「明けない夜」(十)

2017-08-23 09:05:53 | 「明けない夜」10~⑨

             「明けない夜」

              (十)


 年明けにも仕事を辞めるつもりだったが、会社は、正月はイベント

の警備員や駐車場の誘導員の依頼が殺到していて人手不足なので二月

まで待ってほしいと言うのでそうすることにした。

 新年早々からメディアはテロ組織の犯行による痛ましい事件や民族

対立による紛争を伝えているが、それらは「世界限界論」の下で新天

地を失くした資本主義経済が新たな市場を求めて進出したことによっ

てもたらされる拒絶反応である。近代化(西欧化)によって伝統文化が

廃れ民族アイデンティティーを否定された人々が原理主義へと回帰す

るのは何も他国だけの話ではなく、かつて我が国に於いても欧米列強

に開国を迫られた幕末には攘夷運動が起こって原理主義(天皇制)への

回帰が叫ばれ暗殺テロが横行し対立は激化して内乱へと拡大した。つ

まり、来し方を振り返ればわれわれの覚えのない世界のことだとばか

りは言えない。ただ、わが国にとって幸いにも産業近代化の波は起

こったばかりの時期だったことと、多くの識者が指摘するように、

単一民族として統治されていたことや農耕社会で築かれたその国民性

によって器用に転換を果たして、もちろん幾つかの波乱はあったが維

新を成し遂げた。しかし、たとえ国家体制を即席で近代化(西欧化)さ

せたとしても、伝統文化を拠りどころにした民族アイデンティティー

は途絶えることなく深層を潜って流れ、時を経て湧水のように噴出し

て西欧文化に対するコンプレックスが民族意識を甦らせ原理主義へと

回帰させ対米戦争へと向かわせた。そして更に付け加えるならば、近

年になってかつて侵略した近隣国の台頭による危機感から三度、あた

かも何らかの周期性が潜んでいるのかもしれないと勘繰ってしまうま

さにこの時期に原理主義への回帰が湧き上がっている。こうして見る

と、ただイスラム世界だけが何も特異な世界であるとは思えない。そ

の土地柄からなのか宗教による強力な呪縛から脱け出せないでいるの

だが、仮に近代化がもたらす豊かさが宗教的救済に取って代わられる

とするなら、彼らの民族アイデンティティーが失われることへの反動

から原理主義への回帰が声高に叫ばれることには一定の理解が及ぶ。

つまり、近代化とは宗教からの「解脱」にほかならないからだ。

                          (つづく)

 


「明けない夜」 (十)―②

2017-08-23 09:04:46 | 「明けない夜」10~⑨

           「明けない夜」

           (十)―②


 一月いっぱいで仕事を辞めてから、歯止めが掛からない少子高齢化

と人口減少に頭を痛める地方の自治体が企画した新規就農者を募って

定住してもらうための四泊五日の宿泊体験ツアーに参加した。そもそ

も少子高齢化と人口減少問題は日本全体が今まさに直面している問題

であって何も一地方自治体だけの取り組みで解決できる問題とは思え

なかったが、努々おくびにも出さないように務めた。

 では人口減少がなぜ「問題」なのかというと、それは専ら経済的視

点からの問題であって、つまり商売人たちが客が減るとモノが売れな

くなると騒いでいるだけで、そしてその上前を跳ねる役人や政治家た

ちが提灯持ちしているに過ぎない。そもそもこの狭くて山地だらけの

島国で現人口を越える日本人がかつて存在した例はなく、今まさにそ

の限界を超えたとすれば減少に転ずるのは必然で、ただ闇雲に客、じ

ゃなかった人さえ増せば経済成長できると考えているなら、まるで人

間をブロイラーか家畜などの経済動物と同じようにしか思っていない

経済成長至上主義に毒された経済人の妄想にすぎない。因みに、世界

の国別の人口密度のデータを見ると、日本の336人/Km2は先進国

の中でも抜きん出て高い数値で、加えて居住に適さない山地が全体の

7割以上を占めることを考慮すれば、日本は世界有数の過密国家であ

る。さらに加えてその4分の1以上の人口が、すでに横に収まり切れ

なくなって縦に積み重なって、首都圏域に集中しているのだ。ただ、

その現状だけからも我々の国民性の一端を窺い知ることができる。つ

まり、緊密な社会では統制を乱す言動は窘められて自主性を失い、つ

いには大樹の陰を慕って全体主義が蔓延り、やがて異質な他者を疎む

排他主義が声高に叫ばれる。我々はかつて迷い込んだ道を気付かずに

再び辿っているのかもしれない。おっ、話の方も気付かずに横道に逸

れてしまったようだが、それでは人口の減少はただただ好ましくない

状況しかもたらさないのかと言えば決してそんなことはない。たとえ

ば誰もがすし詰めの満員の電車を見送って次の空いている車両を待つ

ように、人口減少社会は次に生まれてくる世代にとっては決して好ま

しくない環境とばかりは言えない。ところが経済成長のために「産め

よ増やせよ」と言うのはよもや戦前(?)でもあるまいし本末転倒もい

いところだ。経済人や政治家にすれば聞き捨てならないかもしれない

が、私はこの国が平和で安定した社会環境を維持していくためには今

の三分の二くらいの人口がちょうどいいと思っている。世界限界論の

下で徒に人口を増やしてもいずれ賄い切れなくなって有らぬ争いへの

暴走を抑止できなくなる。

                                       (つづく)


「明けない夜」 (十)―②のつづき

2017-08-23 09:03:16 | 「明けない夜」10~⑨

       「明けない夜」

       (十)―②のつづき

 

 政府が取り組む掛け声倒れの少子化対策なんかよりも地方が呼び掛

けているIターン誘致の方がよっぽど現実的だ。共働き世代に対して

何一つ有効な対策を打ち出せないでいる政治は、未だ男尊女卑の陋習

から抜け出せない企業文化に配慮してか、男女雇用機会均等法や男女

共同参画社会基本法、さらには育児介護休業法と、それだけ聞けば何

と進んだ社会なんだと思ってしまうが強制力のないザル法ばかりで何

一つ実のある成果を上げていない。そもそも公務員にしてからが、育

児休業を申請した男性公務員が上司の無理解と職場での冷たい視線に

苦しんだ様子をネットで綴っているくらいだから況や一般企業におい

てをや、である。保育所の待機児童の問題にしても都市への一極集中

がもたらしたミスマッチで、その反対に地方からは子どもの姿が消え

保育所や少学校は次々と統廃合されている。であるなら地方へ人を呼

び戻す対策を考えればいいのだが、以前には遷都論も真剣に議論され

たが大震災でそれも立ち消えになってしまって、今では専ら地方任せ

になっている。ただ、近代文明都市に憧れを抱く人々に鹿の鳴く音に

目を覚ますわびしい山里への移住を勧めても誰も聴く耳は持たない

だろう。いくら新幹線が日本中を網羅しても便利になるのは結局は東

京であって、つまり東京への一極集中は避けられない。地方は東京イ

ズムに追随している限り地方独自の文化が失われ植民地化し、今や

新幹線の駅前はどこも同じ景観で、東京に本部がある見慣れたフラン

チャイズ店の看板が凌ぎを削り合い、地方色が褪せていくことに侘しさ

を感ぜずにはいられない。ところが政府は国家戦略特別区域法とか地

域再生法だとか相変わらず器を作ることにばかり熱心で中身にはまっ

たく新鮮味がない。結局、東京一極集中の解消だとか地域再生だとかは

それぞれの国民の意識が転換しないことには為し得ないと思う。つまり

、人々がこう嘆くまで待つしかない。

 「山里は もののわびしきことこそあれ

      世の憂きよりは 住みよかりけり    よみ人しらず」


                        (つづく) 

 


「明けない夜」 (十)―③

2017-08-23 09:00:21 | 「明けない夜」10~⑨

           「明けない夜」

            (十)―③


 地方自治体の企画した宿泊体験ツアーは、午後一時に現地の最寄駅

に集合しなければならなかったので、出発時間がちょうど早朝の朝の

ラッシュアワーと重なった。

 そもそも自治体は少子化を少しでも食い止めるために企画している

ので、子どものいる家族や独り身でも将来子どもを生むことができる

若い女性を優先して私のような独身男性は敬遠したが、実際、面接で

は将来生活を共にする女性が居るのかと立ち入ったことまで訊いてき

た。そして一度は定員に達したのでと断りの連絡があったが、出発直

前の三日前になって、たまたまキャンセルが出て空きができたので、

担当者は何度も「失礼ですが」を連発したが、始めはムカっときて断

ろうと思ったが、ちょうど仕事を辞めたばかりですることがなかった

ので翻して気晴らしのつもりで参加することにした。

 都心へと向かう電車は一駅ごとに乗客を増やして遂には身動きが取

れなくなった。そして東京駅の2コ手前の駅で停車した時、それまで

乗客を拒むように勢いよく締まったドアがいつまで経っても開いたま

まで動き出す気配がなかった。それに反応してそれまで静粛を保って

いた車内からは話し声やため息が漏れ始めた。誰かが「またか」と呟

いた時、車内放送が流れた。

「先の区間で人身事故が発生したため停止しています。お客様にはお

急ぎのところご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありませんが・・・」

アナウンスが流れると同時に大勢の乗客がスマホを操作しながら慌た

だしく降り始めた。

「どれくらい掛かるの?」

「まあ、最低一時間は・・・」

そんな他人の会話を耳にして、私もさっそくスマホで時刻表を確かめ

ると、「ダメだ!」一時間も遅れると乗り継ぎができなくなって集合

時間に間に合わない。仕方なく電車を降りて地下鉄へと向かう人の流

れに身を委ねて東京駅へ向かった。

 ゆっくりと動き出した新幹線「やまびこ」の車窓からは、並行して

走る在来線のホームを大きくはみ出して停車している電車が見えた。

その周りでは鉄道員たちが慌ただしく駆け回っていた。「あれだ!」

晴れ渡った寒空の朝、数時間前にそこで思い詰めた者が命を絶ったの

だ。ただそれ以上関心は湧かなかった。すでにそれらの原因も分析さ

れて誰も今さら気にも掛けない。地方では自然で生きるタヌキが農道

を疾走する車に衝突して早朝の路上に屍をさらすように、首都東京で

は生きる意味を見失ったヒトが電車に飛び込んで自らを消す。東京で

暮らす人々は排便後の便器のコックを回し忘れないように、失敗をし

ないように細心の注意を払いながら社会に適応しようと自分を殺して

生きている。誰もが九死に耐えながら辛うじて一生を得て生きている

ので些細な躓きさえも一死となって、遂にはコックを回し忘れて汚物を

残したままにしてきたことさえも自信を失くす原因になる。

 車両は都心を離れて流れてくる車内アナウンスを何気なく聞いて

いると、どうやら自分の乗った車両は「やまびこ」ではなく、下車駅を

通過する「はやぶさ」だと気付いた。アナウンスは、

「まもなく大宮です。大宮の次は仙台に停まります」

と案内した。

「えっ、仙台!」

慌てて靴を履き直し上着を着て棚から荷物を下ろして乗降ドアへ向か

った。乗り間違えに気付かづに仙台まで行ってしまえば、もしかすれ

ば私も下りの新幹線には飛び乗らずに、自分自身が厭になって車両

そのものに飛び込んだかもしれなかった。

                        (つづく)


「明けない夜」 (十)―④

2017-08-23 08:59:07 | 「明けない夜」10~⑨

              「明けない夜」

               (十)―④


 新幹線大宮駅で「やまびこ」に乗り換えるとあっという間に下車駅

に着いた。そして待ち合わせていた在来線の一両編成の車両に乗車す

ると遠くに見た残雪に覆われた山々が車窓に迫ってきて春から冬へ季

節を逆戻りしているようで、そこはすでに東京圏外だった。単線のた

め停車駅では上り車輛の通過待ちで底冷えのする車両で恐ろしく待た

された。ディーゼル車両のエンジン音だけが響く山々に囲まれた閑散

とした無人駅で時間の流れの緩さに戸惑いながら、東京から遠ざかる

ことの寂しさに襲われた。始発時には座席に3割くらいは居た乗客も

停車する度に次第に減り、集合場所になっている駅に到着すると、車

両は残っていた3人全員を降ろして文字通り運転手だけのワンマンカ

―で発車した。私を除く中年の二人は夫婦で大きなバックを抱えて他

所者としか思えない身形から同じ目的で降り立ったことはすぐに察し

がついた。ところが、無人駅の改札を抜けて駐車場を見渡しても4、

5台の車は停まっていたが、案内では待機しているはずのマイクロバ

スが見当たらなかった。するとすぐ近くに停まっていたワゴン車の助

手席から一人の中年男性が近付いてきて自己紹介をしてから、

「失礼ですが、宿泊体験ツアーの方ですか?」

と訊いた。それ以外には考えられなかったはずだが、

「そうです」

と応えると、

「失礼ですが、マイクロバスはこちらの車に変更させて頂きました」

彼が言うには、定員が予定に満たなかったためワゴン車で対応するこ

とになったらしい。そしてワゴン車のサイドドアを開けながら乗車を

促すと、すでに座席には3人が占めていた。一組の夫婦ともう一人は

まだ若い女性だった。いずれも東京近郊からの参加者で自らの車でや

って来て合流したらしい。中年夫婦と譲り合って私が先に乗り込むと

奥に居る女性に会釈してから三人掛けの席を一つ空けて腰を下ろし

た。担当者は助手席の乗り込むと後ろを振り向いてこれからの予定を

確認した。

「まず失礼ですが、これからすぐ近くにある『道の駅』で食事をとり

ます。その後、失礼ですが、是非とも皆さんには震災の被災地の状況

を見ていただくために、失礼ですが沿岸の方を周ってそれから本日の

宿へと向かいます」

それらは予定表に書かれたままの行動だった。彼は一応の説明を終え

ると前を向いて運転手を促した。ワゴン車は僅かばかりの寂れた商店

街を抜けて幹線道路を疾走した。しばらくすると静まり返った車内に

口笛の音が聞こえ始めた。後部座席の誰もが場違いな口笛の音色の

出所を確かめようとしていると、前の男性が助手席の担当者の背中を指

差した。担当者は後部座席の戸惑いを意に介さず何の歌かは定かでは

ないがいよいよ流暢にさびのメロディーを奏で始めた。するとそれま

で無表情だった後部座席の乗客たちからも笑みが洩れはじめた。さす

がに東京で暮らす者は人前で堂々と口笛などを吹くことなど躊躇った

し、たぶん街中であっても間違いなく頭がおかしいと怪しまれるだろ

う。ところが彼の口笛が奏でる、やっと判った「なだそうそう」の音

色はのどかな山間の田園風景と相まって何とも言えない寛いだ雰囲気

を生み、まるで体裁ばかり気にする都会人の分別をあざ笑っているよう

で何か微笑ましかった。いや、もしかするとそれは車中の雰囲気を和ま

すための彼独特の気遣いだったのかもしれない。

「それにしてもまだこの国には口笛を吹く人がいたんだ」

                           (つづく)