映画「愛と死を見つめて」NHKBSPで放映

2020-11-16 04:50:22 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

  映画「愛と死を見つめて」NHK BSプレミアムで放映
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=26347


 映画「愛と死を見つめて」(1964年)がNHKBSプレミアム

11月17日午後1時に放映されます。NHKBSプレミアムは

有料放送なので残念ながら私は観られませんが、でも以前にユ―チ

ューブに投稿されていて、涙を流しながら観た記憶はあります。そ

の数週間後にもう一度観ようと思って検索してもすでに削除されて

いました。いま思い出したのですが、その映画の中で、顔面の半分

をガ―ゼで覆った主人公(ミコ)が病院のベッドに仰向けに寝ている

映像の上に彼女が作った短歌が映し出された。

「実験に飼い置かれし犬の声 病舎にひびきて夜寒身にしむ」
                        大島みち子著「若きいのちの日記」より

 その時、私は「あっ!」と思った。実は、彼女が入院していた頃

ではなくずーっと後ですが、私は同じ病院で動物実験の担当を任さ

れていたからです。彼女が入院していた病棟の屋上には実験用の犬

舎が並んでいて、夜になると術後の犬たちが寒さに耐え兼ねて一斉

に悲痛な咆哮を繰り返していました。もっと本当のことを言えば、

術後環境が悪いためにほとんどの犬が犬舎の中で死んでしまいまし

た。今ではとても許されないことですが、まさに「犬死」です。そ

れは問題だと言う人もあるかもしれませんが、たとえば映画の中で、

彼女の治療を担当する主治医が、病室に居る彼女の前で治療方法を

説明する際に、堂々と煙草を吸うシーンがあって、今ではまったく

認められないことですが、このように社会的な良識は時代と共に移

り変わるもので、過去の出来事を現代の良識で裁くことは大きな過

ちをもたらします。その後、犬舎は間もなくして近所からも悪臭の

苦情が殺到して撤去されました。ただ、それから私は彼女が近しく

思えて、彼女と恋人との交換日記が本になった「愛と死をみつめて」

を改めて読み、そしてこのブログにその想いを記しました。

https://blog.goo.ne.jp/wser8ucks4atwg/c/00e4bf6ce4b1b741067821e2e81b16dd

 なお、市街地にあった病院はその後、全施設が郊外へ移設され

ました。

 

「内容」NHK PRより

主演吉永小百合、共演浜田光夫の名コンビが、難病に侵された少女
ミコと彼女の心の支えとなる青年マコとの純愛を、実在の恋人同士
の書簡集をもとに映画化した涙と感動のドラマ。浪人中の誠は入院
した病院で出会った、可憐(かれん)で清純な道子に一目ぼれする
。しかし、2年後に再会した時も道子は病院生活を送っていた。2
人は文通を続けながら、お互いの思いを確かめ合っていくが…。同
題曲「愛と死をみつめて」も大ヒットした。


「七日間」と「健康な日を三日ください」の追記

2019-09-22 11:05:03 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

     「七日間」と「健康な日を三日ください」の追記

 

 難病の苦しみと闘う若い女性と、彼女を励ます男性の文通を書籍

化した「愛と死をみつめて」(大島みち子・河野実共著 大和書房)

は、160万部を売り上げる大ヒットを記録し(1964年)、女優吉

永小百合が主人公役を買って出て映画化もされ、すると、当時駈け

出しの音楽プロデューサーだった酒井政利氏は、その反響の大きさ

に目を付けてレコード「愛と死をみつめて」(作詞:大矢弘子、作

曲:土田啓四郎、唄:青山和子 )を制作した。レコードはミリオン

セラーを記録しその年のレコード大賞を受賞した。酒井氏はその後

数々のヒット曲を世に送り出して敏腕プロデューサーとして知られ

ている。

 年を経て、いま新たにガンとの闘病の末に亡くなった愛妻が書き

残した詩を、夫が新聞の投稿欄に送り、それが読者の感動を呼び、

テレビで取り上げられ、書籍化され、更にシャンソン歌手クミコに

よってレコード化もされた。大島みち子さんが書き残した詩「健康

な日を三日ください」からすでに50年以上経っているので、たぶ

んその類似性は問われないにしても、とは言えそれにはまったく触

れられないのはおかしい、と思っていたら、そのレコードを制作し

たのも、驚いたことにまたあの酒井政利氏ではないか。この手の死

別噺しで二匹目のドジョウを狙っているのかもしれないが、酒井氏

が歌詞の類似性に言及しないでいけしゃあしゃあと発表することは

なんか白々しい。

 


「七日間」と「健康な日を三日ください」

2019-09-19 12:52:35 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

      「七日間」と「健康な日を三日ください」

 

 朝日新聞の「声」欄へ投稿された「七日間」という詩が多くの

読者に感動を与えて、メディアにも取り上げられて本にもなった

『妻が願った最後の「七日間」』(宮本英司著サンマーク出版)で

すが、別にイチャモンをつけるつもりは全くありませんが、かつ

て、顔面の軟骨肉腫に冒され左半分を切除した若い女性とその恋

人の文通が書籍化されて読者の感動を呼び、また吉永小百合が主

人公になって映画化もされ、そして歌も大ヒットした「愛と死を

みつめて」の大島みち子さんが残した「若きいのちの日記」(大島

みち子著だいわ文庫)に、まさに似たような詩が残されています。

以下は大島みち子さんが日記に残した「健康な日を三日ください」

です。彼女はこの詩を記した四カ月後の1963年8月7日永眠し

ました、21歳でした。

         *        *       *

病院の外に健康な日を三日ください

一日目、
私は故郷に飛んで帰りましょう。
そしておじいちゃんの肩をたたいて、 
それから母と台所に立ちましょう。 
おいしいサラダを作って、
父に熱燗を一本つけて、
妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。

二日目、
私は あなたの所へ飛んで行きたい。
あなたと遊びたいなんて言いません。 
お部屋をお掃除してあげて、 
ワイシャツにアイロンを かけてあげて、 
おいしいお料理を作ってあげたいの。 
そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。

三日目、
私は一人ぽっちで 思い出と遊びます。 
そして静かに一日が過ぎたら、
三日間の健康をありがとうと
笑って永遠の眠りにつきます。

「若きいのちの日記」(大島みち子著だいわ文庫)

         *      *      *

いかがです?パクッたとまでは言いませんが、彼女の詩にまったく

触れずに発表するのは何か修まりが悪い気がしてならないのですが。

 

 

 


「みたび『愛と死を見つめて』を見つめて」

2017-09-05 08:18:38 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

 


      「みたび『愛と死を見つめて』を見つめて」


 「愛と死を見つめて」の記事を載せながら、実は本も映画も観たこと

がなかったのですが、映画だけはYouTubeで観れたけれど、このたび

ネットで古本を取り寄せて読みました。大島みち子さんと河野実さんの

文通を纏めた「愛と死を見つめて」と彼女が書き遺した「若き命の日記

」です。と言うのも、前にも書きましたが、どうしても大島みち子さん

のことが頭から離れないのでもっと知りたいと思ったからです。軟骨肉

腫という難病に冒されて、進行を止めなければもう助からないと知りな

がら、再発を防ぐために顔の半分を切除したにもかかわらず、若い命に

巣くった病魔の進行をくい止めることができずにやがて再発する。彼氏

である河野実さんの強い考えから嘘や隠し事はやめようと決めて、死を

覚悟したふたりの手紙は揺れ動く感情が赤裸々に綴られている。われわ

れは日常生活の中で他愛のない話をしていても、相手の人が余命幾ばく

もないことを知りながら日常の会話を交わすことはまずない。そもそも

そんな非日常的な事実を知れば日常の会話は成り立たない。日常生活は

誰もが「いつまでも生きている」という前提の上で成り立つ。確か彼女

も本のどこかで、主治医から両親だったかと一緒に今後の治療方針を聴

く場面で、誰もが治る見込みのないことを知りながら、それには一切触

れずに話を聴いていることの不思議を記していた。彼女の死が避けられ

ないと判った後のふたりの手紙は、残された時間の中で残酷な現実に向

き合いながら、日常を取り戻そうとする思いと、非日常をどう受け止め

ればいいのかの間で交錯する。ふたりは愛で繋がっていても死の影は彼

女にだけ忍び寄る。死を悟った彼女には愛しか残されていない。そして

彼女の死はやがてふたりの愛を引き裂く。彼女は命とともに愛も失う。

いっぽう彼の方は愛を失っても命は残る。やがて彼女の死によって愛を

繋ぐことは出来なくなる。限られた愛の行方の選択を委ねられたのは彼

の方だ。彼女は何度も自分のことを忘れて新しい人生を手にして欲しい

と願う。が、彼は生きることを諦めないで欲しいと訴える。生きている

限り愛は続くからだ。しかし、彼女の余命は尽きて彼の愛に見守られな

がら息を引き取る。それは「愛は死を乗り越えられるか」それとも「死

は愛を引き裂くか」の瀬戸際のやり取りだった。もしも「命は愛に先行

する」とすれば、彼女の死によって二人の愛は終わったことになるが、

しかし「愛は死に先行する」とすれば、たぶん二人の愛は永遠に終わる

ことはないだろう。

                           (おわり)


「『愛と死を見つめて』を見つめて」②

2017-08-29 05:27:14 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

    「『愛と死を見つめて』を見つめて」②


 吉永小百合主演の「愛と死を見つめて」の映画を観てから、当時

21才の若さで亡くなられた大島みち子さんのことが頭から離れな

い。どれほど無念だったかと思うとやり切れなくなる。

 彼女は軟骨肉腫という難病に冒されて、ついに転移を防ぐために

うら若き女性が顔半分を切除する手術を受ける決断をする。しかし、

それでも進行は止まず、やがて自らの死を悟って、独り病室のベッド

の上に仰臥して暗闇を見つめながら涙を流すシーンが脳裏に浮かんで

きて離れない。

 映画では、彼女は思い描いていた将来の夢を病気によって断たれ、

改めて社会の役に立ちたいという思いから、快復後は医療ソーシャル

ワーカーになる決心した。そこで身近にいる入院患者の身の回りの世

話を進んでやりはじめる。ところが、それを勘違いして妬む者から酷

い中傷を受ける。余命宣告を知らされた上に、少しでも社会の為に生

きたいという意志までも挫かれた彼女は、自らの死を見つめるしかな

かった。そして、

「生きてる意味がない!」

たぶん彼女もそんな自答を繰り返したのかもしれない。しかし、我々

が求める生きる意味とは社会的な意味でしかない。そして社会的な意

味というのは相対的な価値でしかない。そんなものはすぐに移ろう。

そもそも命の価値を社会的価値によって判断するのは倒錯である。サ

ルトル流に言うなら「命は社会に先行する」のだ。彼女は何度も死ぬ

ことを考えながら、それでも病の苦しみと闘いながら余命を最後まで

生きた。そして彼女が自らの死を見つめて書き遺したことばは多くの

命に届いて社会に大きな感動を与えた。つまり、彼女が自らの死を見

つめて最後まで生きたことは、決して「意味のない」余命ではなかっ

た。

 あなたは私の頭の中でまだ生きてます。