ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社) ー⑤ー

2019-06-27 05:18:47 | ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ,Ⅱ 細谷貞雄 監訳

       ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社)


             ー⑤ー

 

 ニーチェの形而上学的命題を、私にとって重要と思われるいくつ

かを繰り返しになるが整理すると、まず変遷流転する「生成」の世

界で、絶対不変の「真理」とは幻想でしかない。そして「真理」を

掴めなかった理性はニヒリズムに陥る。たとえば、宗教は現世にお

けるニヒリズムの克服ではなく来世における救済を説くが、それは

現実のニヒリズムからの「逃避」であって、ニヒリズムそのものは

何もなくならない。つまり、宗教もまた現実逃避のニヒリズムにほ

かならない。では、一体どうすればニヒリズムから抜け出せるか?

ニーチェは、「芸術はニヒリズムに対する卓越した反対運動であり」

、「芸術は真理よりも多くの価値がある」と言い、そして「われわ

れは真理のために没落することがないようにするために、芸術をも

っている」とまで言う。しかし、芸術によって没落からまぬがれた

としても、理性が形而上学的「真理」を掴んでニヒリズムを解消さ

せなければ依然としてニヒリズムは大きな口を開けたまま待ち構え

ている。つまり、理性に従う限りニヒリズムに到るのは避けられな

いとするなら、芸術の優位は形而上学的思惟の敗北宣言にほかなら

ない。ニーチェは、プラトン・アリストテレスから連綿と続く西欧

形而上学の、それは存在の本質を問うことの限界を確認して、理性

による認識の限界を訴え、自らを最後の形而上学者であると名乗っ

た。「芸術は真理よりも多くの価値がある」とは、まさに形而上学

的思惟からの撤退にほかならない。だとすれば、理性からもたらさ

れる科学的認識もまたニヒリズムを解決できないことになり、そも

そもプラトンの「イデア」以来、それに続く「キリスト教世界観」、

そして「科学」もまた、それらはニヒリズムの克服ではなく逃避から

生まれた価値定立でしかなく、つまり、どれほど科学技術が進歩して

も、決してニヒリズムはなくならない。つまり、それらは固定化した

世界認識であり変遷流転する「生成」の世界にそぐわない。たとえば、

世界とは涯てしなく広がる海の上に浮かぶ船のようなものだとすれば

、身を預ける世界という船がどれほど堅固に建造されても、船底の板

子一枚下には理性では計り知れない底なしのニヒリズムが口を開けて

待ち構えているのだ。敢えて言えば、「生きていることは意味がない」

と考えて生きることをやめる者は、理性的には決して間違っていない、

アクマでもだが。   

                         (つづく)


「あほリズム」(515)

2019-06-26 06:51:05 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

           (515)

 

 世界がかくも緊密になり、にもかかわらず国家間対立は解消され

ない時代に、にもかかわらず「戦争放棄」を国是とするには、相当

の覚悟が求められるが・・・。

 

           (516)

 

 変遷流転する生成の世界で〈絶対不変〉である「真理とは幻想

なり」(ニーチェ)だとすれば、〈絶対不変〉の「平和も幻想なら

ざるを得ない」のかもしれない。


「日米安保条約は不平等」

2019-06-25 12:45:51 | 従って、本来の「ブログ」

           「日米安保条約は不平等」

 

 【ワシントン共同】米ブルームバーグ通信は24日、トランプ米

大統領が最近、日米安保条約は不平等だとして、近い人物との私

的な会話で破棄に言及したと報じた。米国だけが日本防衛義務を負

い「一方的だ」と話したという。

https://this.kiji.is/516092549858264161?c=110564226228225532

 

    *           *         *

 孤立主義への回帰を目指すアメリカによって、

そもそも、それは建国以来のアメリカの国策だったが、

「”孤立主義"と言う言葉はアメリカが作ったもの」

(「日本存亡のとき」高坂正堯 著)

日米同盟が転換期を迎えようとしている。

わが国も再軍備化を求める動きが加速するに違いない。

従米主義からの自立を望むなら自主防衛するしかない。

 

 
 
 

ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社) ー④ー

2019-06-23 11:10:21 | ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ,Ⅱ 細谷貞雄 監訳

       ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社)


             ー④ー


 限界に達した近代科学文明に変わる新たな社会の価値定立とは、

ニーチェ=ハイデガーの命題から導けば、まず「生成」としての世

界の価値を見直すことから始めなければならない。つまり、循環回

帰しながら再生する生成の世界へ後戻りすることになる。それは当

然近代科学文明社会からの転換を意味する。ただ、科学技術は産業

革命以来絶え間なく産み出され革新されて今日に至っているので、

科学技術が産み出すすべての価値を投げ棄てて始原へ戻るべきだと

までは思わない。では、生成の世界にそぐわない技術を見直すとす

れば、まず第一に大量の温室効果ガスを排出する化石燃料と循環再

生しない石油製品などが挙げられるが、それらはすでに再生可能エ

ネルギーや自然素材の代替品の開発が急がれていてその方向性は間

違っていないと思う。私は、生成の世界にそぐわない資源から制作

された製品を見直して循環再生する素材に代えていくことや、これ

までの科学技術を改めて自然環境に配慮して再び科学し直すことを

「リサイエンス(Re-science)」と呼ぶ。流動的な「生成」にそぐわ

ない固定的な欠陥技術を、自然循環に適応した技術に「リサイエン

ス」することによって「生成」の世界を再生しなければならない。

ただ、新しい社会的価値を定立するためには、古い価値からの脱却

が求められるが、近代科学文明から脱け出そうとしない西欧社会以

外の国々は、それらはあまりにも国土が広いために科学技術なしに

は統治が成り立たないか、あるいは近代化が遅れて科学技術なしに

は経済発展が見込めない国々だが、ところがわが国はそのどちらで

もないにもかかわらず、新しい社会的価値の設定を模索することも

なく、従米主義の下に従来通りの「欠陥科学」を見直そうとしない

ことに不甲斐なさを禁じ得ない。そもそも環境技術はわが国が最も

得意とする分野であったはずだが、現政権による従米政治が転換を

積極的に推進しようとはしない。

 ところで、新たな社会の価値定立が「生成」の世界、つまり自然

への回帰だとすれば、個人はいったい何を新たな価値として設定す

ればいいのだろうか。もちろん、そんなことは人それぞれが決める

ことだが、ニーチェは、「芸術は真理よりも多くの価値があ」り、

「芸術は力への意志のもっとも透明で熟知の形態である」と言う。

世界とは変遷流転する「生成」であるとすれば、真理を追い求める

科学的認識(理性)は、絶対不変の真理に到達できずにニヒリズムに

陥る。そこでニーチェは、「われわれは真理のために没落すること

がないようにするために、芸術をもっている。」と言う。なぜなら

「芸術とは、芸術家についての拡張された概念によると、あらゆる

存在者の根本的生起である。すなわち存在者は存在するものである

かぎり、自分自身を創造するもの、創造されたものである」からだ

。つまり「芸術はニヒリズムに対する卓越した反対運動である。」

だから、いずれ忘れ去られる固定化した科学的価値(真理)を追い求

めるよりも、自らも「生成」の世界の存在者として、つまり、いず

れ死に至る者として、「生成」の流れの中で「生」に「陶酔」しな

がら生きるには、芸術こそがもっとも価値があるのだ。

                        (つづく)

 


「あほリズム」(514)

2019-06-22 22:21:09 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (514)

 

 かつてわが国は「大東亜共栄圏」の大義の下にアジア諸国を支配

した。そして今、中国は「一帯一路」を掲げてかつてのわが国と同

じことを行おうとしている。

 

            (515)

 

「歴史は繰り返す」とすれば、米中戦争は避けられない。