「偽善」

2008-10-29 17:30:47 | 赤裸の心
「偽善」


 生きることは、生きものの「本能」である。ところが、我々の

「理性」は生きることにも意味を求めようとする。やがて、「理

性」は生きることの意味を、或いは無意味を「本能」に伝えて、

「理性」と「本能」の確執が始まり、或る者は「本能」を棄てよ

うとする。つまり、自殺とは「理性」による「本能」への裏切り

なのだ。何故なら、「本能」は生きることの他はないからだ。

 愛することは、感情であり「本能」である。ところが、我々の

「理性」は愛する感情も思い通りに従わせようとする。やがて、

「理性」は愛によって、争うことの無意味さを「本能」に伝えて

、感情による確執を終わらせようとするが、或る者は逆に憎しみ

を懐く。つまり、愛する感情は「理性」の思い通りには為らない

のだ。何故なら、愛とは「本能」的な感情で「理性」に強いられ

て生まれるものではないからだ。

 イエス・キリストは、争いの絶えない世の中を愛によって救お

うとしたが、強いられた愛は偽善を生むことになる。そもそも、

社会は偽善によって成り立ってはいるが、自己の感情を曲げてば

かりでは自己が失われる。昨今の国旗、国歌の問題にしても、無

理に頭を下げさせても、愛国心が生まれるとは思えない。そもそ

も、日本人が国家を意識するように為ったのは近代になってから

だ。山里で実りを頼りに暮らす者も、町中で金を追い回す商人も

、国とは生まれた地のことで、そのほとんどが国家などとは関わ

らずに一生を終えた。だからと言って愛国心が無かったとは言え

ない事は、先の戦争で命懸けでお国の為に戦った国民を見れば解

るではないか。そもそも、国旗、国歌などと言うのは、侵略を繰

り返した西欧の国家が、異民族を支配する為に作り出されたもの

だ。アメリカの移民が星条旗に敬意を表すのを見て、ほぼ単一民

族で単一言語の我が国が、そこまで西欧の国家を真似なくても良

いではないか。政府の記者会見を見るとアメリカのホワイトハウス

を真似ているとしか思えない。そもそも、自分が生まれた国を愛さ

ない者などいるわけが無い。国民の祝日にさり気なく日章旗を掲

げるのが、慎ましい日本人の愛国心ではないか。キリシタンの踏

み絵のように、国旗、国歌を使って愛国心を強いることは、素直な

大和心に偽善を強いるようなものだ。むしろ、黒船が来るまでは、

日本は世界で唯一の国旗、国歌など気にしなかった国では無か

ったのか?国家意識の啓蒙は理解出来るが、上から強いられる

と、素直に国を愛する心が歪みはしないだろうか?

 国家は人間がいなければ成り立たないが、人間は国家が無くても

存在することが出来る。故に、人間は国家に先行する。


                               (おわり) 

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