人々のことを「ダス・マン」と表現した。この

「ダス・マン」という言葉は、人間を非人間的に表現する言葉が名

詞化されているということであり、人間ならば誰であってもかまわ

ないという生き方が暗示されている