「明けない夜」 (十一)―⑧

2017-08-23 06:14:26 | 「明けない夜」(十一)―⑧

 

        「明けない夜」

         (十一)―⑧


 山の端を離れた朝日は、いつしか中天にあって澄んだ春光を届けていた。

竹口さんは腕時計を見て、

「おおっ、もうお昼じゃないか」

わたし達は畔に腰を下ろしたままでいっさい手を汚さずに半日を過ごした。

そして、

「さあ、帰ろう」

と言った。

「えっ、まだ何もしていませんけど」

「したよ、ずーっとわしの話を聞いてたじゃないか。それって貴重な農業

体験だよ」

「まあ、そうですけど」

「始めに言ったじゃろ、一日じゃ何も出来んって」

「ええ」

そして軽トラに乗り込んで本場へ戻った。昼食は宿で用意してもらった弁

当を食べた。そして、竹口さんが言っていた野菜の味を改めて確かめなが

ら口に運んだ。なるほど、それぞれの野菜の味が濃厚だった。もしも昨今

売られているただ甘いだけで味のしない野菜が美味しいとすれば、もっと

もそれらも調味料で味付けしなければ味も素っけもないのだが、ここの野

菜は野菜独特のクセが強くて不味いと思われるのかもしれない。それはペ

ットフードで育った猫が生魚を見ても跨いで去るように、われわれは食べ

物本来の味を見失っているからに違いない。トマトに限らず甘く「加工栽

培」された野菜は野菜本来の個性を奪われて生命力を失う。辛くないピー

マンや甘いレタス、そして臭くないニンニク。食べるという行為はまずそ

の命を殺めなければならないが、もちろん野菜に於いてもそうだが、それ

には幾ばくかの疚しさを伴うものだが、加工栽培された野菜には命を食べ

ることの疚しさを感じない。それは命を継いでいく仕組みが壊されている

からかもしれない。いま売られている野菜からは子孫を残す種は取れない

。ペットフードならぬファストフードで育ったわたしは、クセのある「不

味い」野菜をじっくり味わいながら食べた。

 午後は竹口さんと一緒にキャベツの定植を行なった。階段状の畑はそれ

ほど腰を屈めなくても作業できるので楽だった。夕方には作業を終えて泥

を落とした。そしてオーナーはわたし達が泊っている温泉宿で歓迎会を開

いてくれた。

 オーナーは娘の婿に農場を任せて、自分は専ら小水力発電機の研究に没

頭していた。

「ここの電気もすべてうちの発電機で賄っているや。今は温泉の熱を利用

して発電できんか勉強してるとこなんや」

すると、農場を任されてる婿さんは、

「ゆーさん、もうそれずーっと前から勉強してるやん。いったい何時にな

ったらでき上がるの?」

ここでは関西弁が標準語だった。

「あほ、原発事故の後からやからそんなに経ってへんわ」

「せやかて原発事故いうたらもう6年も前やで」

「もうそないなるか」

しばらくして続々と人が集まってきた。オーナーの娘さんが二人の子供を

連れて農場で働く人たちと一緒にやって来た。その中に竹口さんも居た。

「言うてもここはわしの家じゃけ」

竹口さんはこの宿で寝泊まりしていた。旅館は湯治用に設えてあって自炊

もできた。ここの館長は湯治客だけでなく、「読書温泉」と謳って長逗留

する客のために、電子図書館を使ってタブレットを貸し出し電子書籍を読

めるようにした。それが受けて寂れた湯治場は客足が途絶えることがなか

った。やがて湯治客も騒ぎにつられて顔を出した。オーナーの婿さんは、

「何時もこんなんよ。羊が子を産んだだけでもみんな集まるんやから」

わたし達は圧倒されて黙って聞いていた。オーナーが一通りの説明をして

わたし達を紹介した。わたし達はそれぞれ自己紹介をして頭を下げた。す

ると婿さんが引き継いで歓迎の言葉を述べた。そして「乾杯!」と叫んで

宴は始まった。終始わたしの横に居た賀川さんはいつの間にか居なくなっ

て、娘さんの子供たちと楽しそうに話をしていた。わたしは彼女の屈託の

ない笑い顔をその時に初めて見て、何となく気持ちが和んだ。そして、

この夜が明けないで欲しいと思わずには居られなかった。

                           (おわり)