(六)
新年がいい年になりますようにと、バブル経済の破綻による将来
への不安から誰もが一際(ひときわ)強い想いで初日の出に祈ったが、
そんなことを知ってか知らずか去年の昨日と同じ朝日は、家々が犇
(ひし)めき合う屋根の端から、排気ガスが消えた都市の澄みきった
青空に鮮血のような朱色を滲ませた。
冬休みが終わると、おれは追試が待っていたので、新年早々、早
くこの年が終わってくれないかと願いながら、三ヶ日を鳩小屋にこ
もって勉強していた。二人で大空を自由に翔んだアンちゃんとはあ
のクリスマス・イブ以来会えなかった。いや、実は、もう二度と会
えなくなってしまった。
三ヶ日が終わっていたる所の機械のスイッチがオンに切り替わっ
た日の朝、缶コーヒーを取りに台所へ行くと、母がソファに体を預
けて夢を見てる横で、家庭の空気を読めないテレビが現(うつつ)を
伝えていた。ニュースは新年の東京の街の様子を中継して、その後、
今年の景気はどうなるかと専門家に聞いていた。おれは母の向かい
に腰を下ろして缶コーヒーの蓋を開けた。コーヒーを飲んでぼーっ
とテレビを見ていたので、今年がどんな年になるのか聞き逃したが、
聞いたからと言って何の役にも立たなかった。そんなものは週が変
われば誰も忘れてしまうだろ。テレビは社会の非日常を伝える為に
在る。その為に普段は退屈な日常を伝えているのだ。ニュースは大
阪で起きた殺人事件に切り替わった。今や殺人でさえ日常なのだ。
ところが、
「府下に六店の遊技施設を経営する囗山囗雄さん72歳が自宅の居
間で血を流して死んでいるのを帰宅した家族が見つけ、警察に通報
しました。警察は殺人事件として犯人を捜しています」
アンちゃんの実家だった。殺されたのはアンちゃんのおじいさんに
間違いない。さらに、
「なお、被害者の孫に当たる高校生、安囗囗19才が一人で暮らす
マンションで首を吊って自殺しているのが警察の調べで分かりまし
た。警察では関連を含めて捜査しています。」「次のニュースです
・・・」
「あっ!アンちゃんだ!」
いったい何が起こったのか全く解からなかった。すぐに電話を掛
けたがやっぱり繋がらなかった。学校に掛けてもダメだった。バタ
バタしていると母が目を覚ました。
「何があったの?」
「うん、ちょっと出てくる」
おれはチャリを漕いで正月気分が残る街を抜け、ひたすらアンちゃ
んのマンションを目差した。しかし、マンションのある通りは通行
規制のテープが引かれ警官が立ってた。それを見て愕然としたが、
アンちゃんの名前を言って確かめても警官は何も答えなかった。
仕方なく遠くで眺めてるオバちゃんに聞くと、アンちゃんに間違い
なかった。居た堪れなくなってすぐにチャリを押してそこを離れた。
「いったい何があったんや」
何度も呟きながら何処へ行くとも無くチャリを漕いだ。気が付くと
大阪城公園に着いていた。知った者に会いたくなかったので馴染み
の城天(しろてん)には行かず、アンちゃんと一緒にライブやった場
所を遠くから眺めていた。正月休みやからか多くのミュージシャン
が人々の心に愛を訴えかけていた。
ただ、どの歌もおれの耳には届かなかった。愛という言葉に虫唾
(むしず)が走った。
留年は確定的だった。全く勉強する気にならなかった。ベットに
仰向けになってアンちゃんのライブ録音を何度も聴いていた。
間もなく警察は、お祖父さんを殺害したのは自殺したアンちゃん
と断定した。事件は三日の昼過ぎに起きた。ただその動機がはっき
りしない。実家にはお祖父さんとアンちゃんだけが残されて、その
二人共死んでしまったからだ。お父さんは年末から仕事(パチンコ屋)
が忙しく各店を駆け回り、お母さんと妹(妹がいた)は来客が帰った
後、介護施設に寝たっきりの伯母さんを見舞っていた。そんな時に
アンちゃんが実家に戻った。そこで何らの諍(いさか)いがあったの
かもしれない。
次の日の朝、母が届いたばかりの数枚の年賀状を見ながら、
「何っ!これっ、変な年賀状。名前がないわ、あんたに」
そう言って中から一枚だけをおれに寄こした。アンちゃんからやっ
た。驚いた。恐らく首を吊る直前に書いたんや。字が震えて乱れて
いた。
「自由をしばるものを許すな
序列秩序をぶっ壊せ
これは革命や 反儒教革命や
自由をおそれるな 勇気をおそれるな
おまえといっしょで楽しかった
ありがとう 古木 」
「死んだら革命にならないよ、アンちゃん!」
アンちゃんの葬式はお祖父さんとは別に身内だけでひっそりと行
われようとしていた。儒教道徳を尊ぶ朝鮮民族の人々にとって、直
系の祖父を殺めるという行為は民族そのものを貶める行為だった。
告別式には同窓生や部活の生徒も並んだが、おれは行かなかった。
告別式とは別れを告げる場所なので、アンちゃんに別れを告げるつ
もりは無かった。そして思ったとおり留年が決まった。母に言った
ら、もう何も言わなかった。ただ自分の学費は週末の路上ライブで
稼いでいた。城天(大阪城公園の路上ライブ)にはアンちゃんのファ
ンだった者が同情を持ち寄るので行かなかった。学校もあまり行か
なくなった。同じ授業をもう一度受けるのがこんなに退屈なもんだ
とは思わなかった。生徒に人気のある先生は、去年の生徒が笑った
ところで同じ冗談を言った。彼はきっと二十数年同じところで同じ
冗談を言ってるのだ。何れ教師というのはコンピューターに代わる
に違いない。そうなればわざわざ登校する必要も無くなるだろう。
おれは少し早く生まれ過ぎたんだ。ただ、母が「高校ぐらいはちゃ
んと出ときなさい」と、うるさく言うので仕方なく登校した。教室
の机に座って、アンちゃんが最後に書いた年賀状を見ながら、彼が
言った「反儒教革命」の意味について考えていた。
随分たってから、アンちゃんのお母さんから電話があって、息子
の事について何か知らないかと聞いてきた。年賀状のことを話すと、
ぜひ見たいというのでそれとアンちゃんが残したものを持って会い
に行った。
(つづく)