「リセッション」

2011-04-30 05:22:56 | 「パラダイムシフト」


                 「リセッション」


もしも、私が言う様に「近代文明の終焉」が始まっているとすれば、

その兆しが最も顕著に現れるのは、近代文明の申し子アメリカを置

いて他にないだろう。つまり、近代文明の終焉とはアメリカ文明の

終焉に他ならない。ところで、バーナンキ米FRB議長は4月29日

の演説で、「アメリカ経済は深刻なリセッション(景気回復)から

完全には回復しておらず、住宅市場が景気回復の足枷となっている、

との認識を示した」(ワシントン29日 ロイター)つまり、2008年

のサブプライムローンの破綻が依然解決していないのだ。それは、

我々がかつて辿った覚えのある道と如何に似ていることだろう。


 以下のことは、経済については全くの門外漢である私の、科学的

根拠のない戯言ですので、ここで読み止めるのが賢明ですよと逃げ

口上を述べておいて、さて、先頃オーケストラの名門だったフィラ

デルフィア管弦楽団が倒産しました。日本人にも馴染みのある、N

響でも長く指揮者として活躍したサバリッシュ氏や、クラシックフ

ァンなら誰もが一度は耳にしたことのあるユージン・オーマンディ

ー氏や最近ではリッカルド・ムーティ氏といった世界的に著名な指

揮者がタクトを振った名門のオーケストラでした。アメリカの法律

では倒産がどの程度の深刻さなのか識りませんが、たかだか二十数

億円の減収によって破産に到ったと報じられていたので驚いた。一

方で、企業の収支決算が発表されて、大手企業は概ね業績を回復さ

せビッグ3のGMなどは国からの巨額の債務を完済させたなどとい

う。まるでアメリカも、日本の様に勝ち組と負け組が鮮明に色分け

されはじめた、などと言うと、アメリカは建国の時代から一握りの

成功者とそれ以外の市民から成っていると言われるかもしれない。

しかし、こと文化に関して言えば、資産家や裕福な市民が理解を示

して寄附や募金によって支えて来たのだ。我々は、アメリカの経済

力には到底及ばないと思っているかもしれないが、譬え経済力で伍

して競うことが出来たとしても、我々が決して追い付けないと観念

したのは寧ろアメリカンカルチャーだった。古くは民主主義の在り

方や社会システム、更には科学、文学、音楽、娯楽、そして暮らし

方までも、我々に大きな影響を与えた。ところが、アメリカ経済の

規模からすれば、年間僅か数十億円の不足に苦しむ名門楽団を見捨

てるほど、彼等は余裕を失ってしまったのではないだろうか?すで

にアメリカンポップスは久しく耳にしなくなり、「スターウォーズ

」以来映画館に足を運んだ記憶がない。更に、アメリカ文化の象徴

だったベースボールは、観客の減少から財政が悪化して、名門ドジ

ャースはMBAの管理下に置かれてしまった。

 以上のことは経済的には取るに足らない些細なことに違いないだ

ろう。やがてフィラデルフィア管弦楽団は再生され、ドジャースは

再びスター選手を輩出して球場を沸かすに違いないだろうが、ただ

「アメリカンマインドの終焉」は、「アメリカンカルチャーの終焉」

にまで及び始めたのかもしれない。そして、社会の「テーマ」を失っ

たアメリカは、かつての我が国や、今の中国のように、市場が賭場

となり、賽の出目を予想するのが経済と呼ぶようになり、手段に過

ぎない紙幣が目的に刷り変わって堕落すれば、強(あなが)ち世界恐

慌が再び繰り返されることも起こるかもしれない。すでにアメリカ

は日本と同じように巨額の財政赤字を抱えて身動き出来なくなり、

金融緩和策によって貨幣経済は実態経済と著しく乖離してしまって

いる。

 我々の社会は、すでに皆で同じ「テーマ」の交響曲を協奏すること

が出来なくなってしまった。社会が「テーマ」を失ったならば、そ

れぞれが自らの「テーマ」を見つけて独奏するしかないではないか。

譬えそれが如何に頼りない演奏であったとしても。



                               (おわり)



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「あほリズム」(135)

2011-04-28 01:13:50 | アフォリズム(箴言)ではありません
               

            「あほリズム」


              (135)

生きてる意味がわからなくなったら夜空を見上げてみよう。


「見たって何もないよ?」


そうだ、何もない。ただ虚無が広がるばかりだ。だからこそ、いま

君がこうして生きていることに意味があるとは思わないかい。


           (つづく)


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「できっこない」

2011-04-27 07:30:01 | 「パラダイムシフト」
               

                 「できっこない」

 石原東京都知事が、脱原発に対して「できっこない」と言ったの

は至極尤もで、1300万都民の今の暮らしを支える為には原発は欠か

せないのだろう。更に、近県を加えると、その電力需要を安定供給

する為には原発を放棄することは現実的ではないのだ。都民の今の

暮らしを預かる都知事としては当然の発言である。そもそも、脱原

発を訴える人々は、今の便利な生活を失う覚悟があって言っている

のだろうか?高層マンションの階上に居て、缶ジュース1個買いに

行くにも地上との間を、原子炉が発電した電気を消費して昇り降り

しながら、もしも仮に、原発が止まって玄関までの階段を日に何度

も昇り降りすることになっても反対するのだろうか。近代社会の豊

さの恩恵に浴しながら、その豊かさの一端を支えている原発に反対

するのは、宛ら、親の稼ぎで育ちながら、親の仕事をけなしている

様に思えてならない。勘違いしないでもらいたいが、私はこれまで

も原発に反対してきたし、そうなれば生活の低下は避けられないと

何度も記してきた。原発は政府が推し進めてきたこれからのエネル

ギー政策の根幹を成し、その見直しを迫ることは、当然、電力供給

の目処が立たなくなって、都知事が言う様にこれまでの経済活動や

生活は続けられなくなるのは間違いないだろう。それでは、脱原発

を求める人々は、今の豊かさを手放す覚悟があるのだろうか?そも

そも、メトロポリス東京は既に自然環境に逆らった近代文明に拠っ

て成り立っている。原発による電力供給を放棄した途端に都市機能

が寸断されて、便利な生活は不便な生活に一変する。それでも尚、

脱原発を求める覚悟があるなら、原発を必要としない生活をする方

が先ではないだろうか。私はこれまでそのことを随分考えて来まし

た。我々は今の豊かさを手放すことが出来るだろうかということで

す。恐らく、出来ないでしょう。たとえ放射性物質が舞う中でも、

まだ被曝の残留濃度が基準値以下だなどと言って空調の効いたシェ

ルターの様な部屋で、原発が発電した電気を惜しげもなく使う生活

から抜け出せずにいるに違いない。そこから抜け出すには、豊かさ

の価値観を転換させなければならない。便利な暮らしを望みながら、

いくら脱原発を叫んでも都知事の言う様に「できっこない」だろう。

つまり、脱原発云々を言う前に、もっと大きなイシュー、今の豊か

さを手放す覚悟があるのだろうか。そうでなければ、石原都知事の

言う「できっこない」に、勝てっこない。




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「トルストイの言葉」

2011-04-26 03:36:51 | アフォリズム(箴言)ではありません
              「トルストイの言葉」




かつて、「あほリズム(89)」で、トルストイの言葉を紹介しました

が、それは、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はい

ずれも、それぞれに不幸なものである」というものでした。訳し方

の違いはあっても、概ね日本人は、幸福な家庭はどこも同じ様に幸

福だが、不幸な家庭の原因は様々であると、そんな意味だと理解し

ているのではないでしょうか。つまり、幸福になりたければ人と違った

ことを避けるべきだ思っているのではないだろうか。ところが、日曜日

(4月24日)の朝日新聞の読書欄で、「アジアに浸る」「トモスイ」

高樹のぶ子〈著〉 を取り上げて評論された楊逸さん(中国生まれ)

によると、その記事の中で、同じトルストイの言葉が、「どれもワンパタ

ーンである幸福な家庭に比べ、不幸な家庭には不幸なりにそれぞれ

のオリジナリティーがある」と紹介されていた。何と!意味が全く変わっ

ているではないか。私は、「あほリズム」(90)で幸福と不幸の言葉を

入れ替えても意味はそれ程違わない旨のことを言ったが、果たして、

中国では「ワンパターンの幸福」よりも「不幸なりのそれぞれのオリジナ

リティー」 を貴ぶのだろうか?それとも彼女が日本語の「オリジナリティ

ー」のニュアンスをよく知らずに使ったのだろうか?しかし、よく読むと、

意味そのものは確かに同じことを言っているのだが、その伝わり方がま

るで正反対のように感じるのは私だけなのだろうか。それではトルストイ

は、どっちの伝わり方を望んでそう語ったのだろうか。            

 我々日本人は、きっと「不幸なりのそれぞれのオリジナリティー」 は望

まないに違いない。                   

トルストイの言葉でさえ訳し方にそんな違いがあるとすれば、何だ

か安易に翻訳された書物を鵜呑みにしてはいけないとつくづく思っ

た。


(おわり)



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ありのまま

2011-04-22 06:05:39 | アフォリズム(箴言)ではありません
        「ありのまま」



一匹の働きアリが神様に聞きました。

「わたしはただ働く為だけに生きたくありません。わたしはどう生

きればいいですか?」

すると神様は言いました。

「ありのまま生きろ」

アリは聞き返しました。

「えっ?それどっち?」

しかし、もう神様は現れませんでした。



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