「バロックのパソ街!」 (六)

2013-01-21 03:13:02 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)



               (六)




 新年がいい年になりますようにと、バブル経済の破綻による将来

への不安から誰もが一際(ひときわ)強い想いで初日の出に祈ったが、

そんなことを知ってか知らずか去年の昨日と同じ朝日は、家々が犇

(ひし)めき合う屋根の端から、排気ガスが消えた都市の澄みきった

青空に鮮血のような朱色を滲ませた。

 冬休みが終わると、おれは追試が待っていたので、新年早々、早

くこの年が終わってくれないかと願いながら、三ヶ日を鳩小屋にこ

もって勉強していた。二人で大空を自由に翔んだアンちゃんとはあ

のクリスマス・イブ以来会えなかった。いや、実は、もう二度と会

えなくなってしまった。

 三ヶ日が終わっていたる所の機械のスイッチがオンに切り替わっ

た日の朝、缶コーヒーを取りに台所へ行くと、母がソファに体を預

けて夢を見てる横で、家庭の空気を読めないテレビが現(うつつ)を

伝えていた。ニュースは新年の東京の街の様子を中継して、その後、

今年の景気はどうなるかと専門家に聞いていた。おれは母の向かい

に腰を下ろして缶コーヒーの蓋を開けた。コーヒーを飲んでぼーっ

とテレビを見ていたので、今年がどんな年になるのか聞き逃したが、

聞いたからと言って何の役にも立たなかった。そんなものは週が変

われば誰も忘れてしまうだろ。テレビは社会の非日常を伝える為に

在る。その為に普段は退屈な日常を伝えているのだ。ニュースは大

阪で起きた殺人事件に切り替わった。今や殺人でさえ日常なのだ。

 ところが、

「府下に六店の遊技施設を経営する囗山囗雄さん72歳が自宅の居

間で血を流して死んでいるのを帰宅した家族が見つけ、警察に通報

しました。警察は殺人事件として犯人を捜しています」

アンちゃんの実家だった。殺されたのはアンちゃんのおじいさんに

間違いない。さらに、

「なお、被害者の孫に当たる高校生、安囗囗19才が一人で暮らす

マンションで首を吊って自殺しているのが警察の調べで分かりまし

た。警察では関連を含めて捜査しています。」「次のニュースです

・・・」

 「あっ!アンちゃんだ!」

 いったい何が起こったのか全く解からなかった。すぐに電話を掛

けたがやっぱり繋がらなかった。学校に掛けてもダメだった。バタ

バタしていると母が目を覚ました。

「何があったの?」

「うん、ちょっと出てくる」

おれはチャリを漕いで正月気分が残る街を抜け、ひたすらアンちゃ

んのマンションを目差した。しかし、マンションのある通りは通行

規制のテープが引かれ警官が立ってた。それを見て愕然としたが、

アンちゃんの名前を言って確かめても警官は何も答えなかった。

仕方なく遠くで眺めてるオバちゃんに聞くと、アンちゃんに間違い

なかった。居た堪れなくなってすぐにチャリを押してそこを離れた。

「いったい何があったんや」

何度も呟きながら何処へ行くとも無くチャリを漕いだ。気が付くと

大阪城公園に着いていた。知った者に会いたくなかったので馴染み

の城天(しろてん)には行かず、アンちゃんと一緒にライブやった場

所を遠くから眺めていた。正月休みやからか多くのミュージシャン

が人々の心に愛を訴えかけていた。

 ただ、どの歌もおれの耳には届かなかった。愛という言葉に虫唾

(むしず)が走った。

 留年は確定的だった。全く勉強する気にならなかった。ベットに

仰向けになってアンちゃんのライブ録音を何度も聴いていた。

 間もなく警察は、お祖父さんを殺害したのは自殺したアンちゃん

と断定した。事件は三日の昼過ぎに起きた。ただその動機がはっき

りしない。実家にはお祖父さんとアンちゃんだけが残されて、その

二人共死んでしまったからだ。お父さんは年末から仕事(パチンコ屋)

が忙しく各店を駆け回り、お母さんと妹(妹がいた)は来客が帰った

後、介護施設に寝たっきりの伯母さんを見舞っていた。そんな時に

アンちゃんが実家に戻った。そこで何らの諍(いさか)いがあったの

かもしれない。

 次の日の朝、母が届いたばかりの数枚の年賀状を見ながら、

「何っ!これっ、変な年賀状。名前がないわ、あんたに」

そう言って中から一枚だけをおれに寄こした。アンちゃんからやっ

た。驚いた。恐らく首を吊る直前に書いたんや。字が震えて乱れて

いた。

  「自由をしばるものを許すな

  序列秩序をぶっ壊せ  

  これは革命や  反儒教革命や

  自由をおそれるな 勇気をおそれるな

  おまえといっしょで楽しかった

  ありがとう 古木 」

「死んだら革命にならないよ、アンちゃん!」

 アンちゃんの葬式はお祖父さんとは別に身内だけでひっそりと行

われようとしていた。儒教道徳を尊ぶ朝鮮民族の人々にとって、直

系の祖父を殺めるという行為は民族そのものを貶める行為だった。

告別式には同窓生や部活の生徒も並んだが、おれは行かなかった。

告別式とは別れを告げる場所なので、アンちゃんに別れを告げるつ

もりは無かった。そして思ったとおり留年が決まった。母に言った

ら、もう何も言わなかった。ただ自分の学費は週末の路上ライブで

稼いでいた。城天(大阪城公園の路上ライブ)にはアンちゃんのファ

ンだった者が同情を持ち寄るので行かなかった。学校もあまり行か

なくなった。同じ授業をもう一度受けるのがこんなに退屈なもんだ

とは思わなかった。生徒に人気のある先生は、去年の生徒が笑った

ところで同じ冗談を言った。彼はきっと二十数年同じところで同じ

冗談を言ってるのだ。何れ教師というのはコンピューターに代わる

に違いない。そうなればわざわざ登校する必要も無くなるだろう。

おれは少し早く生まれ過ぎたんだ。ただ、母が「高校ぐらいはちゃ

んと出ときなさい」と、うるさく言うので仕方なく登校した。教室

の机に座って、アンちゃんが最後に書いた年賀状を見ながら、彼が

言った「反儒教革命」の意味について考えていた。

 随分たってから、アンちゃんのお母さんから電話があって、息子

の事について何か知らないかと聞いてきた。年賀状のことを話すと、

ぜひ見たいというのでそれとアンちゃんが残したものを持って会い

に行った。

                                   (つづく) 

「バロックのパソ街!」 (七)

2013-01-21 03:12:00 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)
 


           (七)




「息子の部屋知ってます?」

「ええ」

「そこでいいかしら?」

「はっ、はい」

 まさかアンちゃんが死んだ部屋へ呼び出すとは思わなかったが、

おれもなぜ彼がそんなことになったのかその一端でも知りたかった

ので従った。

 信仰など持ち合わていなかったが、心の中で手を合わして部屋に

入った。シャンパンの空き瓶が転がっていた部屋はきれいに掃除さ

れて、まるで別の部屋のように広くなっていて、改めてアンちゃんと

一緒に居た時の乱雑さを思い知らされた。奥の部屋には白布の掛

けられた台の上に遺影が置かれてあった。おれは進んでそこに跪

(ひざまず)いて笑ってる彼の遺影に、お母さんの目を気にしながら

心のない合掌を済ました。ただそのあと悔やみの言葉など用意し

てなかったので言葉が出てこなかった。するとお母さんが、

「そこで死んでたんですよ、あの子」

そう言われて思わず怯んだ。上を覗くと隣の部屋と境に梁があった。

おれは早速アンちゃんから送られてきた年賀状を渡した。

「ごめんなさいね、わざわざ持って来て頂いて」

「いいえ、それからアンちゃんのライブのCDとビデオです」

「やっぱりそうなんや」

お母さんは年賀状を見ながらそう呟(つぶや)いた。

「いったい何でそんなことになったんですか?」

「あの子のものを整理していたらあなたの名前と電話番号があった

ものですから、ごめんなさいね、電話なんかかけて」

「いいえ」

お母さんはおれの問い掛けには答えなかった。いつの間にか彼女の

後ろから少女が現れた。

「こんにちは」

そう言って頭を下げた。アンちゃんから5コ下の妹がいるのは聞い

ていた。お母さんが慌てて年賀状から目を離して、

「あっ、良子です、あの子の妹です」

「こんにちわ」

おれはお母さんにそっくりの妹に頭を下げた。彼女はコンビニのレ

ジ袋から缶コーヒーを出して、

「はい、これ」

おれは軽く頭を下げてそれを受け取った。お母さんは年賀状を娘に

差し出した。そして、

「あの子、前にも死のうとしたことがあったんです」

お母さんは小さな声でそう言った。

「えっ!どうして死のうと思ったんですか?」

「それがね、よく解からんのやけど、突然そんなことを言い出して、

反抗期かもしれんけど」

「ええ」

「あれは、高校に進学したばかりの頃だったかしら、お父さんは仕

事で居なかったんですが、みんなで夕飯を食べていると、多分テレ

ビのニュースだったと思うんですけど高校生の自殺を伝えていて、

お祖父さんが『親の心子知らずだ』と言ったら、あの子、別に子供

は親の為に生まれてくる訳やない、と言ったんですよ・・・」

 お母さんの話を引き継ぐと、

そうするとお祖父さんが血相を変えて怒り出して、

「お前は親を馬鹿にするのか!祖先に感謝せんのか!」

と、すると彼は、

「親には感謝はしてるが、家系に縛られて生きとうない。犬じゃあ

るまいし、自由に生きたい。もしも祖先の為に生きなアカンねん

やったら、きっと俺は間違うて生まれてきたんや。自分の思うよう

に生きられへんねんやったら、明日にでも死んだるわ!」

すると、お祖父さんは、

「何をっ!この親不孝者がっ!おおっ、死ねるもんなら死んでみい」

そこで、おれは思わず口を挟んだ。

「そっ、それで、自殺したんですか?」

「ええ」

するとそれを聞いていた妹が、

「違うよ!」

と叫んだ。

「お兄ちゃんは、前から死にたい言うてた」

「えっ!」

 妹によると、彼はいつも、

「生きることは大体解かった、ただ、死ぬことがよう解からん」

そう言っていた。彼女が、

「それでも何時か人間は死ぬやん」

と言うと、

「生きてるうちに死ぬことが解からんと意味がないんや。死んでか

ら生きる意味が解かっても間に合わんやろ。それと同じや」

 つまり彼は、無意識のうちに生まれてくる人間は、意識を獲得し

た後に今度は自らの意思で、もう一度生きるかそれとも生きない

かの決意をしなければならない。ところが死ぬとはどういうことな

のか全く認識できない。そこで、

「いっぺん死んでみんと解からん」

そう言って、彼はゴミ袋を被って呼吸困難に陥り、意識不明になっ

て窒息死寸前で妹に見つけられて一命を取り止めた。意識を取り

戻した彼は、

「仕方ない、生きるわ」

そう言った。その後、入院や治療の為半年あまり学校を休んだので

留年することになった。ただ、それからの彼は人が変わったように積

極的になった。

 お祖父さんは、戦後の廃品回収業から身を起こして、一代で資産

を築き上げた人だった。そのワンマン経営は経済の膨張に伴って時

流に乗り、パチンコ屋を皮切りに不動産や飲食店、一時はゴルフ場

にまで手を出していた。ただ、今回のバブル経済の破綻によってそ

れらの多くを失い、それを機に事業を息子に引き継いで引退した。

とは言っても、経営を任されたアンちゃんのお父さんは、彼の承諾

が無ければ自分で何一つ決められない肩書きだけの社長だった。

 以上は、漏れ伝わってくる風聞に関心を寄せて集めた噂話だが、

もちろんそれ以外に、くちさが無い世間では眉をしかめる人と為り

を敢えて吹聴する者も少なからずいた。その中で気になったのは、

真偽は量りかねるが、アンちゃんのお母さんは日本の人だというこ

とだった。

「あれはイカサマ商売や」

アンちゃんはパチンコ屋を嫌っていた。その矛先は、係属や身内の

繁栄しか願わない狭義の序列に拘る儒教道徳へ向けられた。

「俺たちはパチンコ玉なんや。儒教道徳という箱が無かったらバラ

バラになってしまうんや。個性や意思を削られ礼儀や敬語に浸けら

れて、気が付いたらツルッツルのパチンコ玉にされて、自分の力で

は生きられずに、頭を下げて箱の中に戻っていくんや」

アンちゃんの言葉を思い出したが、それは今の日本の現状とも重

なった。誰もが箱の中ばかり見て、箱の外を見ようとしない。我々

は箱の中でしか生きられないのだ。儒教道徳の最大の欠陥は身

内の秩序ばかりに拘るその排他性にある。我々の理想は過去に

こそあって、過去に理想を求める限り未来は破滅への道でしかな

い。未来に希望を求めるならば過去ばかり振り返って後ろ向きに

歩いてはいけない。そして我々が儒教道徳に洗脳されたパチンコ

玉である限り、従って日本は元より韓国も中国も、更にアジアさえ

決して一つにはなれないだろう。

 突然、妹の良子ちゃんが、

「お兄ちゃんが好きやった曲、弾いてくれへん?」

「ごめん、ギター持ってきてへんわ」

「お兄ちゃんのがある」

そう言って遺影の台に立掛けてあるギターを持ってきた。

「何がええ?」

弦のチューニングをしながら聞いた。すると彼女は、

「イマジン!」

彼がライブの最後に必ず歌う曲だった。

「良子ちゃん、そんなん好きなんか、よしわかった」

おれはアンちゃんの遺影の前に座ってギターを弾いた。

  Imagine there's no Heaven      想わへんか、  
  It's easy if you try          あの世なんか無い
  No Hell below us           ただ空と大地があるだけやって
  Above us only sky          想わへんか、みんな
  Imagine all the people          今を生きてるだけやって   
  Living for today...       
  

  Imagine there's no countries     想わへんか
  It isn't hard to do           国なんかなかったら
  Nothing to kill or die for        殺しあう必要もないし
  And no religion too          神さんもいらんって
  Imagine all the people        想わへんか、みんな
  Living life in peace          楽しく生きてるだけやって

  You may say I'm a dreamer    夢みたいって言うけど 
  But I'm not the only one      俺だけとちゃうって
  I hope someday you'll join us   皆がそう想ったら
  And the world will be as one    きっと世界は一つになれるって

  Imagine no possessions         想わへんか       
  I wonder if you can          何も要らんてスゴイって
  No need for greed or hunger     奪ったり失くしたりせんでも 
  A brotherhood of man        誰もが仲良くなれるって
  Imagine all the people        想わへんか、みんな
  Sharing all the world         世界は誰のもんでもないって
                            
  You may say I'm a dreamer     夢みたいや言うけど
  But I'm not the only one       俺だけとちゃうって
  I hope someday you'll join us      みんながそう想ったら
  And the world will be as one      きっと世界は一つになれるって

   「IMAGINE」by JOHN LENNON   「なぁ想わんか」byアンちゃん 

 妹も、そしてお母さんも一緒に歌ってくれた。そして、

遺影のアンちゃんも笑いながら一緒に歌っていた。

                                   (つづく)



「バロックのパソ街!」 (八)

2013-01-21 03:09:10 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)



                 (八)




 お母さんによると、アンちゃんのアメリカ留学をお祖父さんには

知らせてなかった。長男であるアンちゃんが事業を継いでくれると

期待していたお祖父さんにそのことを言い出せなかった。アメリカ

へ行かせると言えば理由も聞かず反対するだろう。お祖父さんは「

異」邦人という邦人社会から見棄てられた厳しい環境の中で、同胞

と悔しさを慰め合いながら生きてきた。明るい話しは全て日本人の

もので、反して自分達は今日明日をどう凌ぐかが精一杯だった。し

かも「自由」を夢見た多くの同胞は無残に散った。「生きるとは不

自由なことである」そして「自由などというのは不自由の中でしか

生まれない」つまり「不自由を乗り越えない限り自由にはなれない

のだ」そのことをどうしても孫のアンちゃんに伝えたかった。

 アンちゃんはアメリカ留学の手続きの為実家に帰ったのだ。二人

でどんな言い争いがあったのか解からないが、自由を主張するアン

ちゃんと一族の秩序を重んじ独断を押し付けてくるお祖父さんとの

確執は以前から高まっていたという。彼は祖先を敬う儒教思想を、

「猿を崇める」

と言った。

「だから俺たちは進化しないんや」

更に、アンちゃんはパチンコ屋という事業を嫌がっていたので汚く

罵ったかもしれない。

「イカサマ商売!」

お祖父さんは一族を支え今の暮らしをもたらした仕事を貶されたこ

とに耐えられなかっただろう。更に、自分達の置かれた環境も考え

ず、殊更「自由」を口にする孫を嗜(たしな)めたに違いない。そし

て、

「アメリカへは絶対行かせない!」

 人を殺す者の心理は、優れた推理小説といえども正しく描写され

た例(ためし)が無いし、況(ま)しておれには察することさえ敵わず

、ただ、その結果だけが現在する。アンちゃんは少年時代のバット

を持ち出して、お祖父さんの頭部を数回殴った。お母さんと妹が戻

ってきた時、妹は居間に散らばった黄色いかしわ(鶏肉)の脂肪の

ようなものを何だか解からずに指で触った。そして奥の部屋で眠っ

ているお祖父さんの頭から大量の血が流れていることに気付き、

割れた頭部からはみ出した脳漿を見て、さっき指で触れたのはお

祖父さんの脳みそだと知って大声を上げた。お祖父さんの身体は

アンちゃんが布団まで運んだと思われる。それが結果だった。

「お祖父さんの脳みそ触っちゃった。まだ感触が残ってる」

妹は指を見ながらそう言った。

 お母さんと妹の話しを聞いて、おれが推理した事件の顛末である。

アンちゃんの遺影に別れを告げた。

 間もなくしてアンちゃんのお父さんは日本へ帰化された。

 時代は明かに変わろうとしていた。しかし、この国は相変わらず

古い政治、古い道徳、古い価値を守る為に、古い人間が支配して

いる。新しい時代は古いシステムを破壊しなければ生まれない。

失敗を恐れて服従していては何も変わらない。明治維新は力のな

い下級武士の若者たちによって成し遂げられたのだ。我々は、今

一度この国を「せんたく」せねばならない。

 おれは、アンちゃんの残した「反儒教革命」を実践することを彼

の遺影に誓った。それには学校が絶好の実験室だと思った。そうす

れば、退屈な授業にも少しは付き合ってられるかもしれない。恐ら

く学校の秩序を乱すことになると思うが、「革命」なんだから仕方

ない。そうは言っても、同士を募って徒党を組み圧力を行使して「

序列秩序」の糾弾をしようとは思っていない。それは納得のいかな

い譲歩は必ず反発を招き、結果断絶に至ることは安保闘争から明か

だ。これは「たった一人の反乱」である。その反乱を企てる根拠と

なる思想は、日本国憲法第三章第14条における「法の下の平等」

に沿って行われる。つまり第1項に謳う、「すべて国民は、法の下

に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、

政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」に依る。

未成年と雖(いえど)も国民の一人である。つまり、これは憲法に則

った順法闘争なのだ。挨拶や敬語を疎かにしたからといって憲法に

反さない。否、それどころかそういう言葉による階級差別こそ憲法

違反なのだ。弱年者のみに礼儀や敬語を強いるのは「法の下の平等」

に反する、謂わば不道徳な習慣なのだ。何だか気持ちが昂ぶってき

た。まず最初に決めたことは次の二点だ。

 ①敬語を使わない。但し丁寧語は用い、相手を蔑む言葉は

  厳に慎しむ。

 ②礼儀は年功序列を慮(おもんぱか)らず、徒(いたずら)に謙(へ

  りくだ)らず、常に平等を重んじる。

つまり飽くまでも「平等」に拘り、人が年功を理由に私(おれ)の上

に立つことを認めず、同じ理由によって私(おれ)が人の上に立つこ

とも認めない。それでも対等の関係が損なわれる時はその都度修正

することとする。

 以上が私(おれ)自身に誓った私(おれ)の「反儒教革命」の宣誓文

である。

 先行きを危ぶむかのように満開の桜を散らす妬み雨の中、新入生

を校門で見守る生活指導の北森「先生」に、あっ違う!北森「さん」

に、自転車を降りて、早速、

「お早う御座います」

と言ってしまい、更に深々と頭を下げてしまった!すると、

「遅いぞ!」

と上から頭ごなしに言われて、「わが闘争!」は改革の端緒から躓

(つまずい)いてしまった。

「くそっ!」

そこで早速アンちゃんの言葉を自分に言い聞かせた。

「自由をおそれるな!、勇気をおそれるな!」

 桜花舞い散る自転車置き場に着くと意思を通せなかった無念の想

いが込み上げて来た。すぐに授業の始まりを告げる予鈴が鳴った。

「このままではアカン!」

そう思って、おれはもう一度北森「さん」がいる校門へ歩いて行き、

校門の柵を閉めようとしている彼の背後から、

「北森さん、おはよう!」

と意を決して叫んだ。すると彼は意外にも、

「おはよう」と、

背中を向けたままおれの挨拶に応えた。彼はおれを誰かと間違えた

のだ。それは彼が振り返っておれを見るなり、

「何じゃお前は!」と、

吐き棄てるように言ったことから推理できた。

「もう授業が始まっとるやろ!」

おれは、

「知ってますよ、北森さん」

「はあ?お前は『先生』と言えんのか」

「ははっ、自分から『先生』と呼べとは恥ずかしくないですか?」

「なっ何やとっ!」

北森さんは真っ赤になっていた。

「あっ!もう授業が始まるんで。ただちゃんと挨拶しようと思った

だけですから」

そう言ってから走って教室へ逃げ込んだ。

 先に生まれた先生たちは只管(ひたすら)名分に拘り、後から生ま

れた後生たちに序列や身分の弁(わきまえ)えを押し付けて、自らは

その社会的優位な立場に安心するが、しかし時代は変わったんや。

身分や肩書きだけのヒエラルキー(階級制度)社会は自壊したんや。

                                   (つづく)

「バロックのパソ街!」 (九)

2013-01-21 03:07:35 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)
 


                (九)



 敬語と虚礼を廃すというおれの反儒教革命は、宛(さなが)ら緊迫

した「言語ゲーム」だった。言葉はただ意味を伝える為だけにある

んやなかった。かつて我々が言葉を持たないサルだった頃、叫び声

や仕草によって仲間を確かめたように、言葉の共有は価値の共有を

生み、価値の共有が共同体を創った。ところが、おれが敬語を使わ

無くなっただけで途端に対話がギクシャクして、言葉の共有が失われ、

たとえ価値を共有していても共同体はおれを疎外するようになり、や

がておれの言葉に誰も耳を貸さなくなった。おれが教室で「石板をもっ

てこい!」と叫んでも、譬え級友がその言葉を理解出来たとしてもても、

もちろん「セキバン」を持って来させる理由が理解されないだろうけど、

しかしそこにたまたまセキバンが在ったとしても誰も石板を持って来よ

うとはしなかった。つまり、共同体の中では、言葉はその意味よりも誰

が言ったのかが重要なのだ。やがておれは学校という共同生活の中で

言語を共有しない「他者」として疎んじられた。おれの反儒教革命はま

さに「命がけの飛躍」となった。

 儒教道徳において敬語や虚礼は専ら階序の低い者に強いられる。

そして言葉とはその社会システムの反映に他ならない。つまりこの

国は依然として階級社会のままなのだ。肩書きとは単なる職分では

なく身分なのだ。

 おれが教師と同じように「お早う」と挨拶をすれば、彼らは間違

いなく無視をするだろう。つまり、おれがいくら平等に拘っても敵

わないのだ。そこで、おれは一旦「お早うございます」と敬語で挨

拶を交わして、教師が仕方なく「お早う」と言った後に、すかさず

もう一度おれが「お早う」と敬語を使わずに言い返した。すると、

この試みはおれの立場を一転して優位にした。生徒が「お早うござ

います」と敬語で挨拶しているのに教師は無視するわけにはいかな

かった。すると彼らは「はい、お早う」と挨拶の前に必ず「はい」

を付けて挨拶した。そしてこの「はい」こそが、生徒とは立場が異

なることを暗に伝える彼らの安っぽい矜持に他ならなかった。彼ら

は生徒の挨拶に対等に応じられず、一旦「はい」とはぐらかしてか

ら挨拶を交わした。だが、その時はおれも同じように「はい、お早

う」と言い返してやった。愛国主義者の、従って社会主義者の、社

会主義の対語は個人主義である、従って愛国主義もまた社会主義者

と同じ穴の中で暮らす生き物なのだ、山口という熱血体育教師は歯

茎を覗かせて怒りを顕わにした。

 おれが、「お早うございます」と言う。

すると熱血体育教師の山口が、「はい、お早う」と応える。

すかさずおれが、「はい、お早う!山口さん」と言い返す。

彼は「何じゃお前は!ふざけるな」と怒鳴った。

 このように言語とは、特に複雑な敬語を使う儒教道徳に縛られた

社会の言語は、単に意味を伝える手段としてだけあるばかりでは無

く、詰まらないことだが、階序を確認する為の手段なのだ。

 敬語を使わないというおれの「命がけの飛躍」は、本来の「言語

ゲーム」である「他者」同士が対等の立場で互いに自己を主張する

均衡した言葉の交換が蘇った。儒教思想とは、均衡の不安に耐えら

れない者が安定を図る為に身分の低い者に自己放棄を迫る思想なの

だ。何故なら人間関係に於いて均衡ほど不安定なものはないから。

                          (つづく)          

「バロックのパソ街!」 (十)

2013-01-21 03:02:17 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)



                (十)




 ある日の放課後、北森「教師」に、おれはもう「先生」という曖

昧な敬称は遣うまいと決めた、否、そう呼んであげると満更でない

人にだけ、従ってその人を蔑む時にだけ遣おうと決めた、その北森

さんに職員室へ呼び出されて、乱暴な言葉遣いを注意された。それ

は彼がおれの担任やったから。彼はまだ教師に成り立ての青年やっ

た。

「どうしたんや?最近お前ことば遣いおかしいで」

「実は・・・」

おれは憲法まで持ち出して自分の反儒教革命を説明した。

「・・・おかしい思わへん?何かおれたち道徳に去勢されてるって

感じものすごいするわ」

「福沢諭吉でも読んだのか?」

「福沢諭吉?あの『学問のすヽめ』の?」

「そうっ、一万円札になってる福沢諭吉や」

「いやっ、別に読んでないけど」

「何や知らんのか?」

「教科書に載ってたけど、それ以上は知らん」

すると北森は腰を浮かして、机に積み上げた書類や本の中を探し始

めた。そして、

「在った、これや!」

そしてその文庫本をおれに差し出した。

「いっぺん読んでみ」

そう言って『学問のすヽめ』をおれにすヽめた。

「先生、あっ違う!北森さん、持ってんの?」

「アホっ!曲りなりにも俺は教師やぞ。教師が『学問のすヽめ』を

持ってなかったらそれこそモグリやろ」

「あれっ?『学問のすヽめ』ってこんな長かったん」

「ああ、学校で習うのは始めのとこだけやからな」

おれは福沢諭吉の『学問のすヽめ』がこんなに何編もあることを初

めて知った。

 「学問のすヽめ」を読んで驚いた。それは「学問のすヽめ」とい

うより大半が古(いにしえ)より維新まで継がれたこの国の封建社会

への批判だった。時代は、二百年以上閉ざしていた門戸の閂(かんぬ

き)を欧米列強に破られて、開け放たれた世界には堰を切ったように

近代化の波が押し寄せていた。すでに亜細亜の諸国は西欧帝国主義

の圧倒的な力に屈し植民地にされている。戸惑う国民を啓蒙し近代

化を推し進め独立を守る為には国民が上下貴賎の名分を棄て公に頼

らず、「一身独立して、一国独立す」、個人の不羈独立こそが肝心

だと説いた。ところが自らを頼らず独立の気概に疎い人民は、或は

権力を頼んで政治を曲げ、他は政治を他人事のように眺めるばかり。

その無気無力を養ったものこそ孔孟の教えだというのだ。

「此国の人民、主客の二様に分れ主人たる者は千人の智者にて、よ

きやうに国を支配し其余の者は悉皆(しっかい)何も知らざる客分な

り、既に客分とあれば固(もと)より心配も少なく唯主人にのみ依り

すがりて身を引受ることなきゆゑ、国を患(うれ)ふることも主人の

如くならざるは必然」であって、その結果、「政府は依然たる専制

の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ」となる。つまり、

「故に今、我が日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」

 彼の批判が一世紀以上経てもなお変わらずにそのまんま現代社会

への批判として通じることに驚かされた。果たして、我々は個人と

して不羈独立の精神を培ってきただろうか?そうして我が国は国家

として、――抑(そもそも)「国家」という名称が儒教的なんや、国

は家とは違う!――独立しているのだろうか?

 それでは福沢諭吉は儒教思想の何が問題だというのか?彼は「返

す返すも世の中に頼みなきものは名分なり」と言い、「上下貴賎の

名分」の弁(わきま)えを説いたのが儒教だと言うのだ。彼は「儒者

の主義中に包羅する封建門閥の制度も固(もと)より我輩の敵なり」

だから「専ら儒林を攻撃して門閥を排することに勉めた」(掃除破

壊と建置経営・続全集七) それは彼にとって「門閥制度は親の敵

で御座る」(福翁自伝)だからだ。福沢諭吉の儒教批判は熾烈を極め

「腐儒の腐説を一掃して遣ろうと若い時から心掛け」(福翁自伝)た

が、しかし「今世の人が西洋文明の学説に服しながら尚ほ其胸中深

き処に儒魂を存」することを痛歎せねばならなかった。(福翁百話)

 では、どうして多くの人々が彼の書物に親しんだにも拘わらず、

更には彼が「腐儒の腐説」とまで蔑んだのに「儒魂」は残ったのか?

それは彼が専ら儒教の思想批判に終始したからではないだろうか。

しかし儒教は実践に拘った教え(道徳)である。そこでは言動や行為

といった作法(形式)を重んじ、そしてその形式こそが「名分」を弁

(わきま)えさせるのだ。つまり、儒教とは本質ではなく形式こそが

重要なのだ。形式が本質を導くのだ。福沢諭吉は儒教の箱(形式)の

中の「儒魂」を批判したが、しかし「儒魂」は敬語や礼儀といった

箱(形式)にこそ宿っていたのだ。だから、いくら「儒魂」をやっつ

けても、敬語や礼儀といった形式を残したままでは、「上下貴賎の

名分」に拘る「儒魂」は何度でもその形骸からゾンビのように甦っ

てくるのだ。

 我々は明治維新を未だ終えていない。「文明開化」以来の民主主

義という宿題を克服しただろうか?「名分」に頼らない独立不羈の精

神が重んじられているだろうか?「文明転化」を迫る時代の流れの

中で、再び我々の民主主義が試されようとしている。

 北森さんがすヽめてくれた福沢諭吉の「学問のすヽめ」は、おれ

が決めた敬語と虚礼を廃す反儒教革命に大きな自信になった。

                                   (つづく)