「目覚めた獅子 中国」(5)

2019-11-27 07:59:13 | 「目覚めた獅子 中国」

           「目覚めた獅子 中国」

 

             (5)

 ニーチェを敬愛する私は、もちろん実存主義者で無神論者ですが

、ただ、「神」という絶対的な視点を借りて世界を俯瞰することは

とても意義深いことだと思います。「平等」という観念は立体的な

視点から眺めなければ認識できないからです。儒教思想は平面上の

相対的な関係においては箸の上げ下げに至るまで教義を説くが、た

だ「神」は存在しないので「理想《イデア》」については思惟する

ことがなかった。つまり、「平等」だとか「自由」だとかは「理想

」から生れるのであって、現実の社会道徳に執着する儒教道徳から

は決して生れない。そして何よりも大事なことは、キリスト教は社

会から疎外されて苦しんでいる人々に来世での神による救済を説い

て、神の世界(もう一つの世界)こそが真実の世界であると説いた。

現世で恵まれなくても、来世でその魂は永遠に祝福される。こうし

て信仰は信者たちに生き方の重大な選択を迫る。この世界か、或は

「もう一つの世界」か。この選択が信者たちの精神性を高めた。今

を耐え忍んでいつの日にかを誓うことは精神的な行為である。つま

り信仰は信者に精神をもたらした。宗教とは精神なしには一時も存

在し得ないのだ。いや、もっとはっきり言おう、

「宗教とは精神なのだ」

                          (つづく)


「目覚めた獅子 中国」(4)

2019-11-26 08:04:54 | 「目覚めた獅子 中国」

        「目覚めた獅子 中国」


            (4)


 そもそも儒教道徳は権力闘争に明け暮れる権力者が君臣関係を維

持するために庇護したことから広く支持された、謂わば上から押し

付けられた君臣道徳である。以下はまったく私の独断と偏見による

推論であるが、うろ覚えで恐縮だが、作家司馬遼太郎は自著「項羽

と劉邦」の中で、中国の庶民は昔からできるだけ政治に関わらない

ようにして生きてきた、みたいなことを書いていたが、何もそれは

中国社会だけではなく、わが国の武家支配においても同じことで、

武士は刀を帯びて身分の低い者には威圧的で、庶民はできるだけ拘

らないようにして生きていた。今の時代で言うと暴力団に対してで

きるだけ拘らないようにするようなかもしれないが、実際に封建時

代の中国では厳格な儒教道徳の下で道を外した者への懲罰として足

を切り落とすなどの「肉刑」が横行していた。つまり、暴力団が掲

げる「仁義」や「任侠」などといった名分や、或は過ちを償うため

に武士が切腹したりヤクザ者が指を切り落としたりする行為は厳格

な儒教道徳からもたらされた。政治学者の丸山真男は、自著『日本

政治思想史研究』の中で、江戸時代前期の儒学者山崎闇齋が開いた

私塾では、門弟たちはそのリゴリズム(厳格主義)による緊張から講

義を終えて門を出た後はその解放感にしばらく立ち尽くした、みた

いなことを書いていたが、つまり、儒教道徳は人々に身分を弁えさ

せるための「リゴリスティックなヒエラルキー」(丸山真男)こそが

重要であって、真理そのものは第一義ではないのだ。 

                        (つづく)


首相 ローマ教皇と会談

2019-11-26 05:59:06 | 従って、本来の「ブログ」

   首相 ローマ教皇と会談「平和や貧困撲滅で協力拡大を」
               2019年11月25日 22時37分

NHK NEWS WEB

安倍総理大臣は「日本は唯一の戦争被爆国として国際社会の取り組

みを主導していく使命を有している。非核三原則を堅持して被爆の

実相への理解を促進し、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、『

核兵器のない世界』の実現に向け粘り強く尽力していく」と述べま

した。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191125/k10012190901000.html


         *      *      *

 っなら、せめて「核兵器禁止条約」くらい批准すればいいだろ。

言うばっかりで何もできないんだから。

アメリカの言い成りの「アベリカン内閣」だ。

アベノミクス、財政再建、地方再生、拉致問題、北方領土、憲法改正、

何ひとつ変わっていないじゃないか!




「目覚めた獅子 中国」(3)

2019-11-24 23:37:06 | 「目覚めた獅子 中国」

          「目覚めた獅子 中国」


              (3)


 それでは日本はどうかと言えば、何とわが国には「現人神」が御

座します。しかし、そもそも西欧世界で神とは全知全能で当然不老

不死で「一神だけ」ですが、ところが、わが国の神は「万世一系」

の下に世襲することによって「神の死」を凌いできました。そうで

す、わが国の現人神は死ぬのです。それは、一神教の世界からみれ

ばとても神とは呼べない存在に違いありませんが、たぶん天皇とは

神と言うよりは世襲制の身分のようなものかもしれません。世襲制

の身分とは封建社会そのものですが、数多の権力者たちは天皇の地

位を脅かすことがなかった。こうしてわが国は伝統文化の象徴たる

天皇と実権を預かる権力者の二元政治が時代に流されながら盛衰を

繰り返して近代化の夜明けを迎えることになる。さて、ここで私は

天皇論を論ずるつもりは毛頭ありませんので、言いたいことだけを

吐いて逃げ去るつもりですが、ただ、こうして日本には中国とも、

またキリスト教社会のアメリカとも違う独自の支配構造があった。

このことが同じ儒教国でありながら中国・韓国とは異なった道を

拓いた。つまり、身分社会(武家社会)という封建主義に固執する権

力者に代わるもうひとつの道(オルターナティブ)が残されていたこ

とが、天皇(神)の視点から生れる平等社会への転換(明治維新)が図

られ、もちろん紆余曲折は避けられなかったが近代化へと続く道を

拓いた。確か政治学者の丸山真男だったと思うが、民主主義が成立

する前段階として封建国家から絶対主義国家への移行が重要だと言

ったが、つまり、封建体制はどうしても相対主義から抜け出せない

からだと思うが、ところが、まさに日本には社会を3次元的視点か

ら窺う絶対者としての「天皇」が御座したのだ。

 

                       (つづく)