(六十六)

2012-07-11 09:18:04 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十六
                       (六十六)



 バロックからメールがきた。

「連絡せんとゴメン 元気? 

 事情あって路上しばらく止める」

「えっ!どうしたの?」

 彼の「みちのおく」双六は、コマを進めて三つ目の県に入って

いた。彼はそこで初老の男と知り合いになったらしい。、いつも

通りに繁華街の近くでギターを弾いていると、バックを肩に掛け

た身なりの怪しいその男がやって来た。その男は、年の割には長

く伸びた白髪が黒髪を征服していて、メガネを真ん中で折ったそ

の片方だけを右目に掛け、耳に掛かる縁をこめかみにガムテープ

で止めていた。すぐに浮浪者と思ったが、夏目漱石の旧千円札を

差し出して、最近の歌を聞かしてくれと言った。バロックが最近

の歌は弾けないと素っ気なく言うと、その男は、それでは何でも

いいと言うので、彼はボブ・ディランを歌った。バロックの前で

蹲って静かに聴いていた男は、よっぽど懐かしかったのか、やが

てバロックと一緒になって唄い始めた。バロックにとってもその

場所はその日が始めてで、その男以外に人がさっぱり寄らなかっ

た。いや、その男の所為で寄らなかった。次第に打ち解けて何度

か言葉を交わすうちに、その男も関西出身だと判った。

「おっちゃん、メガネの片方を忘れてるよ。」

「あっ!これっ、ちゃうねん。」

その男は若い頃からメガネを掛けていたが、片方の目が網膜剥離

で見えなくなった。仕方が無いので病院へ行くと、すぐに手術す

ることになって完治したが、その眼の視力だけが良く為ってしま

い、メガネが要らなくなったので折ってしまった、というのだ。

バロックは、話しをしている内にそのヘンテコな男が気に入った

らしい。

 その男は、バブル絶頂の大阪で、土地で思わぬ大金を手にした

と言う。その後も銀行が勧める投資話の皮算用に欲が騒いだが、

誰もが仕事そっちのけで投機に血眼になり、荒っぽい地上げのニ

ュースを見て、大手銀行の頭取が「過去の脛傷は問わない」と発

言したのを聞いて、まるで、悪徳高利貸しが極道と組んで、無辜

の人々の土地を二束三文で立ち退かせて儲けようとするヤクザ

映画のような話しに憤慨し、誇りを失った浪速商人の性根に失望

した。人情に厚い浪速の庶民文化は終わった。彼は、彼のカネを

目当てに集ってくる者から逃げる為に、勤めていた電気会社も辞

めて大阪を棄てた。

「こんなとこまで?」

「嫁さんの里やったんや。」

そこで、しばらくは何もせずに日がな渓流釣りで遊んでいる時、

川の流れを見ていて水力発電機を作ろうと思ったらしい。初めは

船外機を転用した簡単なものだったが思いのほか上手くいった。

しかし、船外機のスクリューでは限界が見えていた。彼は、一般

家庭の電力消費を賄える発電機を考えていた。そこで、研究を重

ねて大体の青写真は描けたが、ところが、それを実際に作るとな

ると様々なデッドロックが待ち構えていた。そこで彼は、奥さん

には何の相談もせずに、先の暮らしの為に蓄えてあった貯蓄を崩

して、山の中の渓流の傍に工場を造ってしまった。怒った奥さん

は呆れ果てて彼をおいて家を出た。それでも彼の発電機への熱意

は冷めず、実験と失敗を繰り返して、ついにコンパクトにして能

力の優れた水力発電機の試作品が出来た。それ一台で一家の電気

が全て賄える訳にはいかないが、それでも既存の発電機の二倍以

上の発電能力があると言う。彼は工場の側の畑で自給自足の暮ら

しをしながら、ほとんど工場に籠っていたが、今日はメガネを作

る為に久し振りに街に出て来た。

「ヘ―っ、すごいな!ちょっと見てみたい。」

バロックの何気ない言葉が、その男の、人に見せたい思いと繋が

ってしまった。

「見る?」

「えっ!ええっ?」

「見てくれる!」

「ああっ、いいですよ。」

この「いいですよ」は「結構です」という意味なのか「承知しま

した」なのか判然としなかった。それで結局、バロックはその男

が作った発電機を見に行くことに為った。その時はそんな山の中

だとは夢にも思ってもいなかったのだが、人里離れた工場へ連れ

て行かれた。

                     (つづく)

(六十七)

2012-07-11 09:17:11 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十六
                (六十七)

バロックは、そう遠くない日のカタストロフィー(破局)を信じて止ま

なかった。その原因は、日本にとってはやはり中国だった。そも

そも、13億を超える人口を抱える国が、上手く近代化を成し遂

げられる訳が無い。いずれ持つ者と持たざる者の階級闘争が、中

国共産党が支配する共産主義の国で起こるだろう。そうなれば日

本にも少なからず影響が及ぶと言うのだ。

「十三億やで!十三億!」

来るべきカタストロフィーに備えて、と言う訳ではないだろうが

、彼は街を棄て疎開した。地球上の全ての人々が文明の恩恵に浴

して、空調の効いた明るい部屋で、テレビを見ながら、いつまで

も笑っていられたら何の問題も無いかもしれないが、そんな事に

なったら地球はミラーボールの様に輝いて破裂するに違いない。

地球というパイに67億もの人間が豊かさを求めて群がっている

のだ。人間は地球に寄生して生きているのだから、地球が育む豊

かさを超えて人間が繁栄する筈がない。いずれ地球が破裂するか

、67億人で豊かさの奪い合いの果てに・・・。

「67億やで!67億!」と言いたい。

地球の未来を憂いながら、バロックは、身についた豊かさをダイ

エットしようとしていたのかもしれない。

「世界はリセットしようとしている」、バロックはそう言った。
 
 片方だけのメガネをガムテープで止めた男は、バロックを自分

の軽トラの助手席に乗せてクラッチを繋いだ。バロックは仕方な

く付き合った。それというのも10分も走れば繁華街を抜けて、

すぐに長閑な田園が広がる小さな街だったので「直ぐ着くと思っ

た。」からだ。

「まだ?」

「もうちょっと!」

彼は三回もその質問をしたが、遠くに見えていた山並みの麓のト

ンネルを抜けてからはもう聞かなくなった。「まだ国境は越えて

ないようだった。」軽トラは車一台分の山肌を削った先の見えな

い道を、スピードを落とさずに走り抜けた。やがて、少し開けた

川沿いの二車線の道路を、対向車とすれ違うことなく飛ばして、

川を跨ぐ橋の手前で止まった。「やっと着いた!」と思ったら、

その男は、

「ここからちょっと歩かなあかんのや。」

「えっ!」

「ほらっ、橋が落ちとるやろ。」

見ると、確かに崩れ落ちた橋脚の先は、垂れ下がった橋が途中で

途切れていて、知らずに走ればこの川が三途の川に為っていた。

車を加速してジャンプさせれば、上手く行けば対岸に届くかもしれ

ない程の川幅だったが、今までの勢いで飛ばせば気付かずに渡

れたかもしれなかった。仕方が無いので彼に従い、川岸まで下り

て二本の丸太を渡しただけの橋を超えてから、「なんとっ!そこか

ら小一時間も歩かされた!」らしい。

 渓流を遡り、けもの道を断り無く借りて、歩きに歩いて、その男が

「着いた!」と言ったところは、正に廃村だった。

「そらそうやわ、いまどき車も入れん処に誰も住まんわな。」

 バロックの「みちのおく」を辿る一人旅は文字通りのものにな

ったようだ。

「分け入っても分け入っても青い山 山頭火(借句)バロック」

 

その男に連れて行かれた工場は、工場といっても50㎡足らず

の小さなプレハブであったが、「九月」雨を集めて速く流れる渓

流の側にあった。渓谷を荒々しく駆け下った水は、そこでは一息

吐いてべルトコンベヤーで運ばれるように規則正しく流れていた

。バロックは思わず聞いた。

「なんでこんな山奥なん?」

彼も、初めはもちろん人里近くで暮らしていた。そこでは、彼の

ような余所者が、代々受け継いできた用水路や水利権の約束

事を知らずに、道楽半分で、(土地の者にはそう映るのだ)農業

をやりたいと言っても簡単には受け入れてもらえない。田畑を潤

す潅漑用水は、彼等の祖先が苦しみながら子孫に残してきた大切

な財産なのだ。それを知らずに都会暮らしの人間関係に厭いた

からといって安易にIターンしても、そこにはまた同じ人間がいて、

疎んじられて仕方なくV字ターンをして引き返す者も少なくない。

山村はすでに限界集落となって、どうすれば若い者を増やせる

かと悩みながらも、意に添わない余所者に対しては依然として

排他的なのだ。余所者を異端視するのは何も都会だけの事で

はない。更に、彼は勝手に用水路に発電機を沈め、その発電

機が流されて水路を破壊し、水の流れを止めてしまってからは

、正に「村八分」にされてしまった。

「もう、それ以上居れんようになったんや。」

そこで、その男は意を決して、人に関わらずに発電機の開発

に没頭する為に、人里離れた山の中へ移って来たのだ。

                              (つづく)

(六十八)

2012-07-11 09:16:22 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十六
               (六十八)



 バロックはその男に従って工場に入った。そこは、昼間だとい

うのに蛍光灯が眩しいほど点いていた。

「あれ、電気来てるの?」

部屋の明かりは全てその男が作った発電機によって賄われていた

。電気代が掛からないので消す必要がなかった。

「すごいじゃん!」

そう言いながら中へ進むと、奥に若い女性が居た。バロックはそ

んな所に若い女性が居るとは思ってもいなかったので立ち竦んで

居ると、すぐにその男が間に割って入って、「私の娘です。」と

言った。そう言われて見ると、確かにその男に良く似ていた。二十

歳前後だと思ったが、何れにせよこんな所で暮らして居ては、学

校にせよ仕事にせよ通える訳がなかった。

「ちょっと、身体が弱くてね。」

彼女は「化学物質過敏症」という、最近に為って判明した原因の

判然としない疾病で、文字通り化学物質に過敏に反応して、様々

な症状を引き起こすらしい。文明社会で暮らす患者にとっては実

に切実な問題で、彼等は都会では、極端な話しでは無く、空気も

吸えないし水も飲めない、何故なら大気は化学物質で汚染され、

水道の水は塩素消毒されているから、つまり生きることが出来な

いのだ。

 余談では有るが、と前置きしてバロックが言うには、水の都の

大阪は、淀川から水道水を取水しているが、その取水口の直ぐ上

流に(多分200mくらい先に)京都の下水処理場の排出口があ

って、大阪の者は京都人のションベンを飲んでいるって有名だっ

たという。事実、夏場などはカルキ臭くてとても飲めなかったら

しい。

 彼女の父親が言った、

「実は、ここに越して来たんはこの娘の為でもあるんや。」

バロックは、それを聞いて、こんな山の中へ来るに至った理

由の中で、最も先行させた理由に違いないと思った。私はと

言えば、バロックが私に説明する為に「シックハウス」と言っ

た時、「ホームシックのこと?」と聞き返したくらい何も知らな

かった。

「へえー、深刻だね。」

それでもその男は「私は娘に救われた。」と言った。もし、その

まま大阪に居てバブルに浮かれていたら、恐らく何もかも失って

いただろう。生まれたばかりの児が全身を覆うアトピー性皮膚炎

に蝕まれ、赤く腫れた身体で母親に泣き叫び、母親も涙を流して

訴えった時、彼は狼狽えながらも仕事を辞めて大阪を出ようと決

心したらしい。

 バロックは、その娘が見せる訝し気な表情が、症状がもたらす

過敏な神経によるものなのか、それとも、来る者などある筈の無

い山の中に、突然侵入して来た者に驚いたのか解らなかったが、

彼女のよそよそしさも仕方がないと思った。

                                 (つづく)

(六十九)

2012-07-11 09:15:26 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十六
                (六十九)

 バロックは、その男が作った発電機を見せてもらった。

「すごいよ!」

そう言って写メを寄こした。それは、横から見ればほぼ三角形で

、長い一辺を底に置かれていた。正面から見ると恐らく水を取り

込む吸水口と思われるが、横に広がった口が三角形のもう一辺に

沿って上を向いていた。バロックの説明に依ると、その中でター

ビンが回り発電も出来るらしい。今はタービンのトルクを上げる

為に、発電機の中の水の流れを如何にスムーズにするか研究して

いるという。方丈記ではないが、行く川の水の流れは絶えずして

、しかも本の水にあらずで、雨が降れば水流が増し、塵が流れて

詰まる。降らなければ水流が減り、電気が流れずに困る。様々な

条件の下でも安定した発電を得ることはそう簡単ではないらしい

。それは、夜は発電しない太陽発電だったり、風が吹かなければ

回らない風力発電も、スローエネルギー(そう呼ぶらしい)につ

いて回るモドカシサではあるが、我々はそういうモドカシサをも

う一度取り戻すべきではないだろうか、とバロックは言った。

「まるで生命維持のチューブを外してベットから立ち上がった末

期患者のような清々しさを感じたわ。」

私はかつてホームレスで散々モドカシイ思いをしたので、素直に

共感は出来なかったが、何となく言いたいことは解った。確かに

文明社会は我々のモドカシサを解消してくれるが、それと引き換

えに、我々はこの安穏な檻から抜け出せなくなって、ついには愛

や勇気や誇りといった人間性が、もどかしくなってはいないだろう

か。

 こうして、仕方なく連れて行かれたバロックは、しばらくそこに

留まることを決めたのだ。もちろんK帯は圏外で、全く連絡が取れ

なくなって、私は随分モドカシイ思いをした。

                               (つづく)

(七十)

2012-07-11 09:14:27 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(六十六
                    (七十)



 師走に入って初雪のニュースを聞く頃になると、ホームレスと

して年越しを迎えた日のことが甦ってくる。更に今年のように、

百年に一度の大恐慌だなどと脅されると、逃れられない籠に入れ

られたまま水中に浸けられるネズミのようで、不安に苛まれて寝付

けぬ夜が続く。大体、不安を煽る情報ばかりが流されて、だからこ

うして乗り越えましょう、という具体的な政策が無ければ、絶望に洗

脳された者が自暴自棄になって自殺や犯罪に向かうのではないか。

「そうだ!新しい寝袋を買っておこう。」

越冬を余儀なくされたホームレスにとって寝袋は必需品である。

もしも、部屋を追い出されて野宿でしか寝場所に恵まれなかった

としたら、数週間分の飯代を削っても寝袋だけは手に入れておく

べきだ。寝ることが確保されれば、日本ではホームレスの為に、

食料の4分の1が捨てられていると言うから、理性を棄てることが

出来れば、それを拾うことも出来る。この理性を棄てて生きること

が大事である。何故なら我々の理性は生きる為の手段にすぎな

いからだ。ところが、本能は生きることこそが目的なのだ。本能

は理性のように生きることで迷わない。ただひたすら生きようとす

る。ホームレスの様な逆境に陥ったら本能に従え!それでも理性

が退屈するなら、社会生活ではとても読んでられない飛びっきり

難解な本を宛がってやるのだ。そうすれば退屈から詰らぬ考えを

起こさなくて済む。私はニーチェを読んでいた。その時何を言って

いるのかサッパリ解らなくても、幸いなことにそのことについて考

える時間はタップリ有る。私は路上を彷徨いながら、毎日のように

「永劫回帰」のついて考えていた。しかし、何度考えても理解出来

ず、また始めに戻って読んでいると、ある時、「これこそが永劫回

帰ではないか!」と思った。こうして突然、自分なりに理解できた

りすることもあるのだ。例えば、

「生きるとはなんのことか…生きるとは…死にかけているようなも

のを、絶えず自分から突き放していくことである。」

                 ニーチェ 「華やかな知識」

 これこそが我々の本能ではないのか。本能に「死」など存在し

ない。「死」を提案するのは万策尽きて本能に従えなくなった理

性の奴だ。「もう少し楽になりたい」と本能が告げる。すると理

性が「死ねば楽になれますが」と囁く。驚いた本能は「苦しくと

も生きよう」とする。もしも、生きることに意味が無いとすれば、

同じ理由によって死ぬことにも意味など無い。我々はあまりに

も頭だけで世界を理解してはいないだろうか?血は肉体の外

へ出されても傷口を塞ごうとする。我々の身体は血の一滴と

言えども生きる為にあるのだ。生きることに迷ったら肉体に返

れ!安楽が死の傍らに在るとすれば、苦しさこそが生きるこ

との実感ではないか。生きるとは苦しさに耐えることなのだ。

死にかけているようなものを、絶えず自分から突き放していく

ことである。それでは、

「死ぬとはなんのことか…死ぬとは…生きようとするものを、

絶えず自分から突き放していくことである。」

 安らぐ場所さえ無くさまよえるホームレス諸君!君たちに

は生きる自由が在る。それは建国によって与えられた権利な

どではなく、全ての生きるものにあるものだ。縦んば(よし

んば)、空腹のあまり一斤のパンに魔が差したとしても自分

自身を見捨ててはいけない。それは仕方の無いことだ。生き

る為に理性を失ったとしても、それはどうしようもないこと

なんだ。何故なら、君には生きる自由があるんだから。

                      (つづく)