「ヘンリー・ミラーについて」

2017-12-31 21:35:07 | 従って、本来の「ブログ」

            「ヘンリー・ミラーについて」


 私はこれまで自己紹介の欄で、影響を受けた作家としてヘンリー・ミ

ラーとニーチェを挙げましたが、ニーチェについては度々彼のアフォリ

ズム、従って「あほリズム」ではありません、を引用させて戴きました

が、ヘンリー・ミラーについては一度も取り上げませんでした。しかし

、これまでにも何度もヘンリー・ミラーについて書こうと思いましたが

、どうしたことか何一つ覚えていないことに気付きました。あれは上京

して間なしの頃で、四畳半一間のアパートの部屋で無聊を慰めるためだ

けに本屋でたまたま手に取った分厚い「北回帰線」を読み始めると忽ち

虜になってしまいました。早速彼の全集を買い求めて、あれは池袋パル

コの中にある書店だったと記憶していますが、これまでの読書遍歴の中

で彼の著作ほどにのめり込んだ作品は皆無と言っていいほど、仕事を態

と休んでまでして読み耽りました。ところが、さっきも記したように何

一つ覚えていないのです。ただ覚えているのは、今では誰もが使う「自

分を信じる」という言葉は、私が知る限りでは彼が一番最初で、多分「

自信」とはそういう意味なのでしょうが、それは自分の言葉として深く

心に刻みました。が、やがて誰もが使い始めて自分の信条を奪われたよ

うな気がして少し残念な思いがしました。もちろん、それまでにも夏目

漱石や芥川、太宰といった近代日本文学にも目を通しましたが、そもそ

も文学とは狭い世界の中で道を模索する暗いもばかりだと思っていたが

、ヘンリー・ミラーの著作は異質で世界の柵(しがらみ)をいとも容易く

飛び越えられる自信を与えてくれるほどの無類の痛快さがあった。たぶ

ん私が小説を書いてみたいと思い立ったのは、彼の後にそれほど荒唐無

稽な作品に巡り会わなかったからかもしれません。ただ、もう一度読み

直してみたいとは今のところ思っていませんが、世界でもっとも好きな

作家はと尋ねられたら、迷わずに「ヘンリー・ミラーだ」と答えます。

                            (おわり)


 遅ればせながら、本年も私の卑陋(ひろう)な文章に目を通して下さっ

た皆さまに深く感謝を申し上げます。そして来る年が皆さまにとって歓

び多き年であることを願って已みません。


2017年大つごもり
                         ケケロ脱走兵


「安倍首相『私はリベラル』」

2017-12-31 17:20:25 | 「パラダイムシフト」


      「安倍首相『私はリベラル』」


 以下は、朝日新聞デジタル2017年12月30日08時01分より、全文は

有料なので記事の冒頭の一部だけを抜粋した。

[https://www.asahi.com/articles/ASKDQ0DPZKDPULFA044.html]

「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいけ

ば」

 衆院を解散し、総選挙を控えた10月。安倍晋三首相は、自らが打ち

出した経済政策について周辺にこんな表現を使って解説をした。

 ここで言う「リベラル」とは、政治的な立ち位置のことではない。経

済を市場や民間に委ねるのではなく、政府が積極的に関与し、所得再分

配の機能を強めていくという文脈で使った表現だ。・・・


         *      *    *


 安倍首相の言う通り、自民党が選挙戦で公約に掲げた消費税収を幼児

教育無償化に振り向けることや、経済界に対して3%の賃上げを要請す

るなどといった政策は、これまで自由主義経済を政策の基軸に小さな政

府を掲げて来た政党としては主義に反する政策に違いない。それにして

も連合はいったい何のために組合員から組合費を徴収しているのだろう

か?私はこれまでにグローバリゼーションがもたらす「成長の限界」に

よって自由主義経済もその限界に阻まれるだろうと言って来たが、成長

の限界に達した世界経済の下で経済成長するためには奪い合うか分け合

うかしか残されていない。しかし資本主義経済の下での競争は、もちろ

ん例外もあるが、資本力のある会社だけが勝者になって、その格差は拡

がるばかりである。そこで政治が社会を安定させるために出来ることと

いえば格差是正しか残されていない。それはかつてのようなイデオロギ

ーによる政治転換ではなく、世界経済の限界がもたらす転換に他ならな

い。彼は「リベラル」と言ったが、かつてそれらはリベラル政党が掲げ

ていた政策だったからだろう。私は、好むと好まざるに関わらず成長の

限界の下では、北欧社会のような民主社会主義への転換は避けられない

と思っています。

 今や政党は憲法改正を巡って対立しているがすでにイデオロギーの対

立は影を潜めているのだ。安倍首相が「リベラル」であってもいっこう

に差し支えないが、ただ仮に改憲によって軍事力が認められたとしても

一部の熱狂的な「コンサーバティブ」が望むような民族主義にだけは決

して戻ってはならない。


                          (おわり)


「激変する世界ビジネス“脱炭素革命”の衝撃」

2017-12-18 05:22:43 | 「パラダイムシフト」

      「激変する世界ビジネス“脱炭素革命”の衝撃」

 
 今夜NHK特集で放送された「激変する世界ビジネス“脱炭素革命”

の衝撃」を見て衝撃を受けた。かつて環境立国を標榜していた日本にお

いてシャープはソーラーパネル事業で世界一のシェアを誇る優良企業で

あったが、政府の脱炭素エネルギー政策が原発にシフトしてその地位を

失った。それどころかシャープは破たん寸前まで追い込まれた。一方で

頼みの綱である原発政策も福島原発の事故によって見直しを迫られ、原

発を経営の中心的な事業に据えた東芝もまた経営危機に陥った。わが国

の原発政策はアメリカ政府からの要請だと言われるが、そのアメリカは

トランプ政権の下で地球温暖化対策を定めたパリ協定からの離脱を表明

し、地球温暖化物質の排出規制に抗っている。日本は従米政策の下でク

リーンエネルギーの高い技術力を持ちながらそれを生かせずに新しい時

代の潮流から取り残されようとしている。それどころか、成長著しい開

発国に対して石炭による火力発電所の建設を助成している。そもそもア

メリカは独立以来国家主義の国で、保護主義の下でも充分に賄っていけ

るが、資源のない日本はそういう訳にはいかない。ただアメリカに着い

て行けば上手くいくという時代は終わったのだ。いまや世界は限界に達

した地球環境を改善しようと様々な取り組みを試みているが、そんな中

で日本の環境技術に寄せる世界の期待は小さくはないが、古き良き時代

の夢を忘れられない「古いアメリカ」に追随していては、やがて新しい

技術も錆付いてしまうだろう。成長の限界を迎えた世界の下で、それは

様々な自由が制約を余儀なくされるに違いないが、そうなれば真っ先に

衰退するのは「現代の西ローマ帝国」アメリカに他ならない。COP2

3事務局の担当者の「いつまで古いやり方に拘っているんだ」という趣

旨の発言が頭に残った。

                          (おわり)


「あほリズム」 (380)

2017-12-17 05:47:22 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

          (380)

 科学は生成の仕組みを解き明かせない。

 せいぜいその表象を説明するだけだ。

 

           (381)

 つまり、科学は我々の生き方そのものを変えさせることなど

ない。せいぜいのところ便利な道具を作り出して作業を簡略化

させただけで、作業そのものは無くなっていない。かつて宗教

が死後でしか魂を救済できなかったこととそれほど違わない。

 

            (381)

 言ってしまえば、目の前の面倒なことを宗教は来世に、科学

は未来に先送りしているだけのことに過ぎない。

 

            (382)

 そして、生きるということは死を先送りすることに過ぎない。

 

 

 

 


「あほリズム」 (378)

2017-12-16 03:26:06 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

           (378)


世界平和は遠のくばかりだが、世界飽和は確実に近付いている。

(ブルゾンちえみ風に)

「じゃあ質問です。地球上に人間は何人いると思っているの?」

「・・・」

「75億!」「75億よ」

 因みに国連の予測では2100年の世界人口は112億人です。

           

           (379)

 

 (ブルゾンちえみ風に)

「じゃあ質問です。地球上に男は何人いると思っている?」

「35億!」

「じゃあ、あなたと同じ女は何人いる?」

「35億でしょ」

「あなたの好きな男が35億の女の中からあなたを選んでく

れると思う?」