「無限責任」②

2012-05-31 12:58:24 | 「パラダイムシフト」



          「無限責任」②


 野田総理はこう言うべきです。

「仮に、大飯原発でも福島原発と同様の事故が起これば、近隣で生活

している住民の皆様には避難して頂くことになります。その範囲は原

子炉被害の程度によって差がありますが、最悪の場合は福井一県で収

まらず近隣各県、更には近畿の水がめ琵琶湖からの取水で生活水を賄

う近畿や東海地方にさえも及ぶことは避けられません。更に、放射能

汚染の影響は十万年を経ても減少することはありませんので、たとえ

幸運にもすぐに原子炉が制御され収束したとしても、すでに暴露され

た放射線による人体や環境への影響は残念ながら予測することさえ不

可能ですので、これまで通り暮らせる保障は出来ません。そして、フ

クシマに続いてフクイでも原発事故による放射能汚染が起これば、こ

の国はまず国際社会の信用を失い間違いなく国家存亡の時を迎えるで

しょう。しかし、政府は、国民の今の豊かな生活を守り経済の停滞が

及ぼす様々な影響を避けるために、辿り着いた究極の選択の結果、已

むを得ず電力供給不足を補う大飯原発の再稼働を苦渋の末に決断しま

した。もちろん、徹底した安全管理を行って不測の事態が起こらない

ように慎重に再稼働させますが、もしも万が一にもこの判断が誤った

結果をもたらしたとしても、正直に言えば、そんな無限的な責任を如

何なる権力者であっても負えることなど出来ません。国家破綻の責任

はその受益者こそが等しく負うもので、つまり、受益者である国民こ

そがその被害によってその責任を負わなければなりません。それが国

民が主権者である民主主義国家ではありませんか。もう一度言います、

原発再稼働によって起こる原発事故の無限責任を政府が負うことなど

絶対に出来ません。その責任はこの国で生きる全ての国民が子々孫々

を経て未来永劫に到るまでその被害によって負わなければなりません。

 よろしいですか?では、再稼働ヨシッ!」

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「無限責任」

2012-05-31 04:11:00 | 「パラダイムシフト」




                         「無限責任」


 原発事故による放射能汚染の被害は限定できません。事実、福島原

発の事故でさえも収束したとはとても言えない。政府や原発関係者の

話ではもう何もかもが解決した事のように説明されていますが、実際

は、格納容器内の炉心燃料の正確な状態すら把握されて居らず、使用

済み核燃料の安全管理さえも危ぶまれています。つまり、今後如何な

る深刻な事態が起こるのかさえも解らないにも拘らず、原子力村の役

人たちはすでに一線を画して早く終わらせようとしています。それは、

これまで繰り返されてきた水俣病、アスベストを始めとする公害問題

や様々な医療禍問題、更には半世紀以上経ても未だ原爆投下による黒

い雨の被害の範囲を特定できない当局と被害者の意見の食い違い、6

7年前の出来事ですよ!未だこんなことで揉めているのかと被爆地広

島で暮らしていて呆れ返るばかりですが、結論を先送りして責任を逃

れようとするこの国の官僚思想は、そうだ!菅元総理がいみじくも語

ったこの国を破滅へと導いた軍官僚の独善思想から何ひとつ変わって

いないのだ。

 野田総理は政府の「責任」によって大飯原発の再稼働を認めると表

明されたが、それでは、かつて政府が「原発は絶対安全である」と宣

言した責任は一体誰が負うたのか?つまり、「政府の責任で」と語る

のは、この国では「誰もそんな責任を負えるわけがない」ということ

ではないか。冤罪であれ内乱であれ戦争であれ、縦しんば政府の誤っ

た決断によって何百万人の国民が犬死にしたとしても、実は限定的な

のだ。しかし、ただ原発事故による放射能汚染の被害はその時その土

地で起こったことだけで終わらず、この国で生を受ける子々孫々の末

代まで予測することさえ出来ない無限の影響を及ぼすのだ。ただ経済

成長をプラスにするためだけに原発の再稼働を指示する野田ろうか?

のだ総理はその未来永劫に亘る無限責任を自身が負うことが出来る

というのか?

「いや、絶対嘘だ!そんな責任を一体誰が負えるというのか?」

野田総理は、政府の責任でと言うなら、もしも、図らずも大飯原発

で事故が起きた時は、どうやってその責任を取るつもりなのか、

「言ってみろ!」 (もう酔うてます)

そういう「無責任」な発言こそが今の民主党の怯懦を齎したのでは

ないか。


                                    (おわり)
 
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「無題」 (五)

2012-05-30 15:38:57 | 小説「無題」 (一) ― (五)



             「無題」


             (五)


 間もなく、何度か家族で訪れたことのある温泉町の駅に停車する

と車内アナウンスがあった。私は、電車に飽いていたので降りるこ

とにした。平日のこともあって乗り降りは少なかった。そして、す

ぐに妻にデンワをした。

「美咲は居る?」

「どうしたの、急に?」

「ちょっと」

「ええ、居るわよ。さっきごはんを食べて部屋へ戻ったとこだから」

私は、もしかしたらあの電車に飛び込んだのは美咲じゃなかったの

かと気になっていた。安堵して、妻に今朝起きた人身事故のこと、

それから今日は会社を休むことになったと伝えた。すると、すでに

彼女は朝のニュースで聞いて知っていた。

「やっぱり、そうだったの」

記憶を遡りながら説明しているうちに、被害者、自殺した人も被害

者と呼ぶのが相応しいかどうかは知らないが、彼女のあの眼が再び

脳裏に蘇えってきて一瞬ことばを失くしたが、それは面倒だったので

言わずに、ただ、帰りの電車で寝過ごしてしまって今とんでもない所

からデンワしていることを伝えてから、折角だから温泉でも入ってか

ら帰ると言うと、

「なーに、自分だけ」

そう言われてみれば美咲が家を出てから家族四人揃って出掛けたこ

とがなかった。

「じゃ、いつかみんなで旅行でもしようか」

「いつ?」

「だからいつか」

「そんなのばっかり」

彼女が愚痴るのも分る。これまでは仕事ばかりでとても行けなかっ

た。たまの休みも専ら睡眠不足を取り戻すために横になりたかった

ので、下の娘を遊ばせることさえ気が重かった。だから家のことは

いつも先送りして「いつか」が口癖になってしまった。しかし、身

体を悪くして自分の仕事を人に譲ってからは暇を持て余すことの方

が多くなった。

「わかった。じゃあその時のために下見しとくよ」

お茶を濁してデンワを切ったが、自分の中では大きな変化を求めて

いることに気が付いていた。一言で言うと今の自分がつまらなかっ

た。生き甲斐と言うものがなかった。


                                   (つづく)
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「白飯を食べよう」

2012-05-28 22:12:12 | 従って、本来の「ブログ」
       



                  「白飯を食べよう」



 現代人の食習慣は塩分と脂肪分の取り過ぎで様々な病気を引き起こ

していると言われていますが、そんなニュースをテレビで観ながら夕

飯を食べていると、「そらそうだわな」と唐揚げを掴んだ箸を持ちな

がら納得しました。まず、ご飯を食べないで惣菜ばっかり食べている

んだもの。恐らく、全てのおかずには多少なりとも塩や醤油や油で味

付けがされているでしょう。更に外食でもすれば、ご飯さえも寿司飯

やかやく飯など塩や添加物で味付けされています。かつて、評判のラ

ーメン店で働いた時に、一つの器に出汁の素の粉末を大鍋に入れるほ

どの量を入れていました。「そら出汁が効いて不味いはずはないわな

ぁ」と思いながらも、ただ、「絶対に身体に良くない」と思ってそれ

以来ラーメンの評判店には行かなくなりました。商売人は商売のためな

ら偽装だって何だってします。美味いものには美味くするための細工

が施されているのです。その仕込の様子を目の当たりにすればと

ても美味しいとばかり言ってられない量の調味料や添加物がこれでも

かという程使われていたりします。そして、その濃い味に慣らされて

何時しか白飯を食べなくなり、その替わりに味の強い惣菜ばかり摘ま

むようになったことが最大の原因ではないでしょうか。かつて、我が

国の食生活は世界の中でも最もバランスのいい食事だと言われてい

ました。1970年頃です。その頃、我々の食生活は白飯が中心でした。

例えば、唐揚げ一個やメザシ一尾で充分お碗一杯のご飯を平らげた

もんでした。ところが、今や我々の食事は惣菜ばかりでほとんど白飯を

食べなくなりました。当然ですが白飯自体には塩分も脂肪分もほとんど

ありません。いくら塩辛いものや脂っこいものを食べても白飯が薄めて

くれていたのです。もっとも、惣菜ばかり食べる余裕など庶民にはなか

ったのですが。その頃から比べてコメの消費量は半減しているらしいで

す。恐らく、その減った分を塩や油で味付けされた惣菜が満たしている

はずです。いくら減塩や低脂肪に拘った惣菜であっても、そればかり食

べていれば全体に占める摂取量はそれほど変わらないでしょう。まず、

白米で腹を満たす食生活に戻すこと。惣菜はご飯を食べるための添え

物として食べること。そうすれば、惣菜の塩加減や油加減を気にせず

に腹いっぱい食べても大丈夫なんです。そのことをコメの関係者は何

故訴えてこなかったのだろうか?今や、我々にとって白飯を腹いっぱ

い摂ることが塩分や脂肪分を摂らないで済む健康法ではないだろうか。

「じゃあ、ご飯入れる?」

「あっ、もう唐揚げでお腹いっぱい!」

                                    (おわり)




「無題」 (五)―②

2012-05-26 16:28:05 | 小説「無題」 (一) ― (五)


          「無題」

        
          (五)―②


 清算を済まして改札を抜け、土産物店が並ぶ駅前の商店街を少し

歩いたが、まったく日本の駅前は何者かによって規制されているか

のように何処も彼処も似たり寄ったりですぐに飽いてしまい、確か

公共浴場があったことを思い出してそっちへ向かった。私は温泉は

好きでも、いわゆるスーパー銭湯は嫌いで、券売機が置いてあって、

百円が戻ってくるロッカーがあって、更に浴室が直線で仕切られた

タイル張りの湯舟だったりすると普段の生活を引きずってしまい、

湯に浸かっても寛ぐことができず、何か無駄をしているように思え

てきて躰を洗った後はさっさと湯に浸かって上がりたくなる。それ

は入浴であって湯浴みではない。そういう浴場では見知らぬ者同士

がことばを交わすことも憚られ、誰もがただ淡々と作業をこなす。

つまり、裸同士の付き合いが生まれない。更に言えば、浴場からは

時計もテレビも隠しておいてもらいたいものだ。

 などと思いながら浴場に着くと、さっそく番台の人に「先に券売

機で券を買って下さい」と言われた。仕方なく言われた通りにして

脱衣場ののれんを破ると壁際の「百円は戻ってきます」と注意書き

されたロッカーに服を投げ込んで浴場の引戸を開けた。真っ直ぐに

敷かれたタイル張りの湯舟から流れ落ちる源泉が掛け流されて溢れ、

湯面を揺らして天窓から差し込む日差しを煌めかせていた。開いて

間なしのこともあって洗い場にたったひとりだけ老人が居るきりだ

った。掛け湯をして六畳間ほどの浴槽に入ると思ったよりも深かっ

た。縁には中程に足置きの段差が設えてあったが躰を湯に浸けるに

は立っていなければならなかった。中腰になって肩まで浸かってい

ると、ハテ、自分は何でこんなことをしているのだろうかと落ち着

かなかった。早々に入浴を切り上げて上がろうとした時、洗い場か

ら老人が近付いてきて、

「見んお方ですな」

と、声を掛けてきた。ずいぶん高齢に見えたが言葉ははっきりして

いたし何よりも気概があった。痩せてはいたが無駄のない引き締ま

った躰だった。私は足場の段差に腰を置いて、

「ええ、東京から来ました」

「それはそれは。お仕事かなんかで?」

「えっ、まあ、そんなところです」

そのあと、老人はここの一番風呂に入るのが日課であるということ

を話し始めて、今は引退してしまったがずっと漁師をしていたこと、

ところが、二人いる息子は後を継がないで一人は陸に上がって農業

をやっていて、もう一人は東京で会社員だとか、そして、

「東京のどちらですか、おたくは?」

私が答えると、

「そうですか」

と言っただけで、どうも息子が暮らす馴染の土地と違ったようでそ

れにはそれ以上触れずに、

「まあ、漁師も稼ぎにならんですから仕方ないですけど」

と言いながら、面白いように獲れたという昔ばなしを話し終わると、

湯舟から上がってタイル張りの地べたに座って、今度は聞いてばか

りいた私に、

「あなたはどんなお仕事をされているんですか」

と、応分の身元を明かすように迫ってきた。私は、

「スーパーに勤めてます」

と答えると、

「それはいいところに勤めてらっしゃる」

と、知るはずもないのに持ち上げて、分ってはいても私もつい乗せ

られて、

「いやあ、時間ばっかり長くって」

「何でも、東京じゃスーパーも夜中までやってるんでしょ」

「競争ですからね」

「ふーん、そりゃあたいへんだね」

と水を向けられると、その場限りの気兼ねのない相手に、今度は私

が日頃の鬱憤を愚痴った。すると老人は、私の嘆きに同感するよう

に、

「わしらもずーっと働いてばっかりだった」

「ええ」

「どうしても家族を食わせないといかんからね」

私はそのことばに、これまで自分のしてきたことが間違いじゃなか

ったと認められた思いがして癒された。老人は、

「働いて、働いて、働いて、それで死んでいくんだ。はっはっはぁ

ー」

そのことばには重い実感がこもっていて、身につまされた。それで

も、悔しさは微塵も感じられなかった。他人が何と言おうとそうす

る他なかった現実の、迷いのない諦めのような自信に頭が下がった。

家族を養うために「働いて働いて働いて」そして「死ぬ」、何が間

違っているというのか。私は、それ以上のことを言えなくて黙った。

まもなく、老人とはなじみの数人の客が入ってきて、ふたりの会話

は途切れ、日課のように繰り返されていたにちがいない世間話に話

題は移った。

                                  (つづく)  

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