「パソコンを持って街を棄てろ!」(十一)

2012-07-11 19:45:50 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十一)

              (十一)

 

 経験の浅い船乗りが海上で船酔いをすると、それを治す為に自ら

の男性自身を刺激して自慰を行い船酔いを克服すると聞いたことが

あるが、その為に船室には必ずエロ本が置いてあると云う。東京と

いう人の荒海で、人々が迷いを断ち自分自身を回復する為にひたす

ら愛を求めるのも理解できなくもない。人間から性欲を奪えば社会

はきっと成り立たなくなるに違いない。社会の中のあらゆる関係が

性的関係から演繹されるとすれば、ホームレスやニートと呼ばれる

社会弱者などは、自由恋愛の社会の中で異性との性的関係を上手く

築けない性的弱者で、社会が幾ら経済的な救済を試みても失敗する

だろう。彼等の社会性を高めるには、何よりも男性として或いは女

性としての自信を高めることが重要なのではないか。それにはまず

異性との交流によって社会性を取り戻し、その社会性で自己を見つ

め直すことが良いのではないか?

 社会は人と人との「共生」で成り立っている、それ以外有り得な

い。社会が彼等を見捨てる時、彼等も同時に社会を見棄てる。しか

し幾ら彼等が社会との関わりを断って自己を閉ざしても、人間は、

否、生物は性本能によって異性(異生)に自己を開かねばならない。

その異性との関わりが失った社会性を目覚めさせるのではないか。

船乗りの自慰は船酔いから覚めさせてくれるが、ホームレスの自慰

は自己本位で益々社会から遠ざかっていく。つまり、「若い根っ子

の会」と「赤線」を復活させるべきだ!

 かつてヤッチャバ(秋葉原)で大勢の人を殺傷した男はメールに自

らの切実な性的不遇を嘆いていたが、おそらく彼は異性との関わり

を上手く持てなくて、そのことが彼をズレさせるきっかけになった

のではないか?社会は論理でなんかで創られていない。社会は理性

から見れば不条理な本能によって出来ている。人が人を蔑むのも残

念ながら本能だ、だから理解していても「いじめ」は止まない。彼

は社会との本能的な繋がりを取り戻せなかった。ただ携帯の掲示板

への書き込みだけが唯一の社会との繋がりだったが、拒絶されたと

思った時、頼るべき世界を失い、バーチャルの世界を飛び出してリ

アルの世界に仕返しをした。いずれにせよ、我々社会的弱者と呼ば

れる者にとって社会的な不満よりも、もっと切実なことは異性(社

会)との関わりを失うことなんだ。はっきり言うと「女とやりてぇ

んだよ!」というのが彼の本音じゃなかったのか?

                         (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十二)

2012-07-11 19:45:13 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十一)

             (十二)

 

 河川敷に足を踏み入れた場所から相当河上へ歩いた頃、K帯が鳴

った、「バロック」からだった。

「アパート決まったで!」

彼は我々が出会った駅前から街並を歩いて10分程の所にあるアパ

ートを借りた。この街で住むことに決めたのだ。私は自分が住む部

屋でもないのに何故か嬉しくて前に踏み出す足も軽くなった。ここ

は都内であっても都心ではない。家並の合間にマンションは増えた

が、それでもまだ家屋が何処までも続く下町だ。ただ、川岸にあっ

た多くの町工場は減っていきその後には高層マンションが次々に建

っていた。道沿いに少しでも空き地があればやがて囲いができて工

事が始まり忘れた頃には眩しい新築マンションが出来ていた。その

様子を上空から撮影して早送りすると、密集した瓦屋根の隙間から

次々と白い四方形の構造物が現れて、瞬く間に黒い家並を破壊する

癌細胞のように映るかもしれない。川岸の高層マンションを見上げ

ながら上空での生活は随分と今までの暮らしとは違っているのだろ

うと思った。快適とは不快を遠ざけることだとすれば、世の中で一

番ウザイ事は他人との付き合いで、快適な環境だけを考えれば、人

との交わりをできるだけ絶って独りで暮らすことである。しかし、

あの居住密度の高い建物の中でいかに快適な暮らしを満喫していて

も人との関わりを避ける訳にはいかないだろう。つまり幾ら室内の

居住環境を快適にしても、気心も知れない他人が壁一枚隔てて存在

するという現実は、人によって様々だろうけれど、決して無関心に

やり過すことなど出来ないのではないだろうか。居住を共有する他

者との快適な関係を築かないで専ら室内の快適さにこだわっても、

不快をもたらす他者への不審は消えない。そういう身近でありなが

ら敢えて関わりを避ける暮らしは、まさに東京で暮らす人々の行動

に影響を与えているのではないか。見て見ぬ振りをする行動は、こ

の密集した東京の暮らしから身に付いたに違いない。

 やがて道は鬱蒼とした庭の木立に埋もれた老朽化した屋敷の前に

出た。その時、鼻を突く強烈な腐臭が辺り一面に漂っていて思わず

手で鼻を覆った。立ち止まってその臭いの元を探るとその老朽化し

た屋敷からだった。鬱蒼とした庭にはレジ袋に入った無数のゴミや

大小の廃棄物が所狭しと積み上げられていた、いわゆるゴミ屋敷だ

った。私は何となくその住人の気持ちが理解できた。そこで我慢し

ていた屁を気兼ねなく大きな音とともに放出した。

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十三)

2012-07-11 19:44:18 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十一)

              (十三)

 

 

「水と油っていうのは相性が合わない喩えで使われるよね」

「んっ」

バロックの部屋でコンビニで買った弁当やスナックを口に入れなが

ら、あっ、もちろん缶ビールも飲みながら、何も無い部屋で胡座を

かいて喋るバロックに、私は昼間の疲れから彼に断って、身体を横

にしてそれから縦にして肘を枕に彼の話を聞いていた。

バロックは続けた、

「それって溶け合う事が相性が良いという前提で使われているけど

、おかしいと思えへん?」

「ふん」

「水は水で自分を変えない、油も油で水に溶け込もうとしない、そ

れでも同じ器の中で大人しく収まっている。それってすごい正しい

関係だと思わない?」

「なるほど」

「ところが日本人は本来混ざることが好ましいと思ってるから無理

矢理に力を加えて混ぜ合わせようとする」

「それって男と女のこと?」

私が口を挟んだ。

「ああっ、それでもええ」

「たとえば男と女でいうと、出会った頃は互いに距離があって相手

のことを機にするが、やがて一つの器に入ると互いの性質を無視し

て一つになろうと無理をして遂には責任を相手に押し付ける」

「同じ器に居ることが苦痛になってくるんだ」

「だから始めから男と女は水と油だと認識して器に入る事が大事な

んや」

「いずれ間違いなく分離する?」

「しかし接する面も必ずある、その境界面こそが互いを理解する重

要なところやと思う。全ての変化は境界で生まれるんやから」

「どうするの?」

「通い婚!」

「何?それ、一緒に住まないの?」

「そう、ズルズルと一緒に生活しないで、必ず自分の部屋へ戻って

自分の時間を持つ」

「もしどちらかが他の異性に気が変わったらどうするの?」

「どうもない、別れるしかないやろ」

「そんな簡単に踏ん切りがつくのかな」

「しやから絶対に一緒に住まないんや」

「そうやって割り切れればいいけど」

「つまり俺が言いたいのは、恋愛にとって大事なことは距離や、せ

めて相手の全体が見える程度の距離を保てと言うてんねん、互いに

あまり近くで見ないことや。いつも一緒に居たいという思いが叶っ

た時、恋人はあんたの退屈な日常や、意味のわからん変な癖や、だ

らしない寝姿やふてぶてしい態度や曖昧な応対に『白馬の王子様』

が『墓場の小父さん』に替わるのに時間はかからん。それでもあん

たは恋人の身勝手な想いを冷めさせない自信があるか?恋愛の夢か

ら醒めさせるものは日常なんや。そして人が恋愛の感情を激しく燃

え上がらせるのは、恋人同士で居る時よりも、実は、独りで居る時

なんや」

「距離ね」 

「磁石で言うとマイナスとマイナスはもちろん反発をするけれども

、ある距離があればそれ以上は干渉せえへんやろ。その距離こそが

互いを結ぶ距離やと思うんや」

「結ぶのかね?」

「この国はすぐに一致団結だとか満場一致とか組織の論理で、それ

ぞれの意見など聞かないで、組織への服従を押し付けるけれど、器

を振るのを止めたらまた元の水と油に戻るだけや」

「じゃあ、どうすればいいの」

「どうすればいいんだろ?」

「えっ!」

「つっつまり、組織というのはその存在そのものが一つの目的を共

有しているのやから、そのこと以外で個人の言動に要らぬ干渉をす

るべきやないと思う」

「どんなこと?」

「言ってしまえば道徳や!」

「えっ!」

「なんでみんな同じ考えを強制させられなあかんねん?」

「ううーん」

「国を愛そうなんて、大きなお世話や」

「誰が生まれた国を好ましく思わないか」

「うん」

「愛は強制されて生まれるもんやない」

「美徳とは、偽装した悪徳に過ぎない、だよね」

「何、それ?」

「あっ、道徳のこと。えっと、ラ・ロシュフコー」

「ああっ、そうだっけ。えっと、何の話しだっけ、始め」

「えーとっ、水と油」

「おおっ、せやせや」

「うん」

「たとえば、器の中に入れられた水と油は、水と油の二つがあるけ

ど、力ずくで混ぜてしまえば水と油が混ざった役立たない汚水にな

るだけや」

バロックは続けた、

「今までワシラは上からの距離を気にして生きてきたけれど、これ

からは間違ってもいいから自分達を信じることや。自信とはそうい

うことやろ。さやないと上からのプレッシャーに取り込まれて、や

がて自分自身を見失って油まみれにされて棄てられるのが落ちや」

「そんなことをすれば皆なホームレスになってしまうんじゃないの

「ホームレス結構やんか、権力におもねって自らを虚しゅうして奴

隷となって生きるよりも、はるかに自立した清い生き方や」

「ああっ、この国には奴隷かホームレスかの選択しか残されてい

ないのか」

「いや、もう一つある」

「えっ、何?」

「成功して大金を手にすること」

「成功ね、無理やね、きっと」

「しかも、もう一つある」

「えっ、もうひとつ?」

「死ぬこと!」

とバロックは言って残りのビールを飲み干した。そして程なく胡座

をかいたまま頭を垂れて黙ってしまった。バロックは寝ていた。我

々の会話はこうしてぐだぐだのまま終わった。私もその後は何も記

憶せずに次の日の朝を迎えることになった。

 

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十四)

2012-07-11 19:43:24 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十一)

             (十四)

 

 バロックが言った社会での選択肢が気になった。我々の選択肢は

四つで、企業に服従して奴隷になるか、それを拒否してホームレス

になるか、一か罰かの勝負をして大金を手にするか、そのどれをも

潔しとせずに世の中から暇(いとま)を貰って身を消すか、はて、そ

れも嫌ならどうすればいいのか?

 私は今まで、学校を卒業して製造会社で奴隷として働き、世間の

冷たい目を受けながら逃げ出して、一攫千金を夢みてマンガ家を志

し、出版社に裏切られてホームレスになって、あと残されているの

はどうして世の中から暇乞いをするかだけだった。高校を卒業して

、父のいない私は就職する他選択はなかった。それは判っていたが

希望する職種は、どれも進学を果たさなければ入場券を手にできな

かった。卒業間近になって仕方なく決めた就職先には何の夢も持て

なかった。そして、育った牧場を後にして場へ引かれていく牡

牛のように、ただ絶望だけを胸に社会へ放り出された。何の期待も

持たなかった会社には期待通りに何の夢もなかった。大手の自動車

会社の下請けの金属加工の会社で、いつも親会社の業績によって人

が出たり入ったりしていた。やがて、ほとんどの熟練工は高給のた

め暇を出されて、仕事が増えて生産が間に合わなくなると、昨日ま

でパチンコで稼ぐつもりでいた者が当てが外れて有り金を摩って、

仕方なく派遣会社に雇われて戻ってきたり、近所の農家の主婦が、

家の中で自分だけ遊んでいるように見られるのが耐えられなくて始

めたパートや、ついには中国から日本の優れた製造技術を習得する

ために薄給にも不満を言わずに働く研修生までやって来て、みんな

で一生懸命「不良品」を作った。それでも管理者は腐らずに、朝の

ラジオ体操の正しいやり方から、工場内はポケットに手を入れて歩

かない様にとか、便所でのオシッコのやり方までも手取り〇取り教

えていた。もちろん作業を如何に効率的にするかについても熱心で

、否、熱心そうに見せていた、毎月の改善提案の提出は義務化され

、私はある工程に於いて、機械を使っての自動化を提案して、作業

時間の短縮が図られることを説明したら、予算が無いとの理由で却

下された。しかし、しばらくして手作業による誤操作での不具合が

北米のディーラーで見つかり、何千台もの製品検査を親会社から指

示されて、巨額の支出が発生するに到って、やっとその工程は私の

提案どうりに改善された。もちろん自動化によって作業時間も半減

したが、こんどはその作業で毎夜残業を当てにしていた中国人の研

修生が私に文句を言い出した、つまり残業時間が減って給料が少な

くなった事の逆恨みだった。朝礼は半数にも及ぶ「外国人」のせい

で、営々と築き上げられた営業方針の唱和や安全作業の宣言が、可

笑しな片言の日本語の安全宣言で、毎朝失笑をもたらすくつろいだ

交流の場に変わり、その通りに笑うほど不良品が出た。危惧の念を

持った経営者は、理解しがたい規律を押し付けてきた。それは作業

時間内での中国語の禁止や、親会社の自動車以外での通勤の禁止、

親会社の車以外の駐車は駐車料を取られた、周りは畑だらけなのに

、さらに不良品を出した者からの減給など、いよいよ潮時だとは思

っていたが、ついにはラジオ体操を毎朝ひとりが交代で前に出て中

国人の研修生の見本となる体操を行うよう決めた。実は私は全く体

操をやらなかったので順番を覚えていなかった。大体なぜ体操をみ

んなで一緒にやらなければならないのか、その意味が分からなかっ

た。会社は一方で自己管理と言い乍ら、なぜかラジオ体操だけは変

えようとしない。もし、欧米の人に、日本でもっともこの国らしい

行為は何かと尋ねられたら、私は間違いなくラジオ体操と答える、

きっと欧米人には理解出来ないだろう。始業前の準備運動くらい自

分一人で出来ないのかな。しかも会社で毎朝ラジオ体操をしてもカ

ードにハンコを押してくれないんだから、会社を辞めた。私はあの

親会社の自動車だけはあげるよと言われても、もちろん言わないが

、決して乗ろうとは思わない。

 

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十五)

2012-07-11 19:42:38 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十一)

           (十五)

 

 バロックの部屋は仕事を探すのに助かった。履歴書ひとつ書くに

しても、まず住所を書ける事が有り難かった。名前の次は住所を書

く欄になっていた、ホームレスの時はそこで履歴書を書くのを止め

た。もちろんここもバロックが借りていて、私は依然ホームレスだ

ったが、役人の言い訳のように誤魔化すことが出来るだろう。ただ

、いざ仕事となると自分は何をしたいのか分からず、とりあえず住

み込みで働ける仕事を探していたら、牛乳の宅配の仕事で、早朝だ

けの仕事にもかかわらず個室を借りることが出来ると載っていた。

しかも近くだったので、早速電話をしてすぐに面接を受けることに

なった。電車に乗れば二駅だったが、そのために駅へ向かうのが逆

方向だったので電車に乗らずに歩いて行った。川沿いを行くと、や

がて河川敷の近くにしては奇妙な小高い山が現れ、その樹木の青葉

の中より大きな寺院の瓦屋根が見えた。日蓮宗の名刹らしい。さら

に近づくと参道に出て、それを駅に向かって歩いた。駅のすぐ傍に

四階建ての建物がすぐに目に入った。面接はすぐに終わった。 

「仕事、決まったよ」

私はすぐにバロックに電話した。

「えっ、決まった」

「しかも部屋付き」

部屋はその建物の上に四部屋あった。四畳半くらいの広さでフロー

リングになっていた。炊事場とトイレは二部屋共同だったが、ホー

ムレスの私には文句は言えなかった。

「就職祝いしようぜっ」

「ありがとう」

私は彼の「就職祝い」と言う言葉が、受刑者が刑期を終えてシャバ

へ戻る「出所祝い」に聞こえたが、まあ、あまり変わらないなと思

った。帰りは迎えに来た電車に乗って、バロックの処へ向かった。

迎えの電車は結構込んでいて、まえから乗っていた若い美しい女性

を奥へ押し込んで、私は彼女とドアの間に入った。すぐに電車は動

き出した。私はドアに身体を寄せたが背中の彼女のことが少し気に

なった。ドアの窓から流れる景色を見ながら、ただ、頭の中ではお

かしな事を考えていた。

 人間は、なぜ性行為を快楽を伴って行うのだろう?動物がそうで

あるのは分かるが、そろそろ人間は性行為に大きな苦痛を払って行

うべきではないだろうか?快楽に導かれて生を得た子らは、今後こ

の世界の峻厳に立ち向かえるのだろうか?人間の生命は快楽によっ

て繋がれてきたが、我々の種はその怪しさにそろそろ気付き始めた

のではないだろうか?我々の不正であれ虚偽であれ怯惰であれ、も

のごとを誤らせる根本は快楽にある。我々は快楽という枝葉末節に

取り憑かれて、本来の進化をおざなりにしてきた。やがて危惧の念

を持った本能は、性交の快楽物質を痛みの物質に作り変えて、我々

の性欲を苦痛の中心に据えるに違いない。それでも子孫を望むなら

、自らの死を犠牲にしても「然り」といえる者だけが生むべき時が

来るに違いない。人間は幸せになるために生きているんじゃない。

たとえ苦しみばかりでも生きようとするのが生命だ。我々はその生

命の外で生きているのではないか。背中に若い女性の気配を感じな

がら、私はそんなことを考えていた。

 

                       (つづく)