「パラダイムシフト」(2)

2011-05-21 01:30:37 | 「パラダイムシフト」

               「パラダイムシフト」(2)

 浜岡原発のある御前崎市は、原発停止されたら交付金が受けられ

なくなると市長が嘆いていたが、「フクシマ」以後、市民の意識が変

わったことに気付いていないのかもしれない。例えば、安全対策が

施され数年後に再び原子炉が稼動し始めれば、恐らく原発近辺に住

む市民の多くは市外へと転出し始めるに違いない。いくら安全だと

言われても「フクシマ」以後最早その言葉を誰も信じないだろう。核

分裂が臨界に達した原子炉のある建屋から少しでも離れたいと誰し

も思うだろう。つまり、原発を抱える市町村は「フクシマ」以前の社

会を取り戻すことが出来なくなってしまったのだ。浜岡原発を例に

とれば、原子炉を廃炉にして原発事故の不安を解消して住民流出を

食い止めるか、もちろんそうなれば、市長が嘆いていたように交付

金の支給が受けられなくなって財政は逼迫するだろう。しかし、原

子炉が再び稼動して交付金が支給されると住民の転出が避けられな

くなるに違いない。そして、何れの原発城下町も、住民流出か交付

金かの二者択一に悩まされることだろう。しかし、そもそも自治体

とは住民があってのことで、いくら金があっても原発がある限り定

住者は増えないだろう。やがて住民の意志が尊重され、たとえ落ち

ぶれても未だこの国には選挙制度が残されているのだ、何れ首長や

総理が、或は族議員や財界人がとやかく言ったところで、進んで毒

饅頭に、その毒の恐ろしさを知った市民が、よもや手を出すことは

ないだろう。           

 つまり、菅総理が見直しを語らなくとも、市民の反対によって見

直さざるを得なくなるだろう。「フクシマ」によってこの国ではパラ

ダイムシフトが起こり始めている。



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「原発放棄」私案

2011-05-19 16:04:07 | 「パラダイムシフト」
                  「原発放棄」   


「国土が地震頻発地帯にある日本の国民は、自然循環を基調とする

地球環境との調和を重んじ、一度事故が起これば深刻な環境汚染を

もたらす原子力発電の使用、或いは核兵器の行使は、未来の世代へ

安全で美しい地球環境を引き継ぐ為に、永久にこれを放棄する」 

「前項の目的を達するため、光水風その他の自然エネルギーを活用

する。国の利権による阻害は、これを認めない」

 我々は、自分達がただ安楽に暮らしたいがためだけに自然環境を

破壊して、未来の地球上の全ての生き物の生存を危うくする自由ま

では与えられていない。



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「パラダイムシフト」

2011-05-19 09:40:18 | 「パラダイムシフト」
「パラダイムシフト」


 原発を抱える市町村のリーダーは、今回の福島原発事故の発生に

よって、人々の原発に対する受け取り方が大きく変化したことに、

未だに気付いていないのかもしれない。譬え、交付金によって財政

が安定したとしても、少なくとも原発から20キロ圏内の地域では、

人々はこれまでの様に、原発が在ることさえ忘れて暮らすことなど

出来なくなった。いくら国が安全の確保を宣言しても国そのものの

信用がメルトダウンしてしまったのだ。何れ、住民の多くはその土

地を離れて行って、いくら交付金を支給されて潤ったとしても、そ

もそも何の為の財源なのか?つまり、未だ交付金に拘る市町村のリ

ーダーは、「フクシマ」後の住民の意識転換を認識していないので

はないだろうか。それは市町村に止まらず、県や国に於いてさえも

同様である。放射能汚染に怯えながら不安を抱えて暮らす土地でい

ったい誰が子孫を繋いでいくだろうか?電力不足を心配するのは原

発事故の心配のない都市で暮らす者の論理だ。如何に安全を取り繕

っても、終りのない見えない不安、それは恐怖そのものである。 

 我々は、いみじくも二度目の敗戦と呼ばれる今回の震災を省みて、

憲法に、戦争放棄と並んで新に「原発放棄」を付け加えるべきではな

いだろうか。



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「ふと、思ったんですが」

2011-05-15 11:57:33 | 「パラダイムシフト」
                 「ふと、思ったんですが」


 今、ふと、思ったんですが、太陽光発電パネルは海上に浮かべた

らダメなんですかね?日本は国土が狭い上に平坦な土地の少ない国

だから何も地上に拘らなくてもいいのではないか。もちろん、台風

や大波の影響は受けるでしょうが、それでは近海の内海に浮かんで

いる多くの養殖筏はどうしているのだろうか?台風が通過する度に

壊滅的な被害を受けているとは余り聞かない。恐らく、発電パネル

は蠣(かき)筏なんかよりもうんと軽いんじゃないかな?日本は周り

を海に囲まれている島国だから、海面に浮かべることが可能なら、

少ない平地をその為に奪わなくても無限に設置することが出来るの

ではないでしょうか。色んな自然エネルギーの利用が語られている

が、どうも海を活用することが忘れているように思えてならない。

そうだっ!甚大な被害をもたらした、あの大津波の強烈なエネルギ

ーを何故利用しないのだろうか?多くの人々の命を掠った津波のエ

ネルギーに我々は何故気付かないのだろう?大津波の恐ろしい自然

エネルギーを目の当たりにしながら、原子力の代替エネルギーを探

し倦ねているのはまるで笑い話ではないか。世界に自然エネルギー

の利用方法を求めなくとも、この国を取り囲む金波銀波の波こそは、

尽きることのない自然エネルギーではないか!愛する人々を奪った

大津波のエネルギーを見落として、他を尋ねるのは、お門違いもい

いとこではないか。そして、三陸海岸に打ち寄せる波のエネルギー

を利用することが叶うなら、愛する家族を失くした人々の悔しい想

いを転換させる唯一の方策ではないだろうか?それはまた、四方を

海に囲まれた島国日本にとって、無限に続く海岸線が発電装置に生

まれ変わる大きな転換をもたらすかもしれない。何とか、護岸工事

が始まる前に、岸に打ち寄せる波のエネルギーを利用した発電技術

が開発されないものだろうか?



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「あほリズム」

2011-05-14 12:47:49 | アフォリズム(箴言)ではありません
              「あほリズム」


                (140)


 東日本大震災がもたらした津波による東北沿岸の凄まじい傷跡を、

空襲によって焼け野原と化した戦後の原風景と重ね合わせて語られ

るが、ただ今度は自分達の手によって引き起こされたものだが、なる

ほど、そこでは原子力による放射能汚染の恐怖までもが再現されて

いる。

                

                  (141)



 かつて、司馬遼太郎は、国家を敗戦へと導いたエリート官僚たち

(軍部)の愚かさを何度も訴えたが、それは将に「想定外」を想定しよ

うとしない今の官僚たちに見事に受け継がれている。




                    (142)



 この国のエリートは冠位十二階の古(いにしえ)より「答え」を想定す

る能力には長けているが、「問題」を想定する能力を養ってこなかった。



                  (143)



 司馬遼太郎は、こう言ってます。

「粛然とした自己認識、これだけが国家を運営する唯一の良心であ

り、唯一の精神なのです」(「昭和」という国家、第八章より)



                  (144)                  

「粛然とした自己認識」とは少なくとも自分自身を客観的に眺めるこ

とである。しかし、ヒエラルキッシュなリゴリズムが蔓延る組織で

は、責任から逃れようと自己保身ばかり気にして自己認識など生ま

れない。                          

                         (つづく)


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