「あほリズム」(83)~(92)

2010-11-19 04:34:33 | アフォリズム(箴言)ではありません
        「あほリズム」


          (83)


 希望とは絶望からの逃避によって生まれるのではない、絶望を転

換させることによって生まれる。



          (84)


 絶望は希望を持つことから生まれる。 


           (85)


 だから、希望は絶望の中に隠れている。きっと、


           (86)

 つまり、絶望から逃避することは同時に希望から遠ざかることになる。



           (87)


「さあ、希望について語ろう!」

つまり、我々の絶望について語ろう。



           (87)

「人は幸福に為るために生きている」と言う人がいるが、もしそう

だとすれば、まず先に人の幸福があってその後に人が生まれてくる

ことになって順番がおかしい。つまり、「人は生きている限り幸福

になることを望む」でなければならない。


            (88)

 それでは、「人は何の為に生きているのか」といえば、まさにそ

の「何」を求めて生きているのだ。つまり、「人は『何』の為に生

きている」のだ。


            (89)


 トルストイは「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭は

いずれもそれぞれに不幸なものである」と言ったが、実は、傍目か

ら窺う他人の幸福ほど怪しいものはない。何故なら人は不幸を隠し

て幸福を装うからだ。


            (90)


 例えば言葉を入れ替えて「不幸な家庭はどれも似たようなものだ

が、幸福な家庭はいずれもそれぞれに幸福なものである」と言い換

えても強(あなが)ち間違っているとは思えない。つまり、人の幸不

幸は他人が決めることは出来ないのだ。



             (91)

 東京のホームレスと南アフリカ・ヨハネスブルグのホームレスと

はどちらが不幸か、などと比べても一概には答えられないように、

というのは豊かさの中の貧しさ(孤独)と貧しさの中の豊かさ(共生)

は比べることが出来ないから、同じように幸福も「どれも似たよう

なもの」ではない。


             (92)


 幸福とは不幸からの逃避によって生まれるのではない、不幸を転

換させることによって生まれる。




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「あほリズム」(78)~

2010-11-02 03:55:27 | アフォリズム(箴言)ではありません
          「あほリズム」


            (78)


 独居老人の「孤独死」が社会問題になっている。しかし、果たし

て孤独で無い「死」などがあるだろうか?如何なる「死」も孤独で

はないか?縦(よ)しんば、古(いにしえ)の王のように側近たちを

道連れに殉死させたとしても自らの「孤独」から遁れられるわけで

はない。ただ死際だけを他人が看取ったからといってその老人の

孤独が癒されるとは思えない。逆にそのことの方が孤独な人生を

浮かび上がらせはしないだろうか。老人は孤独に死んだのではな

い、自分の孤独を生きてきたのだ。



               (79)


 社会は人の「死」まで穢してはならない。何故なら、「死」こそは

我々に残された唯一の孤独なのだ。



               (80)


 たとえ70億の人々に惜しまれながら命を絶えたとしても、或は、崖から

滑り落ちて独り山中で息絶えたとしても、私自身にとっては同じ「死」であ

る。


               (81)


 「死」 とは我々が生きていて唯一自分に起ると確信できるもの


              

               (82)


 我々は社会からばかり「死」を見ていて自分自身の目で自分の

「死」を見ようとしない。


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