「二元論」(17)のつづきの続き

2021-08-30 03:39:14 | 「二元論」

    「二元論」


     (17)のつづきの続き


 ただ、初期のハイデガーは〈現存在が存在を規定する〉と考えて

いたが、それは唯一人間だけが世界を了解することができるのだか

ら、「人間が世界を規定する」、つまり主体である人間が〈本来的

時間性〉の下で世界を作り変えることは許されると考えていたが、

〈思索の転回〉の後は「存在という視点の設定が現存在(人間)に先

立つと考えてもいた。」(木田元 著「ハイデガーの思想」)つまり、

〈存在が現存在(人間)を規定する〉と考えを改めるようになった。

〈世界=内=存在〉としての人間は・・・あれっ、何だっけ?

             また酔ってしまったので(つづく)


「二元論」(17)のつづき

2021-08-29 08:21:45 | 「二元論」

    「二元論」

 

     (17)のつづき


 〈存在が現存在(人間)を規定する〉のか、それとも〈現存在(人

間)が存在を規定する〉のかの二元論は、つまり人間とは、世界に

依存する〈世界=内=存在〉なのか、それとも人間こそが世界の中

心的存在であって自立するために世界を作り変えること(利用する

こと)が許された存在なのか、のどちらが優先するのかに理性的根拠

はない。われわれはただ世界(自然)を制作のための単なる材料・資料

として扱うことによって地球環境が生存に好ましくない変化をもたら

した結果だけから、つまり「事実存在」から「まずいんじゃないの」

と思っているだけで、しかしそれは生存環境が改まればあっさり忘れ

去られることで、なんら本質的な存在概念とは言えない。つまり、わ

れわれは世界が行き詰まりに達したからといって人間中心主義的世界

観を決して改めようとは思わないだろう。それはまさに2015年に

国連が全会一致で採択したSDGs 「Sustainable Development Goals

(持続可能な開発目標)」 に関することで、そこでは〈世界=内=存在〉

として世界に依存する人間と、人間中心主義的世界観の下に自立を掲げ

る近代人の背反する二律を目標に掲げている。しかし、私は決してSD

Gsを批判しているつもりはない、むしろ、それどころか〈存在=生成

=自然〉という存在概念の下では可変的なこういう「どっち付かず」の

あり方こそが〈生成〉的な展望ではないかとさえ思っている。確信的な

理性的根拠が存在しない二元論の下では「真理とは幻想である」(ニーチ

ェ)のだから。

 

                         (つづく)

 


「あほリズム」(853)

2021-08-26 20:02:10 | アフォリズム(箴言)ではありません

  「あほリズム」

 

   (853)

 

 コロナ時代の新しい告白のことば

 「君のマスクになりたい」

 

    (854)

 

 いまや恋人同士がしているマスクを愛の証として交換すること

が流行っているらしい。恋人がしていたマスクを付けると呼吸す

るたびに愛しい人の匂いがして満腔(まんこう)の陶酔が得られる。

(これ、もちろんフェイクです。)

 


「あほリズム」 (852) 再

2021-08-23 17:35:05 | アフォリズム(箴言)ではありません

   「あほリズム」

 

     (852) 再

 

 もはや新型コロナウイルスのパンデミックを終息させるためにワ

クチンによる集団免疫を目指すよりも、いっそのこと全国民が感染

してしまった方が手っ取り早くないか。

 そこで一句、

 コロナウイルス みんなで伝染(うつ)れば 怖くない   ケケロ

 つまり、ゾンビの世界にゾンビはいない。

 

 

 


「二元論」 (17)

2021-08-23 08:09:53 | 「二元論」

     「二元論」


     (17)


 かつてハイデガーを「思索の転回」に陥れた「二元論」は、存在

を「本質存在」と「事実存在」とに二分して思考する「形而上学」

によってもたらされた。それは「存在とは何か?」と問うソクラテ

スを師と仰ぐプラトン・アリストテレスから始まって、プラトンの

「イデア論」は中世西洋では真の世界と仮象の世界に二分する二世

界論と呼ばれるキリスト教世界観、そして近代になると形而上学的

二元論は科学主義をもたらした。