「あほリズム」(782)

2020-11-25 12:19:44 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

            (782)

 

 ヤバいっ!「ぼんやりとした不安」(芥川龍之介1927年自死)

が俄かに現実味を帯び始めた。

https://blog.goo.ne.jp/wser8ucks4atwg/e/0ca00fe8057d0da8946558381e1eb8a6

それは、百年前のスペイン風邪のパンデミックの後に起こったカ

タストロフィ―が再び繰り返されるのではないかという不安だ。

つまり、東海沖で頻発する地震が再び「関東大震災」(1923年)

を想起させ、また実体経済に反して暴騰する株価が何れ「世界恐慌」

(1929年)を引き起こすかもしれないという不安をもたらし、そ

して中国の習近平主席が軍部隊の視察で「戦争準備への集中」を訴

えたことは、これはまさに米中による太平洋戦争(1941年)では

ないか。https://www.jiji.com/jc/article?k=2020112501244&g=int

 

 


「真理とは幻想である」(6)

2020-11-20 08:08:44 | 「ハイデガーへの回帰」

                  「真理とは幻想である」


               (6)


 われわれの理性が存在の《真理》を掌握することができないとす

れば、その結果、理性がわれわれに「生きることは意味がない」と

囁いたとしても、それほどあやまった判断だとは思えない。ただ、

それはあくまでも理性的判断であって、しかし、われわれは理性に

よって命を得たわけではない。そもそもわれわれが生れて来ること

に理性はいっさい関与していない。だから理性はわれわれの生死に

口を挟む権利はない。つまり理性とは生きるための手段でしかない

。ところが、目的を見失った者は手段にすがり、そして手段が目的

化する。世界とは無常に遷り変る生成であり、われわれが為し得る

ことはただ命を繋ぐことだけだと理性がささやくとき、われわれは

無限のニヒリズムに陥る。しかし、理性が追い求める「真理とは幻

想である」とすれば、われわれは生死を合理的判断に委ねるべきで

はない。生きて在るものとはそもそも不合理な存在なのだ。

                        (おわり)


『村井知事、再稼働を支持「事故がダメなら乗り物も否定」』

2020-11-19 07:58:31 | 従って、本来の「ブログ」

『村井知事、再稼働を支持「事故がダメなら乗り物も否定」』
https://www.asahi.com/articles/ASNCC76WFNCCUNHB007.html

 宮城県知事が女川原発の再稼働を容認する際に、原発事故を

交通事故と同列に語ったことに呆れてしまった。交通事故は何

度繰り返し起こってもその場その時限りだが、もちろん被害者

の苦痛は生涯続くかもしれないが、しかし、原発事故は一度起

こっただけで、その郷土の時空間の放射能汚染は未来永劫続く

、原発事故はこれまでの事故とは次元が違うのだ。何て無知だ!

        *     *      *

 

 東日本大震災から9年8カ月となる11日、東北電力女川原発2号機
の再稼働が事実上、決まった。村井嘉浩知事がこの日、地元の女川
町の須田善明町長と石巻市の亀山紘市長と会談し、再稼働に必要な
地元同意を表明した。ただ、地元が不安を感じている避難道路の整
備にどう具体的に取り組むのか、知事から明快な言葉はなかった。

 会見での村井嘉浩知事との主なやりとりは次の通り。

 ――知事のなかでの判断のポイントは。

 民意の代表である県議会や全市町村長、立地自治体の首長が(再
稼働に)理解を示したことが大きかった。

 ――再稼働の必要性は。

 一人の政治家として原発について考えはあるが、それをみなさん
の前で話すことで、県議会の判断や市町村長の判断にくもりが出て
はいけないと控えてきた。

 私は再稼働は必要だと考えている。原発がある以上、事故が起こ
る可能性はある。事故があったからダメとなると、すべての乗り物
を否定することになる。技術革新をして人類は発展してきた。

 福島の事故を教訓として、さらに高みを目指す、目指さないとい
けない。どういう時にも再生可能エネルギーで日本のエネルギーが
まかなえる技術に達するまで、原発は必要だ。原油由来のエネルギ
ーに頼らないで、エネルギーがまかなえる段階で原発の依存度を少
なくする。県議会と立地市町の議会、市町村長の考えは間違ってい
ない。

 ――避難道路の問題は。

 両首長から具体的にこの道路をという要望はなかった。全力で、
継続して、着実にやると回答した。ある程度、財政的な出動をして
も県民の理解は得られると思う。

 ――9日に市町村長会議があったばかりで、スケジュールありき
では。

 市町村長会議の判断は、「3人で話し合った結果を総意とする」
で、早くしないと逆に失礼だ。東北電力から事前協議の申し入れが
あって、7年近くずっと議論してきた。そろそろ結論を出しても良
い時期だと考える。事前了解がなければ着手できない工事もある。
あと数年以内に安全対策工事を終えるためには、このタイミングで
ないと支障が出るというのも事実あった。

 ――住民説明会の追加を要望した県民もいる。住民投票は考えな
かったのか。

 住民投票は県議会で2回も否決された。私の力が及ぶところでは
ない。住民説明会はすべての議事録をネットで公開している。決し
て少なすぎることはない。適切な時期ではないか。

 県議会も、市町村長会議もスムーズに進んだ。無理やり(1回で)
協力してくれとお願いしたわけではない。


「真理とは幻想である」(5)のつづき

2020-11-18 07:18:15 | 「ハイデガーへの回帰」

         「真理とは幻想である」


            (5)のつづき

 
「存在とは何であるか?」の答えが「真理とは幻想である」とすれ

ば、《真理》は理性によって規定されるのであるから、それは理性

の限界にほかならない。理性の限界とは、科学的実証が可能な事実

存在《仮象》については認識できても、そもそも存在者の「存在と

は何であるか?」という本質存在《真理》には的中できない。ニー

チェは、理性による形而上学的思惟はニヒリズムに陥ると言い、そ

して「芸術はニヒリズムに対する卓越した反対運動である」、或は

「芸術は真理よりも多くの価値がある」と説き、芸術、つまり創作

への陶酔こそがニヒリズムから遁れる唯一の方法であると語る。と

ころで、理性によって規定される《真理》の定義とは絶対不変の堅

固な表象であるとすれば、無常に遷り変る生成の世界を読み解くこ

とはできない。つまり、もはや理性はわれわれの存在目的を思考す

るための手段としては無価値でしかない。

                         (つづく)

 


映画「愛と死を見つめて」NHKBSPで放映

2020-11-16 04:50:22 | 「愛と死をみつめて」を見つめて

  映画「愛と死を見つめて」NHK BSプレミアムで放映
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=26347


 映画「愛と死を見つめて」(1964年)がNHKBSプレミアム

11月17日午後1時に放映されます。NHKBSプレミアムは

有料放送なので残念ながら私は観られませんが、でも以前にユ―チ

ューブに投稿されていて、涙を流しながら観た記憶はあります。そ

の数週間後にもう一度観ようと思って検索してもすでに削除されて

いました。いま思い出したのですが、その映画の中で、顔面の半分

をガ―ゼで覆った主人公(ミコ)が病院のベッドに仰向けに寝ている

映像の上に彼女が作った短歌が映し出された。

「実験に飼い置かれし犬の声 病舎にひびきて夜寒身にしむ」
                        大島みち子著「若きいのちの日記」より

 その時、私は「あっ!」と思った。実は、彼女が入院していた頃

ではなくずーっと後ですが、私は同じ病院で動物実験の担当を任さ

れていたからです。彼女が入院していた病棟の屋上には実験用の犬

舎が並んでいて、夜になると術後の犬たちが寒さに耐え兼ねて一斉

に悲痛な咆哮を繰り返していました。もっと本当のことを言えば、

術後環境が悪いためにほとんどの犬が犬舎の中で死んでしまいまし

た。今ではとても許されないことですが、まさに「犬死」です。そ

れは問題だと言う人もあるかもしれませんが、たとえば映画の中で、

彼女の治療を担当する主治医が、病室に居る彼女の前で治療方法を

説明する際に、堂々と煙草を吸うシーンがあって、今ではまったく

認められないことですが、このように社会的な良識は時代と共に移

り変わるもので、過去の出来事を現代の良識で裁くことは大きな過

ちをもたらします。その後、犬舎は間もなくして近所からも悪臭の

苦情が殺到して撤去されました。ただ、それから私は彼女が近しく

思えて、彼女と恋人との交換日記が本になった「愛と死をみつめて」

を改めて読み、そしてこのブログにその想いを記しました。

https://blog.goo.ne.jp/wser8ucks4atwg/c/00e4bf6ce4b1b741067821e2e81b16dd

 なお、市街地にあった病院はその後、全施設が郊外へ移設され

ました。

 

「内容」NHK PRより

主演吉永小百合、共演浜田光夫の名コンビが、難病に侵された少女
ミコと彼女の心の支えとなる青年マコとの純愛を、実在の恋人同士
の書簡集をもとに映画化した涙と感動のドラマ。浪人中の誠は入院
した病院で出会った、可憐(かれん)で清純な道子に一目ぼれする
。しかし、2年後に再会した時も道子は病院生活を送っていた。2
人は文通を続けながら、お互いの思いを確かめ合っていくが…。同
題曲「愛と死をみつめて」も大ヒットした。